大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2014年01月12日(日)
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posted at xx:xx:xx
大体、テクスト論を小森陽一に一義的道徳にさせる国文学や、そうさせてしまう日本近代文学が歪んでいるので、そうしたテクスト(性)を無理やり解釈しようとすれば、道徳しかないことになる。しかし、マテリアルな文はそんなこと言って=書いていない。@mallarmean
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posted at 06:44:20
そうです、テクストは読めないが、文は読めますからね。@mallarmean 講師がすべきなのは、「テクスト」を読むんじゃなくて、「文」を読めばいいだけのこと。そうすりゃ、逆算なんて不要で大本先生が仰るように「簡単」になるんだよね。
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posted at 06:37:20
大学入試小説問題に出題者の解釈への視点が必要と思ってる講師は、コトバをマテリアルに読むことができてないんじゃなかろうか、単に、大本先生が仰った「精度」が欠けてるように見えるんだ。。
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posted at 06:18:26
この堕落破滅する男に冷静でいられるかというのが石原千秋=小森陽一の捉える戦後高校国語ですが、大学入試の客観テストが評論を要請する。それは近代論という日本固有のおかしな現象学だが、現象学は日本では近代小説が最も的確な散文的実践だった、というのがあると思います。@mallarmean
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posted at 05:37:20
(続き)この前、侍になれずに小説を書いた漱石に対して、小説が書けずに政治をする石原慎太郎が、飲み込めないのは太宰だ、という話twitter.com/TKDOMO/status/... になったんですが、同じことです。(続く)@mallarmean
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posted at 05:10:19
しかし、健気な女との非対称は置いといて、簡単ですよね。戦後国語の道徳、仰るような冷静的確とは、男の堕落や破滅を飲み込む余裕が有るかということなんです。鴎外の舞姫が高校必修になったのも、キチガイになった男子を、飲み込む冷静さが国語だからです。(続く)@mallarmean
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posted at 05:09:34
確かにここ引っかかりますよね。小説が道徳的であるのは、男性の破滅、女性の健全という非対称だからだ、という部分。小森陽一の性転換的な漱石のような論文を受けて、小森と石原が対談していましたが、非対称が道徳といいたいのだろうな。@mallarmean
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posted at 04:17:59
小説の道徳とは、男の堕落で女の健全というところのこと? @mallarmean 石原千秋が中学入試も高校の国語教育も道徳教育だと指摘するのは正しくとも、センター津島佑子の小説に出題者のバイアスを読み取るのは正しいとは思えません。 pic.twitter.com/elqF6uNFG0
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posted at 04:09:55