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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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  • 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
Favolog ホーム » @sunamajiri » 2016年06月10日
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2016年06月10日(金)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月10日

要するに、近代以後なぜか(勿論デカルトゆえに)、意識が時を生むと考えてしまうのだが、そのようにカントを捉えたフッサールへの批判を通して、ハイデガーは、時が意識を生む、と切り返したということなのだが。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada

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posted at 22:42:16

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月10日

それはアリストテレス以来、そうした時間を地平とする哲学が隠蔽(存在忘却というのですが)されてきた、という歴史を語るからなのでしょう。@J_J_Kant 「存在と時間」という言い方には存在の謎解きのキーワードは時間だよ、みたいな期待を持たせるところがあるのですが

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posted at 19:06:33

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月10日

ゴールド免許だからすぐに帰れるのに、教習ビデオがあまりに現象学で感動しちゃって、もう一回観ようと長居するものだから、苦笑されます。教習ビデオすごいのは「想像力が働かないと、意識の死角で、動いてる車では事故を起こす」とかいうんですよ。ハイデガーより明晰だ。@J_J_Kant

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posted at 18:48:16

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月10日

笑える話をすると、免許書替えで教習ビデオみさせられると、注意の死角がなんちゃら、車は動いているのに、意識が死角を生み出しなんちゃらとやるもんで、おお現象学、おおハイデガー、すげーとか感動するんですよ。それほどじつはどうでもいいことを言っているんです。@J_J_Kant

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posted at 18:40:10

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月10日

まさにそれです。(^-^)/ @J_J_Kant なるほど。時間という言葉に何かいわくありげな意味を求めてしまうと読み誤りそうですね。

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posted at 18:30:46

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月10日

それはさておき、時が対象に対する意識を生成する、というのが超越論的構想力という問題なのだが、もし時が不在で、つまり静止した状態で、意識が対象を得ることが出来るかというと、それは得られない、というのがハイデガーの理屈で、あとは現象学が様々な応用問題をやるわけです。@J_J_Kant

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posted at 18:30:20

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月10日

長ったらしいどころか、戦前も戦後もこの話題しかないし(その真空状態で大戦まで引き起こしたように見えるほどだし)、今世紀になったら、話題が枯渇してしまって、真っ先に文学部の危機ですが、それより恐ろしいのは自然科学の限界でしょうね。発見するものがもうないという。@J_J_Kant

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posted at 18:30:08

中嶋 哲史 @J_J_Kant

16年6月10日

@sunamajiri なるほど。時間という言葉に何かいわくありげな意味を求めてしまうと読み誤りそうですね。「存在と時間」という言い方には存在の謎解きのキーワードは時間だよ、みたいな期待を持たせるところがあるのですが(^^)

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posted at 18:25:11

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月10日

フッサール批判だからでしょうね。フッサールはカントの時間を想像力ではなく意識と捉えてしまった。それでハイデガーは意識を生成する想像力を時間というのでしょう。意外とシンプルなんですよ。この議論、人を威圧するほど、ものすごく長ったらしい議論になってるのだが。笑 @J_J_Kant

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posted at 18:18:35

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月10日

要は《意識というものがあらかじめあるのではない》という、ただそれだけのことで、不思議でも何でもないということですよ。twitter.com/sunamajiri/sta... @J_J_Kant

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posted at 18:08:18

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月10日

それゆえに、意識を何か魂のように実体化する形而上学(ハイデガーを読み誤る言説はすべてそうした実体論です twitter.com/sunamajiri/sta... )に対して、人工知能だって、時を制すれば、意識を生起するだろう、というのが今日的におもしろいわけでしょう。@J_J_Kant

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posted at 17:06:27

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月10日

このように、意識に対する想像力という問題を、単に空想力に回収してしまう、従来の読み方を是正することを、最高原則の問題と、ハイデガーは見做しているようです。実際的にも、想像力である時を見失って、空想してしまう意識は、ほとんど無価値なのです。@J_J_Kant

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posted at 16:58:30

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月10日

おそらく、デカルト的二重性である、思う我と考える我の分裂が、心身二元論のような誤謬ではなく、意識という鍵語を生成したという歴史的意味が存在了解されなければならないのでしょう。意識に対して時は想像力だから、時が意識の原因であるのを明証したのですから。@J_J_Kant

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posted at 16:55:11

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月10日

なにせ、時を意識と措定すれば、想像力は空想や夢のイメージになるが、時を想像力と布置すれば、意識そのものが生起してしまう、という機序を言い当てるわけですから。意識は夢ではないですからね。また想像力は空想ではない。@J_J_Kant

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posted at 16:53:17

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月10日

ハイデガーは《意識》とはいわず現象学的に《志向》というが、《意識》という術語は、意外と鍵語として利用価値があるわけです。(続く)@J_J_Kant

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posted at 16:52:42

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月10日

いずれにせよ、思う我と考える我、というデカルトの二重性の問題は、心身二元論のような誤謬ではなく、意識が先行して空想を生むのか、想像力が先行して意識を生むのか、という重大な差異を語っているのでしょう。twitter.com/sunamajiri/sta... @J_J_Kant

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posted at 16:49:37

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月10日

そこで、ハイデガーは形式性の最高原則を、『物への問い』以後、実施に移した、ということです。twitter.com/sunamajiri/sta... bit.ly/1TlqvhI @J_J_Kant

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posted at 14:17:47

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月10日

であるので、《想像力が他者だ》という中嶋さんの謂は正しいのです。ハイデガーではカント書で《時は意識ではなく想像力だ》という演繹論をするが、それだけではカントの最高原則になっていないと、新カント派(カッシーラ)から批判されてしまう。@J_J_Kant

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posted at 14:15:04

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月10日

つまり、意識が時であるなら、対象以前に独断的な意識が静態的に有り、それが形式性を破ってしまうが、想像力=時が対象を与える(出会わせる)と、はじめて意識が動態的に生じる、という形式が、哲学の問題地平だ、という構図をハイデガーは語るのです。@J_J_Kant

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posted at 14:09:33

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月10日

分かりづらいのは、カントもフッサールも時を意識の中に求めている点です。ハイデガーが想像力に言及するのは主著ではなく、『カントと形而上学の問題』通称カント書だが、そこでハイデガーは、意識ではなく想像力が時間だ、というのです。@J_J_Kant

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posted at 14:07:46

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月10日

よって、如何に対象が与えられるのか、というのが形式性の問題(哲学の問題全体とハイデガーは言うわけだが)で、それをハイデガーはカントの想像力(構想力と和訳されることが多いのだが)だ、というわけです。@J_J_Kant

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posted at 14:06:17

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月10日

現象学では、意識は動態であり、つねに「~についての意識」いわゆる志向性だが、意識(統覚)が何かを能動的に意識するのではなく、その時々の動態的な対象が意識(統覚)を生むのです。(続く)@J_J_Kant

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posted at 14:05:22

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月10日

意識ではハードプロブレム、心身二元論です。ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%8F... しかしそれは(時が「実在しない」)静態だからです。@J_J_Kant

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posted at 14:04:27

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月10日

想像力と意識の違いを言っているのはカントの純粋理性批判の演繹論です。ハイデガーの主著『存在と時間』はそれを論じるための長たらしい序文、形式告示で、それが数学のゲーデルの不完全性定理よりも、直接的な形式性の破れの発見だと現代哲学は話題にするのです。@J_J_Kant

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posted at 14:03:52

中嶋 哲史 @J_J_Kant

16年6月10日

@sunamajiri なるほど。時が意識を生む、時が実在する、意識と想像力の違いや関係等々についてはすぐには理解できないので、やはり原典をよく読んでみたいですね。ぼくには「時間が実在する」というテーゼはまだよく飲み込めません。

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posted at 10:26:03

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月10日

このように認識論を立て直さないと、マクタガートのように時は実在しないというヘーゲリアンの主張に頽落します。時(感性)が与えた対象(他者)を数学(悟性)が思惟すると意識になるが、それを司る想像力が実在している、ゆえに時は実在しているとハイデガーは言いたいようです。@J_J_Kant

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posted at 04:50:08

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月10日

想像力はカントでも、感性と悟性の等根源です。感性(時)が対象を与え、悟性が思考すると、いわゆる意識になるのだが、ではなぜ感性が与えた対象を悟性(数学)が思考できるのかといえば、それは想像力が実在してるからなのです。bit.ly/1TIiBcL @J_J_Kant

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posted at 04:36:44

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月10日

ハイデガーによれば、カントもそれを言っているのだが、純粋理性批判第二版では留保をつけたために、それを曲解した、意識が時を生み出すという説が横行してしまい、認識論が歪んでしまった、とハイデガーは批判している、といえるのでしょう。@J_J_Kant

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posted at 04:31:35

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月10日

ハイデガーが想像力論でいっているのは、サルトルと正反対のようで、何方かといえば、時が意識を生み出すということを想像力というのです。意識が時ならぬ過去や未来の空想を繰り広げるというような話ではありません。@J_J_Kant

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posted at 04:29:18

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月10日

それゆえに想像力だけが他者を認識させしめる、という冒頭の捉え方が、ハイデガーに近いのです。意識が独断で他者を空想するのではないのです。twitter.com/sunamajiri/sta... @J_J_Kant

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posted at 04:22:58

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月10日

読んだほうが早いが、先入観との格闘はかなりの苦痛を伴います。しかし、それは単に意識を全ての出発点にする一元論ゆえです。《自分がいなくなっても続く世界》とおっしゃったが、そこに投げ出されてこそはじめて《意識》も生じるのです。何方かというとそういう話です。@J_J_Kant

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posted at 04:20:51

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月10日

それでは唯識か何か別の思想ですね。意識ではなく想像力ですよ。私が言ったのは《意識が時間と仰るが、それでなぜ客観的実在を否定出来ない、と言いうるのか》という点です。答えは、意識という一元論をしなければいいんです。意識が時を生むのではなく、時が意識を生むのです。@J_J_Kant

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posted at 04:13:41

中嶋 哲史 @J_J_Kant

16年6月10日

@sunamajiri 客観的というか超主観的というかそういう世界の実在もぼくはにわかには否定できないですね。

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posted at 02:09:37

中嶋 哲史 @J_J_Kant

16年6月10日

@sunamajiri うむ、でも世界を自分の意識の動きに一元化してしまうことにはやはり躊躇しますね。自分という存在が世界を構成する一部でありそれにより世界は意味を持つけれど、一方で他者によっても世界は意味付けられているし、自分がいなくなっても世界は続くだろうから、

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posted at 02:08:24

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月10日

なんでその時間で客観的実在性を否定しないのかがわからんですが、今年のセンター倫理問題を思い出しましたよ。@J_J_Kant ぼくは世界の客観的実在性は否定しないけれど、世界はぼくの意識の動きでありそれが時間。 pic.twitter.com/EqcXIcm3Jj

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posted at 01:07:09

中嶋 哲史 @J_J_Kant

16年6月10日

@sunamajiri それはよく分かりますよ。別にぼくは世界の客観的実在性は否定しないけれど、それはぼくの意識を通してしか実在はしないのだし、世界はぼくの意識の動きであり働きであってそれが時間ということなのでしょう。人は存在を存在たらしめている現存在だというのはよく分かります。

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posted at 00:25:32

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年6月10日

そうです。だからコギトなんです。誰が言った彼が言ったと無限に過去形を遡行していけば原因論が完了してしまう。それが形而上学です。ハイデガーはデカルトの不徹底を足がかりにしているが、そこで徹底される現前は、誰でも体験している日常の現在に起こっている出来事のことです。@J_J_Kant

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posted at 00:19:06

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