大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2015年01月31日(土)
簡単な話で、日本で国語で論理性とは、古典が詠嘆の見極め、現代文では詠嘆のような自己陶酔になる弱い自我の矯正。それしかない。しかし、誘惑に事欠かないのであって、とくに有限責任という誘惑で詠嘆に回帰してしまう。その最たるものが、他人を自己責任呼ばわりすることなので、単なる自己陶酔。
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posted at 02:37:53
2015年01月30日(金)
単なる「会社責任」の対語として派生したことにしか根拠のない「自己責任」など、日本近代というのは、和製儒学の無根拠性を焼きなおす造語、無根拠性で溢れかえり、それを補完するために必ず仏教的語彙が要請されるというだけのことで取るに足らない。これを「思考停止」と日本語では言う。
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posted at 23:40:05
NHK、ヒットラーチルドレン、ナチ戦犯の孫達が断種手術したり、ドイツ音楽を聴けなかったり苦悩するドキュメンタリーだが、そういえば東のインタビューで、ハーバーマスがハイデガーを断罪したことを相対化するものとして、東の郵便空間は位置づけられてたね。ザラデルの方が達成感があるが。
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posted at 03:58:56
2015年01月29日(木)
ニコ動の会話、キリスト教の前の古代哲学では地球は丸かっただろ、という話なんだが、だいたいコロンバスの大航海時代の前に、地球が平だったなんて、アメリカが信じこませた修正主義のドグマみたいなもんだから、野蛮なアメリカ人なんて相手にしなきゃいいだけの話なのよ。あんな野蛮人。ww
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posted at 10:39:35
まあ、コロンバスの大航海時代まで、地球が平だったなんて、アメリカが信じこませた、新しいドグマみたいなもんだからな、アメリカの修正主義なんて、いつだってそんなもん、相手にしなきゃいいww(^-^)/ pic.twitter.com/Asud27QeTa
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posted at 10:26:30
ニコ動のコメ欄はいつも哲学的だ。地球が丸いというのは聖書の教えだ、という反論がきた。要するに近代になって信じこまされた、近代という神話はどこからきたのか、という話をニコ動のコメ欄が喧々諤々してて笑った(^-^)/ pic.twitter.com/vfyE3vrnau
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posted at 10:19:39
ニコ動のコメの言う哲学、何のことかというと、地球が丸いというのは、キリスト教の前の哲学では分かってたんではないか?という会話になってるということなんだがww(^-^)/ pic.twitter.com/2qvU2AxBvz
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posted at 10:16:34
ニコ動のコメが、哲学してて笑ったww(^-^)/ www.nicovideo.jp/watch/sm8725187 pic.twitter.com/Y7jcKLRnUl
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posted at 10:12:11
ツイートまとめ@FB(^-^)/ 東の反地動説の速度に誰も追随できていない、という10年目の東の哲学インタビュー『デッドレターとしての哲学』を読み始めた。
www.facebook.com/kaoru.ohmoto/p...
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posted at 05:49:45
その点で、東だけがハイデガー~デリダを、創造性という固有名の訂正可能性、歴史修正主義のポジティヴな面を、先行して読み取った速度が、停滞した我々にはなかったと反省すべきだし、未だ読めずに反地動説的大地の意味論を開始できないレイシストなどが跋扈する状況を憂うのは必当然的ですらある。
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posted at 05:31:21
たとえば、近刊のフランス哲学の新書なども冒頭にソーカル事件を掲げるのだが、ああいった読めないことの揶揄というのは、単なる代替信仰のようなもので、信仰の外の思考、地動説によって信仰させられてしまったドグマを打ち破る、方法が読めていないのだから、何も可能にならなくて当然なのだ。
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posted at 05:28:50
もう一度、ナチズム結審の本で有名な中田光雄のフッサール『幾何学の起源』の後期メルロ~原デリダ論の言葉で言えば、もちろん「読めない」というのは、地動説や象徴界に留まる沈殿のことで、ハイデガーの言う「大地」のような、可能性の条件を読めていないから可能性の中心にならない、ということだ。
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posted at 05:13:54
ところで、私たちの視点からは、この(東だけがハイデガー~デリダによって)「読めた」ということが重要。たとえば中田光雄的には、東がいち早く反地動説を読めた、という速度が問題になる。可能性の条件が読めなければ可能性の中心もへったくれもないからだ。
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posted at 05:12:00
要するに、東のインタビュー前半は、日本の哲学的な停滞を、象徴界を固定し、トラウマを分析することで記憶修正の起るような、形式化の方法=創造性を喪失したこと、と意味づけている。しかし、そこまで確信があっても、一生そんなものに付き合うつもりがない、というのが哲学を離れた理由だとする。
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posted at 05:01:36
それ以前に、固有名の訂正可能性(リヴィジョン)としての脱構築が優位なのは、ラカンの象徴界を固定する大学の知とは対照的に、精神分析の知では、トラウマの分析を通じて記憶の修正すらも起こるからであり、それこそが脱構築の真髄の形式化だと、極めて自覚的だ。
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posted at 04:57:50
東はその独創と哲学を離れた理由は明快だとする。最近は國分を始めドゥルーズで停滞を打ち破ろうとするが、自分はドゥルーズの造語性が読めず、ハイデガーのように語彙を限定し、古名を駆使するデリダで読めたのが幸いした。しかし、それだけに古名に閉じ込められると哲学を離れた、と明快。
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posted at 04:50:31
創造的というのは、東が脱構築から系譜学ではなく、郵便空間を取り出したことで、しかもそれが自分のオリジナルだと極めて自覚的な点だ。宮崎は、これ以降、デリダ研究を中心に日本で停滞が起るという。インタビュー前半ではこの独創の経緯が語られる。 pic.twitter.com/E4qTuQPKmS
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posted at 04:44:28
当然、インタビュワーの宮崎裕助は、東の形式的脱構築=歴史修正主義の創造性を引き出す形式に対して、デリダ自身の系譜学的脱構築で問い返すのだが、創造性という点では、東は誰よりも創造的だ。
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posted at 04:35:02
ザラデルも遠回しに論難していたが、ハーバーマスがハイデガーのナチズムを断罪したり、ハイデガーがドイツで無視される状況となるのに対して、フランスでだけハイデガーが直径となったのは、こうしたハイデガーの可能性の中心が、デリダによって最大限に引き出されたからだ、と東は明快だ。
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posted at 04:32:48
東は、系譜学となった脱構築に反論して、インタビューで形式的脱構築を分かりやすく説明する。通常、歴史修正主義は負の側面が強調される。しかし、創造とは、非歴史的な幾何学=哲学と同じで、固有名が常に歴史修正されることであり、系譜学的脱構築より形式的脱構築に優位があるとする。
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posted at 04:29:25
東は、脱構築を形式化するのは、それがハイデガーにより可能性の中心となった歴史修正主義だからであり、それを受け入れない側が脱構築を系譜学にした、と明快だ。幾何学とは固有名のことだが、固有名は常に修正できる形式化であり、だからこそハイデガーはフランスにおいて修正された、と。
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posted at 04:23:10
中田光雄氏の原デリダ論twitter.com/sunamajiri/sta... (端的に、カントに神を見出すような日本的な文脈とは異なり、神無き超越論的客観を、ハイデガーの被投性の以降措定する、という系譜学的脱構築)が終わったので、現代思想の東のインタビューを読み始めたのだが面白い。
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posted at 04:16:42
2015年01月28日(水)
カントがそうと言わない神を、フッサールが単なる「志向性の極(対立項!)」にする手続き語彙「理念」を消去、実体をプラトンに返したら、残るはハイデガーの存在論的差異だけになって、めでたく原デリダがデリダになったとさ。めでたしめでたし(^-^)/ @LitoSnowfield
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posted at 13:21:49
っと、次ページ、ついにリトさんが命名していた「神無き~」の文言が中田光雄の原デリダ論に出現。@LitoSnowfield pic.twitter.com/UUWdLlDRlZ
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posted at 13:19:37
言語起源論では音楽学になるので、ヘルダーを排除するとカントになるのだが、フッサールは起源を幾何学で論じてしまう。それで原デリダが、なんで詩学をやらない、というとデリダに転回する、ということらしい。これほど音楽学は意味論の大敵。@LitoSnowfield
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posted at 08:54:55
ところで、中田光雄が、原デリダがフッサールの幾何学の起源に、音楽学でもやってろというところを抜粋してるね。これほど音楽学は大敵なのだ。時間を空間的に計量するから意味がゆがむので。@LitoSnowfield pic.twitter.com/UtLGCqXnqo
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posted at 08:53:11
2015年01月27日(火)
この歴史が歪むのも簡単。DM対論後半で、起源論からヘルダーの起源論が音楽論として排除されて美学が成立してしまうのだが、それではハイデガーが批判するようなカントの歪み、つまり地動説になってしまうのだ。それでは周縁の声が聴こえてこないのだ。それがサブカル。@LitoSnowfield
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posted at 23:46:08
それは物語の方が危険というだけよ。だってフィクションなんだから。ザラデルなんてハイデガーで旧約にエポケーを見出したことになるけど、エポケーもできなくなる。@LitoSnowfield お陰様でおおよそは発見ぽいのですが(笑) 危険な部分が乗り越えていないのかもしれません
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posted at 22:29:22
速達が読めないのは、地動説を与件と学ぼうとしてしまう教育の不備(意味論の不備)なのだが、それではハイデガーが最も批判したレイシズムに陥るものね。契約原則への違反行為なのだが。@LitoSnowfield 従来読めていなかった旧約な黒メールな状態
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posted at 22:18:58
私たちはともすれば、地動説を共有(協同主観)してさえいれば、済まされると思い込んでいるのだが、それでは与件の問題、無限の問題に「新転回」できず、言葉が共有できなくなるのだ。魂どころか神が再出現する契約違反に陥り、宗教のようになってしまう。@LitoSnowfield
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posted at 22:13:25
マルレーヌ・ザラデルのレヴィナス批判、後期デリダ批判に戻ると、反地動説的な旧約の約束の地平を、ハイデガーが脱民族化させた地平なのだが、その契約を受け取らない=共有しないというのは、単なる罪なのだ。だから手紙は受け取らなければならないのだ。@LitoSnowfield
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posted at 22:10:22
反地動説=意味論のことなのだが、手紙とはその意味論がないと通じないということなのだ。ハイデガーの言う存在の意味論というのは、神の存在証明、魂の分解不可能証明などによらずとも、手紙が届くということなのだ。だからハイデガーが届かなくなることがヤバイのだ。@LitoSnowfield
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posted at 22:05:43
したがって、端的に地動説を与件と思い込んでしまった人たちに、手紙が届かなくなることが問題になっているというだけ、と思えば、思考を費やすまでもないことになる。それよりなぜ反地動説が神の代わりに要請されたのかがハイデガーには書かれている。@LitoSnowfield
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posted at 21:54:23
じつは、デッドレターというタイトルの東の最新インタビューは未読で、まだ私にデッドレターが未達なのだが、しかし郵便で共有(協同主観)されるのは、リトさんの言う反地動説的地平=超越論的地平なので、何だそれかと思えば、レターが未達でも大して困らないのだ。@LitoSnowfield
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posted at 21:52:04
昨晩郵便したように、無限=分解できないことね。古代哲学では魂が分解できなかったけど、分解できない与件を探すと時間しかなくなる。それに逆らう偏見は、神に時間を分断させる物語に陥る。そうした偏見を喚起するのが郵便ね。東は最近デッドレターといってるが。@LitoSnowfield
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posted at 21:42:02
そうそう。勿論言語の意味論のことなのだけどね。関心を持たなければならないのは、与件がないと思っていると、地動説のほうが受け入れやすいのだが。それでは空間が無限化してしまい、時間の無限性という、発見を理解できないということの方なのだが。@LitoSnowfield
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posted at 21:30:12
そう、中田光雄先生は、それを「転回に対する新転回」と名付けてたね。原デリダでは、「理念(幾何学の発見者を神にする物語のこと)は現象学の外だ」というのだが。これほど、地動説という転回に対する反地動説、大地論のようなハイデガーの発見は記述しづらい。@LitoSnowfield
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posted at 21:27:52
物語の中にだけいるからね神様。ちなみにリトさんが後期メルロ~原デリダから、反地動説的地平と喚起した超越論的地平というのは、幾何学は発見者を神にする物語ではなく、与件として共有されている「超越論的客観」だ、ということだそうだ(中田先生の説明の仕方)。@LitoSnowfield
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posted at 21:16:27
啓蒙の誘惑は恐ろしくてね、私ですら最近まで、与件自体を読み取ろうとしていたフシがあるのだ。しかしそれでは読めないということなのだが。端的に、超越論性が地平にならなかった、ということなのだが。ハイデガーによるとカントがイケナイww @LitoSnowfield
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posted at 21:06:55
リトさんが原思考上で、超越論的地平を「神無き地平」と換言した意味が大きいのだ。いま与件twitter.com/sunamajiri/sta... が分からず換言できた、といっているのだが、原思考的に与件を持っていなかったのか、というのが関心事になるからなのだ。@LitoSnowfield
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posted at 20:53:58
原思考(言語化できないこと)が思考(言語化できること)に結びついたでしょ? それ以外のことは何一つ問題にされていない、と分かれば気分も楽になる、というのがハイデガーが一貫して言ってることなのだが。物語は気分を物語れるのだが、それだけでは気分が晴れない。@LitoSnowfield
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posted at 20:48:09
ではなく、学ぶ前から(誰にでも)思考はあるのだが、学んでしまう過程では、いわば原思考に陥るのだ(分からなくなる)。それをさしあたって、元来の思考に戻す手続きを記述できるかということ。啓蒙される前に思考がない、というのは偏見だ、ということなのだが。@LitoSnowfield
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posted at 20:38:05
@sunamajiri 教えられたことが分かるというのは予め知っており、教えることが出来るというのも共有があるから…という理解で宜しいでしょうか(*^o^)?
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posted at 20:37:00
そうなのだ、幾何学的とは歴史的ということなのだが、発見のことなのだ。ハイデガーだって原ハイデガーがあって、それが『存在と時間』のプロセスになっているのだ、原デリダがデリダになったように、原リトさんもリトさんになれる、という共有の話が問題になっている。@LitoSnowfield
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posted at 20:32:53
中田光雄が、脱構築以前のデリダのテクストを「原デリダ」「デリダ以前」と呼び、カント的な「可能性の条件」をクリティークしてるわけだが、このハイデガー的な共有(郵便的なものに対する存在論)を共有した時、原デリダはデリダになる、という按配。それが幾何学。@LitoSnowfield
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posted at 20:26:38
昨日のように、なぜデカルト~カントか、というのが重要で、この共有することを発見してるからなのだが。つまりそれがコギトという神要請(神の存在証明)だったのだが、しかしそれでは非共有だろう、という発見をハイデガーがしたことになるのだ。@LitoSnowfield
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posted at 20:24:35
リトさんが教えられる前から、分かっていたということが極めて重要なのだが、幾何学=哲学というのは、郵便が届く前から目覚めているのだ。言い換えると歴史的に定理が発見される前、ハイデガーなどの言う早朝から、思考はあるのだ。このことの共有が目指せれている。@LitoSnowfield
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posted at 20:23:11
教えられる前から分かるか?という問いなのだが、昨晩教えたwように、非ユークリッドというまでもなく、ピタゴラスでなくても幾何学、つまり公準は誰でも学べる。ここで幾何学というのは思考のことなのだが、それは伝授=郵便が可能なのだ。それを郵便的というのだが。@LitoSnowfield
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posted at 20:21:09
リトさんが見抜いたように、物語では神を要請する幾何学、いわば信仰のようになってしまい、思考が目覚めてこない、という遠近感があるのだが、もう一度、中田光雄が「原デリダ」「デリダ以前」というテクストを。@LitoSnowfield pic.twitter.com/eLnOy3C0IR
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posted at 20:18:35