大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2015年01月15日(木)
ちなみに、フランスのザラデルはハイデガーをエクリチュールと捉えているのだが、彼女の博論に序文を寄せたレヴィナスが、フッサールを回避しすぎているというのに対して、単著ではハイデガーを権利問題だけに純粋化して、レヴィナスを斥けてしまう、というのが面白かったのだが・・・・。
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posted at 21:16:38
ついでにいえば、15年ぶりに再読しているが、東の博論は、クリプキの固有名論を探求した柄谷がまわりくどく思えるほど、とくにフッサールを説明する文体が異様なほど端的。街の本屋が常備するほど一般向けだ。 pic.twitter.com/94yOAWyhay
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posted at 21:12:03
黒ノートシンポで「ハイデガーのドイツ的とフランス的なもの」と発表した中田光雄の近著は「幾何学の起源」だが、そういう落ちこぼれは「人間学的転回」と一蹴される。東の博論も同じ「幾何学の起源」から歴史の複数性=エクリチュールという後期への転倒を主題とするのだが、転倒だけに落ちこぼれる。
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posted at 20:43:19
啓蒙の時代ならまだしも、「可能性の条件」の時代になると、哲学とはという前置きを誰も読まなくなる。それで矛盾や循環を、そういうものとして捉えられず、起源に遡行させてしまう。それを落ちこぼれというのだが、フランスで台頭している、そういう起源論から無縁でいられるのが本来の日本の学力。
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posted at 20:37:30