大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2016年04月06日(水)
2016年04月07日(木)
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2016年04月08日(金)
2016年04月11日(月)
やっぱり?(笑)たしかに、哲学か非哲学(ゾンビ)かというのは、ハイデガーの現存在か非現存在かと同じピクチャーだろうが、彼の場合、志向と言わず意識というから、非実在というね。非哲学とは哲学史のことだろうけど。@J_J_Kant pic.twitter.com/Ag7vbQMReS
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posted at 13:21:22
2016年04月12日(火)
中嶋・隠者両氏の対話 bit.ly/25WNUtk を見ていて思うのは、なぜカントの三批判書を読まないエクスキューズを言い募るのかという点と、カントの良質な解説者ハイデガーには名言は期待できないが、ハイデガー以後の名言をそれほど無視していいものかという点だな-。
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posted at 21:10:40
両氏がいうデカルトというのは、書かれたものより思考が優先されるということだが、思考をそれ自体、モノ扱いしてよいのかというのは、デカルトというよりカント以後、とくにハイデガーでやり尽くされただけで、今更それを思考なのかどうか、と言うだけで、ドン引きする人が出てくる気がする。
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posted at 21:16:47
実際、ハイデガーはデカルトよりもカントよりも徹底したというだけにすぎない。それは隠者君の好きなデカルトの命題「よく隠れたるものはよく生きたるもの」つまり実践の自由、絶対的時間という思い込みからの自由というのは、現代ではむしろ物理学といわれているものであり、アタリマエのことなのだ。
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posted at 21:26:43
哲学が時代遅れに見えるというのもおかしな話で、アリストテレスが問題としたような先措定から、一歩も先じていないが、物理学は絶対時間という思い込みから解放されたのだ。ハイデガーでは、それは先存在論という。しかしそうした先存在了解というのは、現代ではむしろ常識ですらある。
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posted at 21:35:10
2016年04月13日(水)
フィジックのメタ(後)という形而上学は、それこそ近代以後は心霊現象か何かのように錯覚されてしまうのかもしれないが、むしろ物理学が錯覚から覚めた後(メタ)となる形而上学は、先存在論としての物理学を存在論にもたらす、といった構図でしかないので、いかがわしさがどこにもない。
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posted at 02:13:43
私の作業概念でいえば、物理学(自然学)を絶対時間に独断させる潜勢的形而上学に対して、物理学が絶対時間という微睡みから醒めた後=メタとなる形而上学は、一元論的、現勢的形而上学といったところか。
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posted at 02:19:03
問題はやはり、カントが独断の微睡みから醒めてもなお、絶対時間の微睡みに燻った、われわれ=共同主観の真理前提、あるいは超越論的真理という、ハイデガーがカント書で立ち向かう問題なのは明白である。それは図式でしかないものを範疇と誤解した、カント独特のプロセスがあるということなのだろう。
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posted at 02:25:07
絶対時間か相対時間かというのは、被造物であるか否か、というパースペクティブの話で、カントは意外と、被造物であるためには、という独断を捨てきれず絶対時間を語ってしまう(より厳密に言えば、独断を捨てるために絶対時間を語ってしまう)が、ハイデガーはそんなばかな、というだけだからね。
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posted at 19:36:23
通常、ハイデガーのカント批判(解説)よりカント本体の方が有益だというのは、この独断を捨てるために感性的時間を絶対視しているのを自明視した上で、カントの弁証論のいう純粋理性に対する批判とか、実践の自由とかが有益という話だが、ハイデガーはその土台となっている絶対時間を解体するからね。
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posted at 19:41:05
2016年04月14日(木)
たまたま、アクィナス bit.ly/1SwDOFx を読んでると、やはり欠如態がないという話になる。欠如態というのを私は潜勢と作業的に呼んでるが、ハイデガーによれば、欠如態が決定的に生じるのが、カントの独断的時間論だということになる。
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posted at 16:43:21
欠如態とは、問題全体に対する死角の捏造のことで、アリストテレスに欠如態を想定した、つまり神に対する人間の認識能力の有限を捏造したのは誰か、という犯人探しは生産的ではないが、カントにおいてそれがどのように決定的に起こったのかという話が、ハイデガーによれば生産的ということなのだろう。
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posted at 16:45:30
ハイデガーはさかんに、可能態や現実態という様相は、アリストテレスにおいては範疇ではなく図式だという(GA33)。カントにおいても、時間は図式(超越論的規定)だが、それは様相を範疇化させるための規定とされてしまう。たぶんそのことだろう。
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posted at 17:00:33
こうして独断論に引き換えて、欠如態(つまり地平を含む問題全体の死角)が決定的に派生している、というわけだが、独断的形而上学、潜勢的形而上学が、こうした欠如態を派生するなら、現勢的形而上学を、図式としての時間である脱自態から再話すれば良い。つまり様相は範疇ではなく図式なのだろう。
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posted at 17:00:48
外の神に圧倒されて萎縮した有限というのが欠如態 twitter.com/sunamajiri/sta... で、そうした欠如や否定を真理前提することなく、存在了解の無限性を真理前提するというハイデガー以後に問える全体というのは、物理学の後=メタだけだからね。@BeTakada
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posted at 20:05:53
2016年04月17日(日)
私が主題的に読んでいるハイデガーも一言で言うとそれね。経験則の方が、よほど独断だと言っていることになると思う。人間の経験則など、認識の原理として万能ですらない。それを過信した時に、見えなくなるものがある。そういう主張だといっても過言ではない気がする。@babachan5963
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posted at 03:33:57
もちろん、カントにそれがあるわけではなく、カントの言う悟性(いわゆる理論)を、人間の万能な経験則のように独断する人達、新カント派のような人達の素朴実在論を批判してるだけなのだが、それほど人間は(データを)過信しやすい、ということなのだろう。
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posted at 04:06:01
大地震というのは、カントですらある種の哲学的動機の一つになるほどだが、要するに人間が無力を思い知らされるということだから。単にデータという経験則を収集しても、それこそ主体的に気づかなければ有意味ではない。ハイデガーはそれを、パウロの時間論を引用して、告知された形式というのだが。
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posted at 04:12:26
大地震のように、人間が無力を思い知らされること。そうした告知によってはじめて論理という形式が与えられる(ハイデガーで告知とは、教会権力が思い知らされること)。それに引き換え、人間が万能とする形式論理学は、むしろ非論理である、といったような主張で、とりたてて大それたことでもない。
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posted at 04:17:34
2016年04月19日(火)
この前のアクィナスの訳注もフィヒテはわかってない、というやつでしたね。twitter.com/sunamajiri/sta... ノヴァーリスで十分な気もするが。twitter.com/sunamajiri/sta... ドイツ観念論の問題があるとハイデガーを誤解する人があるからね。@BeTakada
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posted at 01:02:39
おお、どっかに出向きましたか。逆やないね。とにかく存在と時間を失敗作だ、というカント書の観点からハイデガー見ないと、みんな転倒するみたいね。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada ハイデガーは生の哲学の観点がないと断じて語っていたので、無駄足だった
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posted at 01:17:50
哲学少女氏もいうように、本来的形而上学、つまり絶対時間という贋の形而上学から、いかに離脱するかという話をしているハイデガーを、存在と時間の挫折だけで観念論のように布置すると、異様に視界が悪くなるからねー。@BeTakada pic.twitter.com/ymjeuRFldy
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posted at 01:47:20
改めてGA31を堪能してるが、カントの消極的自由(神からの独立性)と積極的自由(絶対的自発性)を、こんな恣意性にしてしまうんだものね。人からの自由と思うと神からの独立も生起も、何方も霞んでしまうという。twitter.com/Hegelbot/statu... @BeTakada
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posted at 04:30:10
神からの独立という消極的関係だけを問うと、他人からの自由という恣意性だけが俎上にのるが、この木田元へのレビューが要約することもその図式性で、超越論的図式性へ突破してないよね。amzn.to/1NxhJpa @BeTakada
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posted at 04:46:49