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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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2016年01月31日(日)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年1月31日

アリストテレスには偶然性しかないのに、それを形而上学としてしまった曖昧さは、どうでもいいお喋りをさせる。そういう頽落ということが相対化される、つまり転回の後には、そのものが語られるようになるという図式は、ハイデガーのカント書に見取り図があるからね。@BeTakada

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posted at 08:58:23

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年1月31日

つまり、ハイデガーの言う形而上学の根拠づけというのは、今日形而上学と見做されているものは、神学~近代による荒っぽい観念のことで、そうした形而上学は捏造でもあり頽落だ、ということに尽きるわけですが。この謬見を排除するのが、ハイデガーが語るように極めて難しい。@BeTakada

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posted at 03:19:50

2016年01月29日(金)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年1月29日

ハイデガーが言いたいのは、ロゴスを論理と誤解した近代人と異なり、そもそもフォアゾクラティカーにおいては、それは非論理的解釈を含む語りという当為のことであり解釈のことだが、そもそも語らないのであれば「被解釈性」も生じない、といったようなことなのかもしれません。@ecila808

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posted at 04:38:07

2016年01月26日(火)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年1月26日

さながら、日本だと女はビッチではなく、良妻賢母がデフォだからか、女に機械人間にされる男のSFロマンになり、リアルには陰謀論とかオカルトばかり話題にするのだが、ビッチがデフォのアメリカだと、女が世界大戦の引き金になるという、いわばSFのメタがいとも簡単に物語られるという(爆)。

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posted at 00:47:54

2016年01月25日(月)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年1月25日

このように、ハイデガー以後、哲学は文芸批評に明確に転回したのですよ。「語りの中にいれば有力だ」とは、この図式です。無論、語らないのなら、別に無力でもいいのだが、語るのなら有力を前提にしなければ努力させてしまう。そういう余剰を葬るための語りの学=ロゴスでしょう。@BeTakada

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posted at 21:28:37

2016年01月20日(水)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年1月20日

こうしたアリストテレス~ハイデガー的なデカルト批判は、日本人が陥る誤謬、学問は外から取ってつける技能だ、というような誤謬性に釘を刺すよね。そのように学問を語ることは、人生の無駄遣いもいいところだ、というように。@BeTakada

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posted at 20:46:11

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年1月20日

これは、いわゆる能力主義、外力を内力と語ること、とも根源的に異なる。アリストテレス形而上学のように、医学が患者の内的治癒力を触発する有力であるように、学問は内発的であって、外力のように後から能力を付け足すものではない。それは学に限られたものでも、もちろんない。@BeTakada

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posted at 20:45:57

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年1月20日

図式性は、受動と能動の相即、あるいは自発性に対するカント書の純粋自己触発のことで、アリストテレスでは力(能力)のことだが、しかしそれが外力と内力とに分断させられたので、それを橋梁する語りの力能だけが、図式性として存する、というのは非常に分かりやすいね。@BeTakada

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posted at 20:36:41

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年1月20日

よって、外力を反省するのを語りとする、デカルト的な二元論や潜勢というものは、語りの無能であり、本来の語り方(方法的懐疑)は、アリストテレスが外力としてしまうようなところを、すべて語りの内力=力能として現勢する、というハイデガーの語りだけが、語りとしてあるのだ。@BeTakada

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posted at 20:31:16

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年1月20日

カントが、ニュートン力学~ライプニッツ動力学に対する批判哲学、という図式性は菊池健三の『カントと動力学の問題』が鮮やかだが、しかしそれでもまだ生産的構想力、語りが学を脱外力化し現勢するまでは、カントでは潜勢する。ハイデガーの語りの現勢力は怖ろしいほどだ。@BeTakada

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posted at 20:21:38

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年1月20日

医学が患者の治癒力という、内的な有力を引き出す、学的な有力であるように、外力ではなく有力と語る、語りの能力が学問においては要請されているにもかかわらず、デカルト以後、それが歪んでいる、という語りの根源図式性が問われているのだろう。無能な語り、反省は要らない。@BeTakada

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posted at 20:06:01

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年1月20日

タカ基地さんはGA33を貪り読んでるようだが、まだ未入手だ。いわばポストカント書の図式、無能と有能がそこにあるのだろう。私は、このハイデガー読本の要約だけで、この有能という図式性を見立てたよ。@BeTakada pic.twitter.com/lTxwuHpWnj

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posted at 20:03:36

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年1月20日

ちなみに、千葉恵「アリストテレスにおける力と運動」bit.ly/1ltDhuH の中の、メタとはギリシャ語では時系列の先後という語義だ、というのは参考になるはず。@BeTakada pic.twitter.com/raF2Vd3S9g

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posted at 20:01:38

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年1月20日

しかし要は語り方の問題で、そこでは2つの仕方があるだけ。コギトを実在(現実存在)のように語れば無能(論理的可能性)が反省的に後付で語られるが、現存在として語れば、可能態は有能という、ありのままで語られる。後者のほうが芸術的語り方だ、という後期の問題なのだろう。@BeTakada

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posted at 19:55:26

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年1月20日

デュナミス論は、後期の芸術論、語り方の問題の筈だが、GA33のデュナミス論は、カント書の根源図式の完成版のように見える。タカ基地さんが今お読みだが、この論文から推測した。千葉恵「アリストテレスにおける力と運動」bit.ly/1ltDhuH @BeTakada

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posted at 19:54:23

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年1月20日

いわば、デュナミス(可能態)である自己を、コギトのように反省対象として、論理的可能性にすり替えれば、それは欠如態、あるいは端的な無能であり、そもそも可能態は、コギトより「論理的」に先行する自己の有能のことである、という根源図式が具体的に語られているようだ。@BeTakada

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posted at 19:52:57

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年1月20日

ハイデガーがアリストテレスの最も困難な箇所という形而上学1047a24-26を有力とする話は面白いね。外力ではなく有力という図式を語る、それが(語りの)能力としての可能性だという。患者の治癒力が医者の医術力で、学問の力能はそう語られる、という話。@BeTakada

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posted at 19:51:34

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年1月20日

ハイデガーが「これによって、古代における最大の哲学的認識が語り出されているのに、この認識が今日に至るまで哲学で等閑視されている」というGA33,デュナミスは論理的可能性ではなく有能と語る図式にあるという、カント書の完成の物語らしいですね。入手したいが予算が。@BeTakada

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posted at 19:50:15

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年1月20日

しかし、要は語り方の問題で、そこでは2つの仕方があるだけ。コギトを実在のように語れば無能(論理的可能性)が反省的に後付で語られるが、現存在として語れば、可能態は有能という、ありのままで語られる。後者のほうが芸術的語り方だ、という後期の問題なのだろう。@BeTakada

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posted at 13:48:15

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年1月20日

GA33面白そうね。アリストテレス形而上学1047a24-26のこの解釈「現実的に有能であるのは、そのものがそれへの能力を持っていると語られる、その能力(語り)の中に己を置くやいなや、それにとってはもはや実行不可能なものが全くないようなものである」@BeTakada

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posted at 13:16:29

2016年01月19日(火)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年1月19日

これを言い直すと、リアリティーを反省すればするほど非現実化し、つまり現存在ではなくなってしまう。そういうデカルト批判が、ハイデガーにはあるということです。西欧哲学はデカルト的コギトに至って隠蔽性がマックスになった。その反作用で開示性もマックスになるという。@BeTakada

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posted at 17:21:57

2016年01月13日(水)

Chris @Chris9620

16年1月13日

@genkokuai ご興味がありそうなのでご紹介しておきますね www.kosyo-doris.com

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posted at 00:12:50

2016年01月12日(火)

フーコー&バタイユ&デリダ bot @foucoubotbatail

16年1月12日

記述のもつの二重の性格がまさに、保留や異論を引き起こしているように思われます。

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posted at 05:40:29

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年1月12日

そりゃそうよ。彼らにとっては、抵抗やオイディプスといった無意識だが、私たちは虚心ですからね。ハイデガーは弁証論をせずに、形式的告示から根拠付けに向かい、図式性に出会っているが、虚心の我々には図式性は言挙げするほどのこともないのでしょう。@BeTakada

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posted at 00:28:33

2016年01月11日(月)

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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年1月11日

とはいえ、図式論が一番難解で図式的でないのです。カントが晩年に一番難解だと吐露したそうだけど、ハイデガーの図式論ですら図式的でなくて分かりづらいんですよ。タカ基地さんのさっきの図式化のほうが、よほど分かりやすい。twitter.com/BeTakada/statu... @BeTakada

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posted at 23:15:55

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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年1月11日

要するに範疇論では、自発性と思い込み葛藤するだけだが、本来的図式論の光景からは、純粋自己触発になり、意識的でなくても当為になっている、という今の言葉で言えば無意識のような話でしょうからね。自意識過剰だとハムレットみたいに葛藤してしまい、悲劇になってしまうという。@BeTakada

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posted at 22:55:57

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年1月11日

ある種、ハイデガー的でよいです、そういうの大好き(^-^)/ @BeTakada 私のは、文脈というよりもゴツゴツした山脈の様です

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posted at 22:55:40

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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年1月11日

図式的でよいですね。述部を分類する範疇論という光景では、葛藤という様相しかないですからね。そうした迷いを断ち切る図式論では、多様は一に綜合された上で、必然性といったものに真正に立ち向かっていますね。@BeTakada 可能性と現前性を、一なる多様性として括り、必然性から分けた。

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posted at 21:42:32

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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年1月11日

ハイデガーの論述は、客観を推論する弁証論とは峻別された、形式的告示的解釈学ですから、そこから析出される時間は、持続のようなものであるよりは、地平であるという図式光景(GA3)が、問題にされていきますね。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada

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posted at 10:21:58

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年1月11日

第二部問題、GA3からGA21を見ると語り方が稚拙だが、ヘーゲルの非図式性が出てきますね。GA21-202 bit.ly/1IXRz1W @BeTakada pic.twitter.com/xgmnhkfWHg

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posted at 10:16:38

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年1月11日

図式根源への遡行は、無限遡行ではなく、いわば有限への遡行である所以だよね。だから、自我も時間も、対象や持続のような達観に陥れば、それだけ他者が無限に後退してしまうという(苦笑)。@BeTakada 有限性を帯びた時として

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posted at 09:52:33

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