大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2015年05月26日(火)
日米のような転倒よりも、いまこそ転回を! 齋藤元紀 @eksistenz さんの新刊に期待して、という文章をFBに即興アップ(^-^)/ www.facebook.com/kaoru.ohmoto/p... (シェア元が非公開だったのでシェア切断で再投稿しました。)
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posted at 16:01:44
2015年05月25日(月)
超越論的演繹は事実問題で、権利問題とするのは新カント派の転倒だと捲し立てるね。日本では東と柄谷が英米哲学のジャーゴンで、固有名の実在性にしてしまうのだが、亜流だろうな。問題は幾何学の起源のフッサールというよりデリダの序文にありそう。 pic.twitter.com/b5waEA8lFM
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posted at 17:06:33
そこで、日本では翻訳が多義性をはらむという点で、数学による無限の普遍化が、哲学による多様の無限の普遍化より優っていると、錯覚されるのかもしれませんが、どうやらそうしたものが退却と呼ばれるものらしいという話です。日本が特殊なのはその点だけでしょう。@sunamajiri
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posted at 13:32:31
話を戻すと、問題は真の無限で、それは多様の無限です。これを普遍化するのはどれかというレースです。数学は多義的ではないが哲学ではないので、多様の無限の普遍化には不向きで、そうした動揺を誰が初めて記述したか、ということを巡って話が進んだり動いたりしてるだけです。@sunamajiri
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posted at 13:30:06
ツイートまとめ(^-^)/ 見えざる人の手に発狂した時代、ナッシュ氏の急逝はあまりに象徴的。www.facebook.com/kaoru.ohmoto/p...
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posted at 11:35:53
2015年05月24日(日)
ツイートまとめ(^-^)/ 一性(ト・ヘン)が神か時間かというカントのような話は、分類か対象(実在)か、因果か時間(歴史)か、という戦前にハイデガーが片付けた話なのだが・・・
www.facebook.com/kaoru.ohmoto/p...
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posted at 18:01:06
おもしろいのは、この後期ウィトゲンシュタインの私的言語という問題を巡って、柄谷行人がトランスクリティーク(超越論的批判)で、フロイトを使ってハイデガーからカントの元の木阿弥に退却してしまったことなんですよね。柄谷行人は哲学のラノベ化だったのか。@aliceizer
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posted at 16:45:35
@sunamajiri 今気づいたのは、ライトノベルというものは、単語がないはずの小説言語にそれを見出し、帰納しようとしていることでしょう。小説を書く人間は自分にしか適用できない言語は自分ひとりの力で獲得しなければならないのに、みながそれに頼り、依存してしまっています。
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posted at 16:41:29
そうですね。それが物語ですね。たとえ外の視点に神が鎮座していても、人々が勝手に動きまわっているように見えていなければ、鎮座した神は偽物でしょう。もし人々が時間が止まったように静的なら、神に威力がないことになってしまう。@aliceizer すべては関連性のみに有義を見出します。
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posted at 16:37:53
@sunamajiri 小説を書くにつれて必然的にわかってきたことは、目的を必要なことは小説でものを考えるということです。これを哲学上の「小説言語」と同義なのかわかりませんが、この言語には通常のそれのように単語が存在しないということです。すべては関連性のみに有義を見出します。
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posted at 16:32:41
その点からも、日本のポストモダンが、ハイデガーが独我論と断罪したフロイト的な我汝否認関係に陥り、大地の実在性が語れないことになってしまったのは、極めて象徴的に見えています。twitter.com/sunamajiri/sta... @aliceizer
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posted at 16:23:36
問題は、日本の特殊な小説の終焉です。実在性が語れなくなったのです。この特殊事情は、おそらく柄谷行人のハイデガー誤読の悪影響だと私は捉えています。彼は物自体を他者というのだが、そうしたフロイト的な我汝関係を、ハイデガーは鋭く独我論として退けている。@aliceizer
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posted at 16:00:05
ハイデガーも戦前のカント書で、学的存在論を完了し、メタ存在論(詩学)へ転回します。つまり学問が初めて正式に諸学になった。残された学的存在論は、その転回の内的必然性の論証だけに収束した。それはカントがその必然性を言及できていないから、ということのようです。@aliceizer
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posted at 15:55:47
そうですね。分類というのはアリストテレスが、前世の記憶を語ったプラトンを論難するのに、タブララサ(記憶が白紙の人間)が、知能を持つのは先天的に分類の機能をもっているからだ、とした点からだそうですが、その因果を含む様相論では時間だけが超越的ということなんです。@aliceizer
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posted at 15:55:36
@sunamajiri 学問というものが、物事を細分化し、換言すれば「分類」していくと、それぞれが勝手に自我を備えて動き始めるのは、概念でしかものを受け取れない人間の性だと思っていますが、確かに本質から遠ざかっているようにみえます。
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posted at 15:49:22
おそらく、このカントで顕在化し動揺させた論争の普遍性を、一番明確に記述するのが、小説言語ないし詩的言語の問題です。継起に因果を介入させる分類論理では、時間が一なる全体から脱落して、神という外部の視点を要請してしまう。だから詩はアンチ分類論理的なんです。@aliceizer
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posted at 15:23:30
対象より分類学が先行すると、継起的な時間に因果が介入して、時間が一なる全体から脱落するんです。ところがカントではこの問題が揺れ動いているんです。問題はこの論争の普遍性を誰が一番明確に記述できるか、ということです。@aliceizer pic.twitter.com/nljfeZa77x
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posted at 15:15:32
小説がキャラ小説にライトノベル化したように、因果という様相は古来分類のことです。愛が実在する前にタイプ分類するようなものです。つまり、時間が先か因果が先かという論争の普遍性は、分類が先か対象が先かという話です。先行関係がどちらか、というのが時間ということ。@aliceizer
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posted at 15:09:54
以前から改宗してるようにみえてるよ、やたらとアメリカは、黒船の当時から、日本が気になってしかたがないみたいだし、なんか求めてるんでしょ、かわいそうにねー(^-^)/ @marumovich 米国民を禅宗に改宗させたい :3
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posted at 14:49:04
実在性という問いは誤謬だとハイデガーはいうんですが、こう考えるといいかもしれません。日本では2つのことしかない。近代化が小説言語で発見されるが私小説になること、それを相対化する評論がアンチハイデガーに陥り様相論をはじめてしまうことです。そこで実在性が失われる。@aliceizer
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posted at 14:10:50
@sunamajiri 自我というものは、時空を超える梯のようなものという考えはどうでしょう。即ち、パラレルワールドにおいて別の自分が存在し、現世界おいては恋愛を夢想したとしても、そこではリアルに恋愛している、と。しかしそれは妄想と何が違うのかと問われると、困ってしまいますが。
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posted at 14:06:05
最も分かりやすく言うと、思い描いた通りの恋愛相手と、プラトニックな関係になったり、フィギアを作ってフェチするのではなく、現実に直面する能力のことです。それがあるのかないのかが、因果律なのか時間なのか、という問題。@aliceizer pic.twitter.com/g1nmbU7yr8
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posted at 13:51:50
アメーバにも反応があるが、端的に超越(対象を与えられること)を規定するものがあるか、ということですね。それがデカルトが中世論理学によって迂回させられたアリストテレス的な構想力(想像力)で、因果律に対する時間規定だ、と捲し立ててますね。@aliceizer
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posted at 13:49:48
イベントホライゾンとタイムパラドックスが主題の挿話が多いスタートレック・ヴォイジャーに、この因果律がもたらす二律背反で、人工知能が発狂してしまうが、そこで自我が目覚めるという挿話があるのが面白いんですよ。twitter.com/sunamajiri/sta... @aliceizer
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posted at 13:37:03
カントの超越論的時間規定(今系列)を、アリストテレス霊魂論の規定、超越論的構想力にする、という脱因果的な時間だそうで、これ発狂しかねない。カントは動揺し、超感性的なものを全て美学に封印し、端的に因果律に退却してしまう。極めて論争的なのでしょう。@aliceizer
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posted at 13:32:17
何が普遍的な論争かというのは、自己を因果律のように捉えるかということで、ビッグバンの前に遡ってしまったり、作為が背反に陥ったり、きな臭い。それは対象を夢想できるかということと同じで、それが一括して解決されたのが戦争前夜のハイデガーによる時間の発見です。@aliceizer
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posted at 13:12:17
@sunamajiri 因果律は、ごく自然に世界を説明しておきながら、矛盾をはらんでいます。一時期、ビックバーンの前に何があったのか、そしてその前に何があったのか、悩んだことがありますが、人間の思考様式の限界という説明のほかに、因果律そのものを鉈で粉砕する方法もあったのですね。
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posted at 12:18:45
この(自己を)因果律のように捉えるか、時間として因果律から開放されるか、というのが近代以降の哲学にある唯一の懸案だそうで、それを最初に片付けたのが戦前のハイデガーだそうです。これは言語的な意味の中心の規定の問題だから、極めて重大事件。直後に戦争勃発するほど。@aliceizer
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posted at 02:29:51
時間が眼前に現前的なものなら、(自我の内部には)因果律しかないことになるが、それでは無限は遡行的に収束して無限ではない。それならば、時間を非現前的に、つまり眼前の対象と捉えなければ、無限は遡行的に収束せず、真なる無限になる、といった議論なんでしょうね。@aliceizer
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posted at 02:25:48
哲学史的には、カントが純粋理性批判第一版で、その時間を概念の根底の規定とするアリストテレス的な想像力(構想力)に言及するも、第二版でそうした点を削除し、自己意識に退却してしまうのだが、戦前ハイデガーがそれを初めて明確に証明的に言及した、ということのようですね。@aliceizer
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posted at 00:11:03
(承前)見通しのよい話で、一なる全体(ト・ヘン)の外では神だが、経験論のような因果律でも無限遡行で収束した外部に放り出されるので、時間を無限と規定すれば、一なる全体の内部に実存できる、といった具合。因果ではなく時間を中心の規定とするにはどうするか、という話。@aliceizer
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posted at 00:07:53