大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2013年02月27日(水)
ツイートまとめ@FB(^-^)/ 自然倍音律に逆らった人工的な終止形=3度系、ジャズは4度系で自由=自然になろうとして、失敗したという府川くんの白熱音楽理論、面白かったよー、アーメン(^-^)/
www.facebook.com/kaoru.ohmoto/p... @sunamajiri
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posted at 04:39:06
ツイートまとめ@FB(^-^)/ 心のなかの音という近代二元論から、音楽の仕方を最も変えられたジャズという話。
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posted at 03:34:40
自然界の倍音律に逆らって、終止形=調性感でロマン主義的な心が芽生えちゃう近代人って、不順律よねwww アーメンって終息したいのかしらね?(^-^)/ @bassfukawa
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posted at 02:53:35
自然倍音に逆らった人工的な平均律が生み出すのがトーナリティー(ドレミファソラシドの調性感=ジャズ用語では3度系という)で、ジャズがそこから自由になろうとすればするほど、かえって自然界の逆襲を受けてトーナリティーに戻される、という。(^-^)/@bassfukawa
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posted at 02:42:45
そこで面白かったのは、ジャズは一旦自由になろうとして4度系=アンチトーナルになるが、それこそ倍音の自然界に逆襲されて、平均律=3度系のロマン主義に戻されているという話だったのだが。(^-^)/@sunamajiri @bassfukawa
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posted at 02:37:14
堂々巡り(それは近代的自我独特のパラドクスでもある)が始まってるね。自然はロマン主義と自然主義の範疇twitter.com/gendaibuntan/s... から考えないと、音楽の自然(という話)も見えてこないと思うよ。(^-^)/ @bassfukawa
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posted at 02:12:41
これtwitter.com/jai_an/status/... だよ。哲学とは訓練だという方。確かに、概念は言語として(仏典togetter.com/li/413642 のように)自然ではないから教育では、という話。しかし音楽も自然でない、という流れでした。@sasaki_92
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posted at 02:06:37
そういう言い方をする人がいるのよ。日本が近代以降希求しているらしい概念によらない文ということらしいよ。西田の無twitter.com/Nishida_Kitaro... のつもりなんじゃない?(^-^)/ @sasaki_92 現象学が「自然な文」というのはどういうことですか?
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posted at 01:48:38
(あほな)哲学者は現象学などといって、「自然な文」に憧れるけど、当然、音楽にも自然はない。ピタゴリス音律にすら、結局、自然はない。(^-^)/ @bassfukawa 音楽とは音楽である時点で既に人工物だ。~本物の自然の一部ですらない擬似的な自然に過ぎない。
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posted at 01:41:05
この府川君の音楽理論トークは、三度系の音楽=調性音楽(ドレミファソラシド)になぜ近代人は心を感じているのか、という話に思える。それはピタゴラス音階的には実にパラドキシカルだ。
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posted at 00:04:49
2013年02月26日(火)
府川くんの音楽理論トークが熱い。そうそう、ファという音は次の調性を予感させる。だからトーナリティーにとって、ファはアヴォイドなのだが、4度系のモーダルでは、それが多用される。それ(モード以降のジャズ)はピタゴラス音階にとっては自然=スピリットなのか?という命題ww(^-^)/
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posted at 23:54:46
テラノバの一方の息子はパラドクスを発見するとこまでいく。しかしもう一人の息子が平和に生活する楽園を戦場にするだけ。彼が発見するパラドクスは、一方通行のタイムトンネルを双方向にする数式。そのせいで彼は父親から楽園を追われてしまい、戦車を連れて楽園を蹂躙する。@sunamajiri
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posted at 23:44:25
テラノバをみていると、スピルバーグにダブルオイディプスでも、息子というパラドクスの存在を、いわば禁止させてしまうのも、戦場というモチーフなんだというのがよく分かる。あまりにもトラウマ。だからタイムスリップなのにドラマが必然化されておらず、話が閉じてしまう。@sunamajiri
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posted at 23:32:04
タイムスリップなら、オイディプスを超えるために、タイムパラドックスが常套なのに、スピルバーグは紋切型の戦場でクライマックスを作るだけで、父子譚も干上がってしまう。映像から原作者になると、ダブルオイディプスという物語の奥行きを発見できないかのようだ。@sunamajiri
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posted at 23:09:33
そうそう。公教育を親の代補みたいに捉えると、教育勅語的な公教育への全的な過信にしかならないから、いくら階級を超えたチューリングマシンでも、機能しない。www(^-^)/ @Osiokiman 学校は勉強だけ教えてりゃいいのに~、躾は親の仕事だろと
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posted at 22:38:30
元来、日本は子供に体罰をしない特殊な文化fb.me/1lgIYyNa3 だったらしいが、過度に公教育を幻想したいというのは、親の代わりに寺で躾けてるつもりなんだろう。出家教育みたいで気持ち悪い。オウムと代わらん。@Osiokiman 教育なんぞ全く意味ないというこ~
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posted at 22:24:46
内容があるのか内容がないのか、というくだらん話があるのだが、西欧音楽の輸入で二元論的に心の中にある音、というような内容はないな。コギトはあるんだろうけどね。心があるわけではないんだろう。そういうのは音楽の習得とかで実感するしかない問題のはずだが。@sunamajiri
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posted at 01:18:37
「仕方」とはうまい言い方するねーww それでコード楽器奏者も、音楽の「仕方」を変えた、それがジャズがモダンになったということだからね。@sunamajiri @bassfukawa 単音楽器とはまた違った捉え方や指グセや「没入」の仕方
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posted at 01:01:53
だからパーカーは管楽器だから天才的にジャズをモダンにしちゃったのよ。シングルトーンで指グセに専念した瞬間にⅡⅤⅠが生まれたわけだし。@bassfukawa ピアニストとかギタリストの場合は違うと思いますけどねw 彼らには我々単音楽器とはまた違った捉え方や指グセや「没入」の仕方
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posted at 01:00:22
そうそう、あんな「指グセの音楽」、マニアックに指グセを身に着けていない一般ピープルには、雰囲気としてしか聴こえていない。それで雰囲気が醸し出されてるわけでもあるのだが。@bassfukawa 多くの人にとってはそうではない。ジャズは空気のようなものになっている。
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posted at 00:57:53
心のなかに音があって、それを練習して指にというクラシックの指導法が日本では誤解を招いているのよね。自分の頭の中の音ではなく、他人の音を耳コピできるかというのも、指グセをしこたま身体化させていなければ、できるはずがない。ジャズはそれが一番唐突というだけだよ。@toshiology
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posted at 00:47:42
2013年02月25日(月)
日本人はなぜかみんな頭の中で音が鳴ってからそれを運指すると思って練習するでしょ? 日本人が陥る音楽の心身二元論なんだけど。ジャズのアドリブにそういう感覚は皆無なのよ。指が動いたら音が実際に鳴るだけ。だから指グセしかない。そう考えてみんな練習するのよ。@toshiology
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posted at 23:51:33
それが身体化というより、指グセ=頭の中で鳴る音、さらにベンソンのように声に出す音がピタッと一致して、もう頭の中ではなく指先に音があるような境地なのよ。パーカーはそういう完璧な指グセの持ち主で、管楽器は指グセを作りやすい。コルトレーンが精神的なのもそういう没頭@toshiology
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posted at 23:46:50
布川君が音楽理論ツイート頑張ってるな。いくらアバンギャルドジャズが四度系を自然と神秘化させても所詮、純正律ではなく平均律には自然はない、だからモード奏法は門切り型に行き詰まるという話、そのとおりそんなものはスピリチュアルでもなんでもない、単に管楽器で四度系は指グセにしづらいだけ。
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posted at 23:33:01
2013年02月23日(土)
ツイートまとめ@FB(^-^)/ 『強がりからアホへ。あえて問うなら、解説文=啓蒙は自然な国語でなかったのか、かな? つねに相手は分かっている、と読むこと。』
www.facebook.com/kaoru.ohmoto/p... @sunamajiri
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posted at 16:54:53
いうまでもなく、日本的近代の最大の弱点は、この自分には分からないものがあるはずで、それを啓蒙されたいという欲求。しかし、それと解説書は単なる啓蒙書だ、というのは別問題。解説書の成否とは、読者が分かっていると踏まえられるかどうかということなのだから。@sunamajiri
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posted at 16:52:10
この相手は分かっているはずだという接し方twitter.com/sunamajiri/sta... なくして、何もはじまらないのは、当たり前。教えてあげるというのは、じつはそういう接し方のことで、私は天才的にそれをいつも実践しているわけだww @sunamajiri
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posted at 16:40:51
この、相手も分かるはずだという話し方が、日本人の国語力の根本問題だ、という指摘は、毎度してると思うのだが。→ twitter.com/sunamajiri/sta... お前に内容があるのか?と問われたら、在ると言わないと、単に矛盾が疑われる。@sunamajiri
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posted at 16:38:10
それはとても簡単なことで、みんな分かっている(はずだ)と踏まえるようなもの。相手が分かっていないはずという話し方は、話にならない。冒頭に戻ると、竹田氏が分かるかと問われれば、彼が言っているのもそのことだと分かるだけ。だからそう言わなければならない。@sunamajiri
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posted at 16:34:05
(承前)「内容」という現象学用語は自然に受け止めないと、分かっていないことになる。勉強するから分かるというのはまずありえない。分かっている自分の内容を、いかに(妥当と)確証できるか。それだけしかない。@sunamajiri
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posted at 16:21:51
いつも個別授業では、分かっている気がするんですがそれでいいんですか、と生徒さんから相談される。それで、分かるというのは読み終わって、あるいは勉強して分かるのではない、そう思えれば分かっている、という話をする。内容という~(続) @sunamajiri
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posted at 16:19:51
たとえば誰でも「内容」がなければ、他人の書いたものが読めるはずがない。つまり、読んだから内容を啓発されるわけではない。読む前から分かっているものだ、というのはいつも言っている話。分かるというのは、そういうこと。@sunamajiri
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posted at 16:16:04
ところで、A先生ほんとにおもろいのだが、さっきの漫才を読み返すと、私に失言があるのね。twitter.com/sunamajiri/sta... 内容がないと言ったら揚げ足取られた。つまり私に内容がないわけがない。私はそんなに(懐疑して)簡単に消えてなくならない。@sunamajiri
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posted at 16:01:30
解説文を啓蒙と「懐疑」するところから、すべての誤解が生まれる。解説文以上に前書きtwitter.com/sunamajiri/sta... から先に進めず、すべてを後書きのせいにしてしまう。そういうのは階級という問題ではない。@sunamajiri
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posted at 15:26:37
ちなみに、一年ぐらいまえよく言っていたのだが、現代文では描写的小説以外は、解説文しかでない。近代を評論しても随筆を書いても、それらを解説文として、どれだけ読めるか、という授業をしていた話なのだが。この解説文や前書きが読めない、というのが日本人には致命的。@sunamajiri
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posted at 15:23:36
私も、後書き=懐疑に対する、ヘーゲル的前書きに対して、物申しているみたいになる時は、おそらく「私見」twitter.com/Juris_tan/stat... って付けないと、ならないんだと思う。後書き=懐疑への批判は私見でしかできないから(^-^)/ @sunamajiri
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posted at 15:19:37
つねに、まえがきを書くこと(あるいは読むこと)。方法的懐疑のさらに手前にいること。それはたとえば「あとがき」twitter.com/Marx_Kapital/s... には真似ができない確信なのであって、解説文を自然に読めない日本人はおそらく致命的だ。@sunamajiri
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posted at 15:08:38
ある東大受験生の女子高生が、私のツイートを同級生に見せたら、脱構築先生女史というアダ名をつけたそうだが、それは実のところかなり不本意。どちらかというと脱構築という懐疑論では営めない言葉を紡いでいるだけ、実はそれが分からないとかなり致命的(^-^)/ @sunamajiri
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posted at 15:03:18
受験現代文に引き戻すと、「どういうことか」を記述せよ、選択せよ、というのは、理由による対比に対して、疑えば掛け離れた選択をする、ということを見ようとしているだけで、従来から言っているように日本の国語の客観テストというのは極めて単純明快。@sunamajiri
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posted at 15:00:03
たとえば、私は何も懐疑していないと思うけれど、それは強いて信憑しようともしていないからなのかもしれない。しかし他人の懐疑論を否定する権利がないのもよく分かっている。とはいえ、懐疑をすれば自然に語れないというのは、おそらく間違いない。@sunamajiri
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posted at 14:57:28
竹田氏がいいたいのも、「懐疑論」はフッサールも権利として認めるが、おそらく不可能だという点twitpic.com/c62dqx だけなので、解説文という、日本のジャンルを、単に一蹴されるべき悪しき啓蒙というのは、おそらく誤解。@sunamajiri
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posted at 14:52:10
ところで、竹田青嗣氏の解説文は、解説文以上ではないか、という点。実際、彼が言いたいのも、そういった懐疑論は、現象学に太刀打ち出来ない、という話twitter.com/sunamajiri/sta... だけなので、解説文と言うよりは単に正論だろう。@sunamajiri
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posted at 14:43:15
何も信憑できない、すべてが不自然に感じられる、というのは、大抵そんな経験であって、それを被害妄想すると、やたらと物事が晦渋ににみえるのかもしれないが、もちろんそんなものは、そこで問われた哲学でもないし、解決しようのない、仕方のない話。@sunamajiri
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posted at 14:37:29
言い換えると、話に登らないような父親は、父親ではない。そして父親が話に登らない物語は、非常に不自然で、分かりづらい。だから、「分かる」というのは父親が現れることでしかない。別に難しい話ではない。@sunamajiri
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posted at 14:35:01
もっとはっきり言うと、それは難しい話ではなく、誰でも普通(自然)になると、必ず父親が話に登る。わざとジャーゴンを使うとオイディプスが必ず物語に現れる。それが現れない物語は自然に感じられない。つまり分からない。@sunamajiri
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posted at 14:29:24
つまり、「哲学などくだらん」という「正解」が書けていないとならないのだが、しかしじつはそれをやりすぎたための弊害で、分からないという人が出てきたことが、そもそもの問題。こちらの方がおそらく深刻だろう。@sunamajiri
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posted at 14:23:05
わかりづらい文章で失礼。竹田青嗣氏の昨年の『現象学の再興』www.evernote.com/shard/s157/sh/... という文と、國分功一郎氏の博論『スピノザの方法』の理路を比較する話題をしていただけで、その応用ではないからこんな要約になる。(^-^)/ @jai_an こんな文章しか書けなく
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posted at 13:00:17
脱構築、つまりフッサール現象学批判などというのは、ヘーゲルが指摘したエンペイリコスの帰謬論の亜流で無効だというのは、デカルトの道=方法から無限遡行=帰謬論を退けたスピノザを見るまでもない。そんなものではフッサールが至ったドクサに至らない、という指摘。@sunamajiri
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posted at 12:55:34
ウィットゲンシュタインtwitter.com/wit_bot/status... といえば竹田青嗣氏がデリダの脱構築=帰謬論的フッサール批判の無効を徹底させる章www.evernote.com/shard/s157/sh/... で、当然ドクサに至らないウィットゲンシュタインのイデアの不徹底も問題にされる。
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posted at 12:46:46