大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2012年06月22日(金)
國分氏によるとスピノザは、言葉(観念でもよい)が物を指示する真偽の基準=標識を無限懐疑となる実在性の量として斥けて、論理的順序にとっては実在する実体が唯一であるという観念を定理8までで証明することで、デカルトの神を度外視するようなのだが。t.co/SpVsc3QJ
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posted at 16:30:56
t.co/7XctLipm もちろんデカルトに唯物論があると思えないし、デカルト以前に無神論や唯物論、つまり懐疑論は寧ろ喧しくあったとは思うのだが、なぜそれがデカルト以降に前景化したのだろう? それほど攝津-廣松のいう17世紀の明澄説は詐術的なのかしら?
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posted at 16:13:24
なぜ唯物論(言葉が物の原因ではないこと)は、デカルト以降固有なのかを、攝津氏のt.co/SpVsc3QJ から考えながら、デカルト省察の冒頭要約部。観念の明澄さとは何だったのだろう? t.co/GsKxSO3E
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posted at 16:03:58
ちなみにスピノザは、エチカ以外は、岩波文庫も全部廃刊されてる。普通に買えない。全集もないし。それだけエチカだけが完成されてるからなんだろうけど、エチカ単体だと実はその後の西欧近代の誤読史に直結したのかもしれない。國分さんのインパクトはそんな感じ。@nakagawasun
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posted at 08:31:06
2部の『デカルトの哲学原理』が、いかに3部の『エチカ』の前史になって同定理8までを可能にしたのか、そしてそれが分かるのが一部の『知性改善論』の破綻だ、という立論だよ。スピノザの『デカルトの哲学原理』が今まで軽視されてたために、エチカの神も誤読されていた。@nakagawasun
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posted at 08:26:18
國分さんのスピノザの方法をお読みになっているんですよね? それはスピノザが実体という名目を、実在性に(定理8までで)転換して、あとは神に触れないでも人のことを話せるようになる(合理性)、つまり西欧哲学における概念の解決だ、という言説でした。@nakagawasun は~ぃ。
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posted at 07:54:34
哲学の概念で不明になるようでしたら、普通に西欧哲学の解説書をお読みになるのがいいと思います。それをいきなり現代思想から始めたら頭がグラグラになるのは無理からぬことです。(主体性どころか)脈絡を奪われるのですから、私はそれで何人も発病した人を知っています。@nakagawasun
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posted at 07:48:47
t.co/uXROZnB2 日本で今何が現象しているのか、ということを考えるときに、日本的ポストモダン(バブル時代に流行った高度消費理論、言語哲学など)が、結果的に、いかにその後の日本に、主体性を奪われた弱者を生み出したのか、という分析をしていたことになるようです。
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posted at 06:22:17
t.co/uXROZnB2 摂津氏の日本のポストモダン分析は、主体性を奪う詐術を明らかにする試みに見えましたが、中川郁代さんとの対話では、原発への無関心や、無力な貧困層という、弱者の主体性が被支配となる、詐術だったのではないか、と発展しました。
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posted at 06:18:41
それを國分的スピノザは、実体によって生じる懐疑者が自動的に学ぶまで、指導を放棄してしまうのだが、たぶん必要なのは、知らないフリ、分からないフリ、が得策ということだろうな。しかし、バカのフリは真逆。馬鹿正直に哲学の話をするのがバカなのだろうが、それだと逆効果ww
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posted at 05:56:18
攝津氏の吉本隆明の原生的疎外(知による疎外)が、非知→死の欲動なら、この知ってる人間が、知らない人間に、指導することが不可能で、へたすりゃ殺される、と思えてしまう、分からない奴に分かる奴が骨までしゃぶられる。そういうのは私は嫌だww(^-^)/
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posted at 05:52:10
2012年06月21日(木)
「神話」「幻想」……ファンタジーに思えるかもしれないけど、現代文では単なる思い込みという意味合いが強いわよね。ただ、そんなことを言い出したらキリがない面もあるわよね。貨幣も国家も、制度――人間の文化的な営み――はすべて幻想と言っても過言ではないわ。実体など、ないのだから。
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posted at 01:08:04
2012年06月20日(水)
文の超訳をゲームとして楽しんでるのだが、フッサールの入れ子は大変。フッサール省察第19節の超訳。「思うにとって我が顕在的であること=生は、世界内部のものを対象とした、潜在的な志向的地平を持つ体験だ。」これで勝ったか?笑(^-^)/
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posted at 15:34:24
やりたい(特定の)の物事とかいってると淘汰されちゃうから、万物を産むのよ、世界は無限らしいから(^-^)/ @shirafunogotoku 自分がやりたいこと。ってなんなのか。結局わからないまま生きて行くんだなぁ。
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posted at 13:18:19
そのマイミクさんが、震災直後、原発がああなったのは理系が頭が固いのではなく、文系の経営者の創意工夫がたらないからだ、と反論していたのだが、どうしてこれほど日本では理系文系という訳の分からない分断の仕方が定着してしまったんだろう。それが日本の限界に見える。
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posted at 03:09:32
こういう風に、毎回躓いてくれるのが、みんな理系というのは、多分偶然ではない。言葉は無意味なはずだ、と高をくくっている。まあだから日本では理系に行くのかもしれないが、民生品でも原発でも官僚並みに頭が硬そうだ。
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posted at 03:06:31
読解塾で一番手を焼くのが、文など無意味だと言って、文に躓く生徒で、特に理系の男子に目立つ。一々、文中の概念と自分のプライドの背くらべになり、文中の対比が読めなくなってしまう。
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posted at 02:57:07
昨日、文学や哲学のネチネチした話題をツイッターからMIXIに転送するのは不快だ、と突っかかってきたマイミクさんも、どうも文章など全てナンセンスで読むに値しない、と高をくくっているようなのだ。しかしこれは職業柄、見過ごせない。
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posted at 02:53:25
難しい言い方をしたが、文は関係性だt.co/1329ngIV ということなのだが、頭が硬いと、一々「人間って何ですか?神って何ですか?」と自問して、答えが得られない文章など無意味だ、と躓いてしまうということ。それが経験上、日本ではなぜか理系に多いという話。
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posted at 02:44:43
この存在論が、言語の主述による表現に固有の形式だ、ということが通じない人達がいるというお話だ。言語は比喩や遊びであり、従ってどんな原理も表していないはずだというのは、カッコに入れるエポケー(判断停止)に相当しているはずだが、毎回突っかかってくる理系の人達は、文を真面目に読まない。
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posted at 02:38:49
文の読解は、たとえ最極端のスピノザの幾何学的定理のような書き方であっても、躓くと痛い目にあうのだが、その理系の方々は、それに本当に躓いてくれる。たとえば、文中に神とあったら、そんなものがあるはずがないと、いきなり実体化して読んでしまう。つまり存在論に躓くらしい。
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posted at 02:34:05
それにしても、読解や哲学をこう考えたら?という言い方に、毎回突っかかってくるのが日本では理系の石頭だ、というのが解せないな。彼らには、文や比喩や哲学が原理に触れているはずがない、という強い思い込みがあるとしか考えられない。つまり頭が硬い。こういう理系がどうしても日本的に見える。
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posted at 02:29:27
2012年06月19日(火)
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posted at xx:xx:xx
じつは読解塾で高校生にも、読解は対比と因果と概説するときに、日本の近代にないものは何?と答えさせるんですが、西欧では人が神になれないという謙虚さを自覚するが、日本には思考の上でそういう神が不在なので、謙虚さというのが常々難しい、それだけ対立項がないのは恐ろしい、と教えるんです。
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posted at 13:38:30
2012年06月17日(日)
数学の授業で、ある関数それ自体の意味を教えるのかしら? 文は数学より単純に割り切れる対立項と理由による言明(因果性=原因への言及)があるだけだよ。割り切れない数すら扱われていない。それが国語。
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posted at 20:44:00
ある物の意味を教えるのが国語の授業じゃないだろう。文脈中の対立項を抽出させて、どの理由で、どのような言明があるかを、理解させればいいだけ。フィクションはもちろん明文法とも嘘とも、論じられることはないはず。文をみなくても常識的に分かるんだが(^-^)/
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posted at 20:39:27
フッサール省察第十七節の超訳。我が思う何かと何かを結びつける綜合こそ意識に固有とする哲学的方法(現象学)では、意識は何を知覚するかという心理主義を脱して、それと平行した想起などの直観も、我が思う何か(志向対象)として記述する綜合=意識の述定となる。
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posted at 19:31:55
フッサール省察第十六節の超訳。何かを思っているという意識の志向性を考えずに、感覚与件から心理学をすると、形態(ゲシュタルト)を先行する全体とする先入観に陥るが、先行するのはあくまでもデカルト的な思っている我であり、それを前提に心的内容も記述しなければならない。
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posted at 18:54:02
スピノザの場合、実体(神)の存在の証明手続きをエチカの定理8までで片付けてしまい(國分のいう証明の破棄)、決定論というより指導(学びでもいい)の自動性で脱懐疑化する道=方法というだけだが、その後の哲学史はそれを(括弧に入れず)決定論と誤読して仏教に直結してしまうということなのか?
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posted at 16:21:54
読解塾に到着。寝ている間に攝津氏から、ネグリ→スピノザの話から、フォイエルバッハのヘーゲルの媒介性(人間は他人の欲望だ)批判、ニーチェの超人(大衆化した読者個人の終わり)から、北朝鮮の主体思想、中国共産党の儒教思想、仏教とスピノザの脱懐疑論まで大量のメンションがきたのでRTした。
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posted at 16:14:48
あー、そーいえば前も仰ってましたね、フルートの特殊性。なるほどー。RT @sunamajiri: じつはフルートの子だけそこが特殊で、クラシックだと頭よすぎるから、ジャズやると馬鹿になれる、と舐めてかかってくるから、なんちゃってジャズをやればいいと思っている(^-^)/ @nea
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posted at 02:43:09
でも案外、難読な現代文は、へんてこなハイデガーの和訳の引用文体だったりするから、欧文に直すとすんなりかも(^-^)/ @mimi_smpc000 国語力全くないかもー 高校時は現代文より漢文が得意だったわw 難しい日本語は英語に訳した方が分かったりするかも、、、なレベルで壊滅的
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posted at 02:15:28
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