大本薫 Kaoru Ohmoto
- いいね数 11,694/13,358
- フォロー 2,831 フォロワー 2,653 ツイート 290,630
- 現在地 東京 LA NY 茅ヶ崎 鹿児島
- Web http://www.sunamajiri.com/
- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2015年10月25日(日)
ハイデガーは神の要請も、神の有無(論理学や神学)である無神論も語らないどころか、動的に、あるいは時間的に語ると神が不要になるという方法について、単に語っているだけだからね。空も仮象のようなものだが、空も必要とせず、さらに否定神学ですらない。@inja650rr
タグ:
posted at 22:45:59
空は無でないというのが上手く言えていないというのは、動力学とか動態とか、時間を根源に規定して語る方法を得る現象学となっていない、静態的な発言だからというように見える。@inja650rr bit.ly/1LP0Dle
タグ:
posted at 22:40:58
つまり、それは端的に無限後退と輪廻転生は別物だという問題です。三島由紀夫がその混同や実体視に陥ったのが日本では戦後の動揺を雄弁に語っているのだが、西欧哲学では、そうした混同、つまり実体視という問題は、遠の昔に根絶された亡霊です。@inja650rr @J_J_Kant
タグ:
posted at 19:59:19
その通りです。西欧では方法的懐疑であるフッサールの様相還元、ハイデガーの形式還元によって、心的実在という認識論の形而上学(無限後退)が根絶されたのに、日本では戦後の三島由紀夫まで、永劫回帰を輪廻転生と語ることを模索して失敗してるのです。@inja650rr @J_J_Kant
タグ:
posted at 19:55:34
超越的な力というものに対して信仰してしまうからこそ
無限循環に陥るのでしょう。仏教の神通力にしてもそうですよね。
「解脱」とは浄土に行くことだと一般的には読まれていますが
正に無限循環からの解脱を指している様に思えてなりません
@sunamajiri @J_J_Kant
タグ:
posted at 16:31:22
そうですよ。デカルトの方法的懐疑というのは、本来はそのループから離脱する態度のことであるはずなのに、なぜか偏向しないこと、というループをもたらしてしまう。そこから離脱すること、と端的に理解すればよいだけなのに。@inja650rr 皮肉な循環を感じますね。@J_J_Kant
タグ:
posted at 16:23:54