大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2015年11月14日(土)
そこ twitter.com/BeTakada/statu... でも、事実的とか、自然的という用語法が無規定なんです。事実的というのは実存のこと、自然的というのは時間が内時間性ではない、というほどのことです。@BeTakada
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posted at 21:31:38
「哲学する者が世界の中心であるかのような事実的に実存的な意味でいうのではなく」(GA26-172)は、同264 bit.ly/1SrkHOx 「弁証法の助けを借りて時間の主人になること」ではない、という意味です。@BeTakada
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posted at 21:28:53
哲学者の名前は彗星の発見者名より函数的なだけです。GA26-199は、同172が分かりやすい語り方だが、そこでも抽出されるのは哲学者の実存のことではない、と明言されている。@BeTakada ハイデガーが語る語らないに関わらず pic.twitter.com/zCDOd0omqV
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posted at 21:26:44
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しかし、問題は音楽ではなく言語の語りが、想起をどう錯時的に扱うか、という問題なのだ。物語は回想するが、回想するだけでは現在進行形の物語にならない、というあの問題だ。@LitoSnowfield
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posted at 17:41:46
閑話休題せずとも、これは優れて音楽論である。音楽をロマン派的に時の主人のように捉えるのは、根源的時間を捉えない音楽である、と言っているのと同じだからだ。@LitoSnowfield
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posted at 17:39:15
ハイデガーの適切な言い方では、フッサールの内時間性は「弁証法の助けを借りて時の主人となること」と同じで、時間の手許性=地平性である、自我ではなく時間が根源であることに、到達していない、ということになる。bit.ly/1SrkHOx @LitoSnowfield
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posted at 17:29:35
私の最近の言い方にすると、現勢化しないのは、時間を主観的時間(デカルト~ヘーゲル~フッサールまでの時間を意識の眼前対象と前提すること)が齎す、規定としての霊魂の潜勢化=実体化で、現勢とはそうした二元論から自由になることだ、という言い方になる。@LitoSnowfield
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posted at 17:22:17
当然、あの世がどうの、死後の世界がどうの、霊魂の不滅がどうの、輪廻転生がどうの、ということを問題にしてしまう時点で、時間性は主観的時間のままで、脱自的時間にある自由が語れない、ということなのだ。twitter.com/sunamajiri/sta... @LitoSnowfield
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posted at 17:21:01
今日は、こうした丸山文隆の手許時間性の一連の論文をめぐる読解のスレッドと、中嶋~隠者君のあの世の倫理学のようなスレッドが混在してるが、ここから私が総合しようとしている。twitter.com/sunamajiri/sta... @LitoSnowfield
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posted at 17:20:40
転回とは、眼前時間から手許時間への転回のこと。時間が手許性(脱自的時間)になると、第一原因を巡る思惟が無意味になる、ということが問題なのだ。twitter.com/sunamajiri/sta... @LitoSnowfield
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posted at 17:20:14
ハイデガーの言い方にすると、実存論(基礎存在論あるいは学的企投)では、デカルト~ヘーゲルのように、時間が眼前的、つまり内時間的=主観的すぎるので、第一原因=造物主を思惟してしまう、ということなのだ。それで転回が問題になる。@LitoSnowfield
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posted at 17:19:40
主観性=内時間(時間が意識の眼前対象となるという錯覚)と、手許性=時間を脱自的に意識の登らせる時間地平化の違いは、主観的時間では、形而上学が旧来化してしまうということなのだ。twitter.com/sunamajiri/sta... @LitoSnowfield
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posted at 17:19:17
ハイデガーの眼前性と手許性は、時間性という点で正反対の意味をもつ、という話をしているのだ。時間性が問題になるまでは(静的には)、眼前性と手許性の違いが判明にならない。twitter.com/sunamajiri/sta... @LitoSnowfield
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posted at 17:19:00
脱自的時間も、ハイデガーならこうやって語ってしまう。twitter.com/sunamajiri/sta... こんなもの解説のしようがない。主観的時間ではないことだ、とか解説せざるを得ない。解説が欲しければハイデガー自身の解説の方が良質。@1012Wk285557 @inja650rr
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posted at 16:12:46
ハイデガー自身が極めて解説的なのです。カントやアリストテレスを解説させたら右にでるものはいない。だから、ハイデガーを解説すると、ハイデガーより大抵分かりづらくなる。デカルトの意地悪さに比べれば、ハイデガーは親切そのものです。@1012Wk285557 @inja650rr
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posted at 16:09:43
主観的時間というのは、存在(していること)を神=第一原因と思い込むことです。ハイデガーはそれを伝統的とか通俗的と切り捨てる。確かに宇宙の始まりは分からないが、不確定でも実在している。そのことに停滞しないことが、時間性という意味です。@1012Wk285557 @inja650rr
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posted at 15:57:48
内時間=主観性は、時間根源ではない、という地平問題なんですが、この手許性の問題を、ハイデガーが苦労しながら言い当てているのを解明しているのが、丸山文隆の一連の手許性問題です。twitter.com/sunamajiri/sta... 。そのあたり後刻またやります。@BeTakada
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posted at 15:30:01
ここで重要なのは、twitter.com/sunamajiri/sta... のように基礎存在論=実存分析論では、手許性の時間が解明されず、時間が眼前時間になってしまうということです。ハイデガーの転回(メタ存在論)とは、時間を手許化=地平化することです。@BeTakada
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posted at 15:23:06
眼前=内時間的、手許=時間地平的という twitter.com/sunamajiri/sta... のは、端的にデカルト~カント~ヘーゲル~ベルクソン~フッサールの内時間性では、予期・把持・現前(カントの三種の綜合)が、時間として意識(統覚)に登らない、という批判です。@BeTakada
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posted at 15:16:34
一連 twitter.com/sunamajiri/sta... の丸山文隆論文の手許性=時間地平性は、後刻詳述しますが、結論から言うと、手許性は時間地平から見なければ、被造物の主観客観という伝統問題に遡行してしまう。@BeTakada
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posted at 15:15:44
余談だが、日々読んでいるハイデガー twitter.com/sunamajiri/sta... は、そこからいうといわば不合理の哲学です。ここで不合理というのは自由のことですが。この不合理=自由が戦後日本で手に負えない。@inja650rr @1012Wk285557 @J_J_Kant
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posted at 14:41:47