大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2016年07月06日(水)
かといって、短文が悪いわけではない、現象学的方向性があれば、カントのややこしい観念論論駁のようなものに基づいた、いわば正しいことがいえるんです。つまり方向づけられていないと、正しいも不正もいえない、ただそれだけのことでしょう。@chang__air @J_J_Kant
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posted at 19:00:51
しかも、それは予定調和ではない。話題が話題をその都度触発して発展するような関係性です。概念が派生して収束するような伝統的論理学に対して、現象学ではそうした関係性を論理的というのでしょう。だから饒舌に語るのでも、沈黙しているのでも同じです。@chang__air @J_J_Kant
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posted at 02:26:31
それを、西欧哲学では現象学というのです。まず意識は、ある方向付けが与えられた時に、それによって触発された現象で、その意識という現象は、とくに言葉を喋る時の方向性(志向性)のことで、それは何の話題か分かりながら喋るようなことです。@chang__air @J_J_Kant
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posted at 02:14:59
哲学で探求というと、不可知なものを探る営みと思われがちだが、実は、そんなことは分かった上で、より厳密にしようと探っているのです。つまり、喋りながら何かに偶然気づくというのとは正反対の営みで、何の話題か分かりながら喋るようなことです。@chang__air @J_J_Kant
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posted at 02:11:54
もっと簡単にうと、観念論が言葉遊びになるのは、様々な概念を分節して、大乗仏教の唯識論ではないが体系化してしまうのだが、その観念自体が何であるかは不問に付す、空(空論)にしてしまうのに対して、現象学はその存在自体を判明にするのです。@chang__air @J_J_Kant
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posted at 02:03:43
前者を頽落、後者を未来というのは、現代思想の源流であるハイデガー的な思想です。そして志向性というのは、意識はそれ自体で実体的にあるのではなく、必ず何かに触発される意識だ、ということです。唯識で言う非実体性(空)とは何か、という解答です。@chang__air @J_J_Kant
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posted at 02:00:01