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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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  • 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
並び順 : 新→古 | 古→新

2012年11月10日(土)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月10日

それこそデカルトは認識の例示ばかり、メルロが身体性の例示をしているのと対照的。認識の例示では症例=女性は蚊帳の外ですね。@KeitaRoco 女性を真理と云う発言は男根中心主義からのものとは云えません。真理とは中心的価値のことです。恐らくこれは認識論が発達してからの物語でしょう。

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posted at 02:36:47

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月10日

ちょっとお話ずれますが、楽器の身体化など、身体化の例示からみると、デカルトのような認識を例示する分析自体が病例に見えます。身体の綜合からは認識が病理にみえるという話です。t.co/E2JRyt2E @sunamajiri @KeitaRoco

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posted at 02:56:14

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月10日

ちなみに自己の身体の綜合の直前が、楽器奏者の身体化の例示です。オルガン奏者が楽器が変わっても軽いアジャストで弾けるのは、機械論では説明できず音楽だという話。このように例示とは身体的で、デカルトのように認識を例示すると観念的ですね。例示できるのはつねに身体性。@sunamajiri

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posted at 03:01:27

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月10日

つまり例示が身体化なのだが、認識を例示するデカルト的な言語は、したがって例示の矛盾のようなもの。そこからは身体化しない(できない)あらゆる病理は、例示できない。t.co/E2JRyt2E @sunamajiri

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posted at 03:03:18

露光苑 @keita_roco

12年11月10日

@sunamajiri 遅れました。幻肢体験諸般はまだしも認識論の派生物と云えるかもしれません。深くは自我の追従過程です。切断を回避したというのは…彼でなければバークリーの業績でしょう。背景からしますと国民国家が仕上がる過程で彼らは現れてきました。ホッブズの国家も一応肉体でした。

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posted at 08:26:40

露光苑 @keita_roco

12年11月10日

@sunamajiri デカルトは特異です。聖職者が哲学者に「墜ちる」分水嶺を著したものと捉えることが許されるかもしれません。身体への帰還がローマへの帰還を意味しようと仏文人は何らかの意味で絶対主義者です。メルロ=ポンティかゴダールかは存じませんが仏文人は進化したのでしょう…。

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posted at 08:33:44

露光苑 @keita_roco

12年11月10日

@sunamajiri 興味深いお話ありがとうございました。それにしても国民国家は残り…デカルト的な「制約性」とホッブズの自由が残り…そして独裁の可能性が残ったわけですが、それにしても彼らには批判(の中立性)に絶えず帰還させてくれる気配があります。興味深いお話です…また後日。

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posted at 08:42:14

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月10日

授業メモ。東大2010は身体論では、前半の内面信仰=近代化は、自分にとっての生身=プライバシー(社会的自己)、後半は他人からみたら分身=個人情報。 t.co/Zzv3llM4

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posted at 17:44:46

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月10日

授業メモt.co/fv0L8QI5 自己にとって身体化したプライバシーが、情報化で他人に知られる分身=個人情報となった。例えば私はネットではうさちゃんになれた、といったらフォロワーの生徒さん合点したみたいだった(^-^)/ t.co/9Ebz6HJw

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posted at 22:19:38

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月10日

設問中のデータダブルとは、内面化した身体性というプライバシー(そうした身体的な私生活などを秘匿するのが、文中の自己統一の社会的道徳)が、情報化によって分身(個人情報という表象)に分節化されたということ。つねに(身体)現象は表象の批判としてしかない。@sunamajiri

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posted at 22:30:38

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月10日

授業メモ。同じポストプライバシーから出題された早大問題、理由→命題のないものは説明ではない、それが正解選択肢。
近代化は理由→説明になるが問一の正解
イはトートロジー=理由がない。近代化以外に説明の理由はない。 t.co/oAdZP1wx

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posted at 22:34:45

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月10日

授業メモ。またセンター2002。立ち現れるのは意味。意味を立ち現わすのは身体。それが身体化=言語化。身体が意味化するのが(する中に)神。 t.co/W55xj6kP

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posted at 22:48:18

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月10日

授業メモ。センター撃沈する生徒さんがきたので、診断。中学国語までは文中の文言の検索ですむが、言い換えられた選択肢に文中の文言はない。それが高校国語と、説明。つまり換言力だが、換言は理由のよる対比がないと確定しない、と解き方に即して指導。さて言い換えが見つかるか?

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posted at 22:48:42

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月10日

違うよ~。イとオで迷うように出題されてるけど、イは近代化という理由に説明がない、近代になったから近代だ式の同語反復で説明になってない。さっきの授業そのものよ。近代を説明しないものは国語では不可。出題文は t.co/2AXMryZq @NudistExercise

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posted at 23:28:21

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月10日

即成近代では国語は端的に近代の説明しか問えないよー、たとえ記号論や身体論でも、近代化の説明の道具に還元されているのが即成近代では国語だもの。(^-^)/ @NudistExercise

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posted at 23:47:32

2012年11月11日(日)

ルドルフ・シュタイナー @R_Steiner_jp

12年11月11日

ヘーゲルは思考の客観性のみを強調した。が、多数の人間は主観性だけを見るので、彼らはヘーゲルが純粋に理念的なものを一個の事象のように扱い、神秘化していると思うのだ。現代の学者でさえ多くはこの誤解に囚われている。ヘーゲルは自分のものではない誤謬の責任を問われているのだ。

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posted at 04:03:54

非公開

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posted at xx:xx:xx

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月11日

ご愁傷様というか、メルロが書くような意味での音楽の仕方から見ると、メルロの書き方=仕方が病的に見える程なのですが、平面にデッサンという奥行きの捉え方=仕方からは、たしかにメルロの仕方は、文字通りにゲシュタルト崩壊させる威力がありそうよね。@aoinatsunosora

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posted at 23:54:16

2012年11月12日(月)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月12日

そう、スピノザの方法とは、デカルト的な方法序説という、哲学の始め方(仕方)、物事を対象にしてしまうような捉え方(認識)が、結局、神への信仰だけで成り立っていた、ということを暴露する仕方になっているのだけど、以来、つまりヘーゲル以降、仕方とはそのような暴露、現象学になった。

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posted at 00:10:06

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月12日

【受験生へ】このように、仕方とは、仕方の無いこと(たとえば、可愛い女の子を平面=二次元に写し替えたって、仕方が無いこと)を、暴露する仕方=現象学なのよ。評論はそういう仕方=現象学で書かれるものなの。とっても身近な話題、自分たちの生=性に近づく仕方だ、というのが分かった?

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posted at 00:17:16

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月12日

理由t.co/L3MQwOvX が無い言葉を書くとそう現象しそう。そこが仏典のようなハイデガーの誤読に聴こえるのよーww(^-^)/ @jpsartre_bot 書くという欲求は生きることの拒否に包まれている。サルトル『言葉』

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posted at 01:34:35

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月12日

音楽の仕方から、メルロの症例による身体化の仕方を見ると、デッサンなど平面という不自然なものへの奥行きの仕方が、病的に見えるほどなのだけれど、メルロの知覚の現象学の症例VS正常の弁証法に対して、音楽VS絵画という弁証法が、何かの仕方を現すような気がした。@sunamajiri

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posted at 05:04:35

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月12日

症例VS正常による身体化が援用せざるを得ない音楽VS絵画という弁証法が表す仕方が、なぜか端的に文の読み方を現しているように感じた。それほど音楽と絵画は対照的なのかも。私は即興演奏するときに目をつぶる癖があるようなのだけど、何も見ていないときに出来たりする。@sunamajiri

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posted at 05:07:29

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月12日

一方、たとえば私が見ているものというのは、ほとんど(かつて観念と呼ばれた)テクスト(文字)。それに対して画家は、純粋視覚のように見ようとして、しかも見るだけでなく平面にデッサンしようとする。たとえば私だと、そういうものは見えていなかったりする。@sunamajiri

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posted at 05:11:51

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月12日

いわば、目を瞑ると音楽が出来て(身体化して)、目を開けると文しか見えず、画家のような純粋視覚は微塵もない。この世界に属して何かが純粋に見えるということが、音楽とは正反対ですらある、あるいはそれと何かによってしか結節しない、というのが興味深い。@sunamajiri

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posted at 05:20:18

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月12日

たとえばメルロが、デッサンの仕方を描写する仕方(そう、メルロポンティの『知覚の現象学』というテクストは、小説以上に描写が主体のテクスト。このメタ描写のようなテクストで彼は何かを描写したいのだ)は、こういう辺り。t.co/6SX5Ptp7 @sunamajiri

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posted at 05:35:49

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月12日

この描写する仕方だけを志向するテクスト、メタ描写というのは、あまり読者論的ではないのだろう、読まれる仕方まで折り込んでは語られていない。しかし、読み方はおそらく音楽VS絵画のような、対照性からしか現れてこないかのようだ。@sunamajiri

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posted at 06:06:55

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月12日

語る仕方だけに徹した、非読者論的なテクスト、それはまさに国語の客観テストが好むテクストなのだが、そこからは音楽の仕方は出てこない。絵画の仕方はおそらく語られるが、それによって間接的に現れているのが、読み方だけ。このように、読み方が間接化されたテクスト。@sunamajiri

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posted at 06:09:29

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月12日

目を瞑ると音楽が次第にたちあがり、目を開けると純粋なものはなく、目に入るものはテクストか、テクスト的な表象だけだ。目を開けていて、それだけ音楽的というのは天才的でうらやましいほどだ。(^-^)/ @femmelets

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posted at 06:16:03

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月12日

その数ヵ月後にメルロ学者が私の端的性で発狂し、私を神と端的に名指すようになり、そのラカン読書会にまたきてくれと電話がきた翌日から入院しているよw @LitoSnowfield sunamajiriさんに端的に示された内容が田島先生の中にある知識と結びついて興奮されているような文章

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posted at 06:19:37

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月12日

うさちゃんだよー、ほら哲学ジャーゴンから、一人称のうさちゃんに戻れた~(^-^)/ @LitoSnowfield ははぁ〜〜〜女神さまぁ〜〜〜(*u_u)/

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posted at 06:33:08

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月12日

ツイートまとめ@FB(^-^)/ 国語に頻出する現象学的文の中の用語「仕方」。絵画の仕方を描写する文が音楽の仕方を神と名づける読み方について。目を瞑っていても立ち現れるもの。
t.co/GYz5sKhF

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posted at 07:01:56

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月12日

このように、近代の礎となった、認識という営みは、ひどく女性的というか、女性の自我になりやすい。彼女たちは認識しメンヘラになる、彼らは認識され自由だ。そんな感じ? じつは認識させらえているのが女性の側、ということはあまり意識化されていない。@sunamajiri

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posted at 08:54:45

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月12日

たとえば見る(視覚)ということでは、女性は見られて、男性は見られない、あるいは女性は身体に疎外され、男性は身体から疎外される、といわれるわけだが、しかし、認識ということでは、女性のほうがよほど認識者になり、男性は認識することから自由な気がする。@sunamajiri

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posted at 08:57:31

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月12日

彼女たちにとって相手とは見るより認識する対象なので、つねに認識とは違った結果に直面して、認識が思い込みに過ぎなかったと悟らされる。そういう認識の殻に閉じ込められているのが、おそらく近代では女性なんだと思う。男性はそれほど認識を絶対視したりはしないだろう。@sunamajiri

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posted at 09:00:12

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月12日

いいかえると、身体から疎外され相手を見ることで認識を免れる男性こそが、女性からは自由に見える。しかしこの自由を女性は認識しようとする。かくも認識というものはあてにならない。そんな風に、方法=認識、現象学=仕方、とは対照的。@sunamajiri

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posted at 09:03:06

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月12日

近代文明=科学である認識の方法で見えなくされるものが自分。見ることだけに専念する男性は認識を疎かにする。しかし女性は見るよりも認識しようとする。男子を科学しているわけだがはぐらかされる。こういう科学では見えてこない自分を記述するのが現象学の仕方。@sunamajiri

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posted at 09:12:00

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月12日

はっきり言って、現代文という診断テストでは、認識の病に陥りメンヘラになってしまう現代病だけを真正面から問えば十分と思えるほどだ。言い換えれば大学受験の成否は、メンヘラになりそうな認識の病を持っていないかどうかが査定されるだけ。現代文はその道具にされている。@sunamajiri

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posted at 09:32:28

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月12日

このように、認識する主体とは、じつはリスクマネージメントができない、自我形成に至らない状態。お分かりのように近代的自我とは、認識する自我ではないということ。国語では、自我が認識する主体ではない、という問題が精密に測定される。@sunamajiri

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posted at 09:51:32

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

12年11月12日

(国語が客観テストするような)《正常な自我》は、認識しない。認識しない自我が試される。認識をしない、ゆえに我あり、のようなもの。@sunamajiri

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posted at 10:36:01

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