大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2012年05月04日(金)
普通ジャズは語らずともジャズなのだが、フルートはこうやって常にジャズであることの自己弁護みたいな話になる。しかし実際は、ただやるだけ。私は音楽が何であるのか、という絶対論は余り好きではない。でも異端の楽器ゆえに、違いに言及するだけ。別に言葉で音楽とは?というつもりはない。
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posted at 00:01:42
このフルートがどこが違うか、という話は、自分用には実はあまり必要がない。ただジャズフルートを教えるという段になると、非常に必要な意識化作業になる。多分他の楽器の人には実感がわかないのかもしれない。私にはないが、フルートの人独特の囚われ方が先行するもので。
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posted at 00:03:29
フルートは、尺八や閉管のパンフルートより、か細い。そのため、音符的な正確さを、と訓練されてしまう。不正確や曖昧な演奏は単に聴こえない楽器だからなのだが。これを以前バロック的と総称したのだけれど、このフルーティスト独特の心理(曖昧が怖い)というのは、ある意味面白い。
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posted at 00:06:07
フルートであるからというコダワリがそもそも私にはないので、あんまりそういうことを意識したことがないというだけ。他のいわゆるジャズのメインストリームの楽器と同じように、ただ遊ぶだけ。しかし教えるとなると、大きな壁(なぜフルートでジャズをやるのかという説明)にぶつかる。
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posted at 00:09:08
ジャズをするにあたってフルートを選んだ、という意識があったわけではなく(それなら他の楽器を選んだはずだ)、フルートができたからジャズし始めたというだけだったので、なぜフルートでジャズをするのですか?と訊かれるのは結構困る。ただ他のフルートの人も同じようにできるはずと教えるしかない
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posted at 00:14:18
このフルートならではの自意識過剰みたいな状態は、他のフルートの方にジャズを教えるのでなければあまり起こらない。何故あなたも同じようにふつうにジャズにならないの?という説明をしはじめようとすると、いきなりそうなるだけなのよねー。みんな自然にやろうよ、という。(^-^)/
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posted at 00:16:39
そうそう。フルートの人には、譜面通りに吹くな!というだけで、今までそんなこと言われたことがない、と言われてしまう(^-^)/ @slitsandfrills 大本先生の一回目のレッスンは、生徒のフルートを柱に思いっきり打ち付けるところから始まるww すげーパンクだw それw
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posted at 00:30:30
懐疑主義のやり方にも欠点はある。対立の図式を持ち出し『われわれ』対『彼ら』という感覚、『真理はわれわれが独占している』という感覚。『こんな馬鹿げた教義を信じている連中は頭が悪い』といった論調がそれである。
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posted at 10:08:52
般若心経というのは、<すべての存在物は、ぼく自身を含めて実体ではない>とする、いわゆる<空>ということを心髄とする永遠の現代思想である。歴史上のものでも、お寺だけのものでも、仏教だけのものでもない。(『ここで暮らす楽しみ』 千四百万年という時間 p210)
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posted at 10:28:03
2012年05月05日(土)
中断していたが、ここから。手前で、1)デカルトは肯定的な神に拘り物事の起生原因を証明できない、2)自己原因が、デカルトの証明(デカルトの証明の布置)だけでは、証明されない。ではスピノザはどうやって?という話になっている。 t.co/0mgLTLfd
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posted at 06:27:04
(読書)デカルトの証明のままでは、自己原因は(物事の)起生原因を証明できず、神は因果的に超越してしまう。そこでスピノザは内在的原因=本質を、存在の原因と分ける、という。
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posted at 06:39:12
(読書)いずれにせよ、因果的に超越的な審級を神としないための、自己原因という証明が、論理的に可能なのか、というお話で興味は尽きない。こういう話は大好きなのだ。だが、そろそろ朝の読書タイムは終わり(^-^)/
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posted at 07:01:45
昨日ツイートしたように、スピノザはどこか日本語になりにくい概念提出に見える。憶測だが、日本では、「神」を、(スピノザの言う因果的に)超越的な語義として、近代を構築したからなのかなー。なんとなくそう思えてるんだよね。どこか日本語になりづらいところがある。それを読むのがとっても好き。
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posted at 07:23:34
そうそう。その一点だけにいわば関心があるの。どうも日本の近代的言説一般は神という語の意味を超越にして、超越者を作りたがってるように見えてしまう。それが神(という語義)の死なんだなーって。日本語化されずらいスピノザ的テクストから痛感する。@LitoSnowfield 日本語の特性
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posted at 07:54:14
超越化したい人がいるんでしょうね、神という語義を超越者と思考停止する日本語があるということは。(^-^)/RT @LitoSnowfield なるほど…そういう背景があった場合は、先程にsunamajiriさんが仰った“日本語化出来ない部分”に気が付かずにご自分でご自分を目眩ま
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posted at 21:34:26
成る程。八百万だから、テクスト内の神という語義まで、その一つと躓いて超人願望になっちゃうというのはありそう(^-^)/@LitoSnowfield 神=超越者となるのは、至る所に神様がいる国だったからかな? …とも思ったりもしました。超越者→神となるような印象もあったりもします
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posted at 23:37:55
2012年05月06日(日)
存在(という語義)に対する「存在しない原因」という反証が、証明の命題にはなりようがなかったように、信じないという事柄があるものなのだろうか。信じている人々がいるから信じない、というのは単なる反対語ではあっても、何かを証明しているわけではない気がする。
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posted at 00:11:00
言語論的転回以降は、スピノザの神の因果性が言論的転回に見える、にも拘らず田島氏のように存在証明を度外視してスピノザを受容する非実在論t.co/ZifFH4g8 というのは、神という語義を超越化する無意識なのではないか?と言っていたのだが、ノヴァーリス凄いw
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posted at 00:40:19
t.co/r7oNHckn そーかなー。古典はそうでも現代文は、近代以降の西欧化の葛藤がどう言葉化されるかという命題を、より直接に教示すること以外ではない。国語教育を誤ってはいけない。英語学的英語というのも日本の特殊な英語教育に限った話なわけで。(・_・;)
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posted at 01:48:45
t.co/olJx11FB つまり生徒を葛藤させるようなのは教育学にも悖る。教育学の側が(西欧化の)葛藤を引きずっているかのようだ。各国語学の前に言語学であり哲学なのだ。そういう原理を考えずに、生徒の葛藤や混乱を取り除けるものなのだろうか?
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posted at 02:04:09
2012年05月07日(月)
最近BOTが豊穣だが、ロマン派以前はあまり見かけない。たぶん140字では有意味化しない様式だからなのだろうか? その点が興味深い。140字にロマンを感じた(^-^)/
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posted at 21:03:02
2012年05月08日(火)
2012年05月09日(水)
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現代思想は性感論みたいに聴こえることがよくあるんですが、このあたり非常に晦渋な雰囲気があります、和訳を読んで理解できるかなー(・_・;) @femmelets ~《肉》と規定されます。《自分に触れる身体が同時に触れられる身体でもある》交差配列(キアスム)。
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posted at 14:21:24
ほんとはクリプキをもう一度読んで、ウィットゲンシュタインをもう一度読んで、ゲーデルの数式が理解できない辺りを慰めようとおもっていたのですが、そんな《作られたパラドックス》に囚らわれるより、実存か現存在か身体をもっと肯定してあげないと、殺されるだけなんだわきっと(・_・;)
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posted at 14:37:58
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