大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2015年07月01日(水)
フレーム問題は人間が人類の脳の機能について過大評価していることにこそ、問題が存在しているように僕は感じます。
それは人類が陥っている社会問題と大きくかかわりが有ると想います。
@sunamajiri @nckrx970
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posted at 18:36:59
まさにゾルゲ(気遣い)ですね。マルクスが参照したフォイエルバッハではないが、神は人の想念の外化だ、なんて身勝手で無粋なことを、いかに言わないか、である気がしている。@inja650rr ふと思うのですがもしかしたら哲学者は世界や神というものに配慮しているのではないのでしょうか?
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posted at 17:22:46
うん。ちなみに、自我が神を外化するように、労働が自然を物象化する、という柄谷や廣松の弁証法の問題は members.jcom.home.ne.jp/mi-hamamoto/re... 。逆に労働は自然を止揚しないというハイデガーの問題は www.ashida.info/blog/2008/11/p... あたり。@inja650rr
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posted at 16:59:12
隠者 @inja650rr さん、純粋自我は時間規定を含む、弁証法では労働は自然に止揚できない、というハイデガーを私は読みつつあるだけだけど、twitter.com/inja650rr/stat... の点で、黒沢さんとお話が合うんでない? bit.ly/1IMlNyr
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posted at 16:49:57
先が見えないという日本に限らない閉塞感というのは、端的な言い方が、このぐらいtwitter.com/sunamajiri/sta... しか見つからないのだが、やはりほんの僅かだけ、近代哲学に誤差を語らせてしまう、何かがあったということでしょうね。@J_J_Kant
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posted at 15:40:39
柄谷は日本近代文学の起源を西欧哲学と錯視しただけでしょう。twitter.com/sunamajiri/sta... それで意味のつもりが使用価値を語る。これも、フッサールの自我分裂を、フロイトの超自我から捉え、ハイデガーの言うカントの時間規定をナショナリズムと捨象する。@nckrx970
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posted at 15:24:44
私が話しているのは、アメリカ育ちだからか、フロイトからハイデガーに目を塞がれた、という話 twitter.com/sunamajiri/sta... だけです。それで読めなくされたのも、自我と時間というカントの問題。超自我ではカントの時間規定を扱いきれない。@nckrx970
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posted at 15:23:48
黒沢さんのそれは決定的に重要ですよね。廣松の関係論では純粋自我を時間と言えない。その点、西田が純粋自我から自我分裂を解消しているように見える。twitter.com/sunamajiri/sta... @nckrx970 bit.ly/1IMlNyr
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posted at 15:22:50
@sunamajiri こういう先が見えなくなった時代だからこそ原点に一度立ち戻るということが大切なんだと思いますね。だからぼくは近代(思想)の始まりからもう一度やり直してみたいと思っています。
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posted at 11:38:56
@sunamajiri 西田に期待したのは、それこそ純粋自我を復権し広松と縁を切りたかったからです。あの二人は今後とも人生の導きの糸になると思う。どうも個人的な感想になっちまいましたが、難解なイデーンを途中まで読んで、広松とフッサールの関わりの理論的な説明は力に余ると判断した為。
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posted at 09:19:33
@sunamajiri 思っていた。広松は唯物論を認識論では克服したが、歴史参加への煽動や宗教的実存の一蹴では、遥かに徹底した押しつけがましさがあったのです。「歴史・内・存在」とか革命への「先駆的決意性」とか、個々人の思惑なぞ歴史に於いてしかない、という息苦しさ。僕がカントや
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posted at 09:05:24
@sunamajiri であって、社会革命等マルクス護教を目指したものだった。しかもそれ、現象学を介して綿密でした。僕はソ連が潰れて、もしマルクスを活かすなら、もっとマイルドであるべきだと思っていたし、生き死にや宗教の問題をも社会理論で一掃するような、横暴な唯物論を改めたいと
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posted at 08:51:04
@sunamajiri 克服したかったに違いない。ちょうど自然科学も、粒子等の物質が知覚と対象として、素朴な実体とはいいがたい、モノからコトへと割り切る必要があ生じていたことから、彼の社会・自然で一貫する認識論が時代に受け入れられたのだと思う。只、眼目はあくまで、社会や歴史の説明
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posted at 08:39:48
@sunamajiri 加減を説明するのは、やや骨が折れます。思想史的に果たして正確な読みか、自分でも覚束ないから。只イメージだけ言うと、やはり彼はマルクス主義で、ロシアマルクス主義風の唯物論では、商品の価値が物象化的な意味であることすら見抜けえぬ、「科学的」蒙昧になると思って
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posted at 08:21:34
@sunamajiri 両者とも僕にとってはマルクス繋がりで、政治上の判断で参考にしたり嫌いになったりしました。柄谷のマルクス絡みの世界史の展望には魅力なくて、明治以降の近代文学史の解釈には少し興味があります。広松には青年の頃に実践上の励ましを得ていたけれど、今は嫌い。その嫌いさ
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posted at 08:14:01
ね? これほどコギトエルゴスム、自我としてカント以降を読むのが危険なんです。日本で愚衆政治のような問題が発生しているのであるなら、おそらくすべてこの自我という類概念を捨象できない、という愚衆の問題なんでしょう。twitter.com/sunamajiri/sta... @J_J_Kant
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posted at 07:24:16
@sunamajiri お、あんまりハイデガ風ふかすから距離を置いていたが、これはちょい興味ある。柄谷・広松ね。僕は「共同主観の純粋自我」ってのは無理がある表現と思う。むしろ間主観性を現象学に学んだとしても、自我捨てて物象化的「意味」存立を強調してると思う。自我なしの社会的実践。
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posted at 02:17:38
人格なる最も抽象的な攻撃に陥ったり、全く具体性がないですからね。先日来、コギトの話になりましたが、自我では自我一般に抽象化され、個という具象性を失う。そういう論理的不整合が現実に妥当しなくなり、画一化したんでしょう。@J_J_Kant bit.ly/1IKk78F
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posted at 00:59:56