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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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  • 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
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2016年07月24日(日)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年7月24日

実に当たり前のことなのだが、その当たり前を彼らが言えないわけです。カントでさえ絶対時間とか権利問題(形而上学)と言ってしまう。今は誰もそんな風には考えないが、西欧社会でそのはじめがハイデガーだ、というだけの話です。だから誰もそんなものは読まなくていいわけです。@J_J_Kant

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posted at 17:18:03

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年7月24日

それがまさにハイデガーなんです。相手など勝手に近寄ってくるだろう、それをとやかく主観側で言っても始まらないと。@J_J_Kant 対象(相手)へ没入する愛ではなく、自他の不連続は覚悟した上での清明な意識をもった愛というか、考えたいのはそちらですね。

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posted at 17:14:36

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年7月24日

そこで重要なのは、内包量と質、というカントの論点でしょう。そこがイギリス経験論に遡行すると、政治と経済学という日本の政治言語のようなカテゴリー・ミステイクに陥る。その点で、中嶋さんさすがにご明察なんです。bit.ly/2ahDU83 @J_J_Kant

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posted at 17:11:17

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年7月24日

いずれにせよ、デカルト以後はライプニッツもイギリス経験論もカントもヘーゲルもニーチェもウィトゲンシュタインもハイデガーも、デカルトへの注解として読むべきで、二分法はどこにあるか、そうか数学と物理学の二分法なのか、という話を永遠とやってるわけです。@J_J_Kant

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posted at 17:08:58

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年7月24日

知覚の予科~観念論論駁は純粋悟性のあらゆる原因の体系A148B188~B294。ハイデガーの批判は純粋性は絶対時間による権利問題(形而上学)ではなく相対時間による事実問題(存在論)だ、という辺りでしょうね。twitter.com/sunamajiri/sta... @J_J_Kant

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posted at 17:06:40

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年7月24日

熊野訳はハイデガーは読みづらく、カントは読みやすい。ハイデガーは岩波文庫だがカントは単行本で高い。O氏ですら超越論的、アプリオリ、純粋というカントの訳語で躓くのだが、そこを経験のアプリオリな純粋=超越論と割りきって現代語訳しているから熟れている。@J_J_Kant

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posted at 16:57:56

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年7月24日

なるほど。そこで愛というと西田にならなければ、twitter.com/sunamajiri/sta... になりかねず、それがなぜそうなるのか?というのが私の関心だが、私がいったのは、哲学と科学を二分法だ、という辺りから日本はそこに逆行するらしい、ということでしょうね。@J_J_Kant

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posted at 16:52:45

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年7月24日

ハイデガーのカント論は、図式論から知覚の予科、そして観念論論駁のより厳密化です。カントではニュートンの絶対時間のままだからです。それでは対象との出会いである、現在に突き抜けられず、またしても独我論に陥ってしまう。永井はそのあたりだが、柄谷は独我論です。@J_J_Kant

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posted at 16:06:30

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年7月24日

そこから観念論論駁が、内包量と質の話だが、それこそが中嶋さんが別途語った、経済学が量ばかりで質を言わないという政治言語の弱体化の話 bit.ly/2ahDU83 でしょう。おそらくカント以前のイギリス経験論の亡霊が漂っているのです。@J_J_Kant

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posted at 15:55:35

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年7月24日

この辺り、中島義道の『カントの時間論』の知覚判断と経験判断の箇所が良い(ハイデガーだとけっして分かりやすくない)、赤いリンゴは問題とならない、というのが出てきます。bit.ly/2a6ZUAI @J_J_Kant pic.twitter.com/6HBzlHnDbE

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posted at 15:55:15

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年7月24日

物理学の話でも、哲学と科学は違うという二分法が唯物論だと言い出していたが、彼らにはそもそも数学か物理学かという二文法ぐらいしかなく、他の問題を退けるために、その赤いリンゴでは哲学にならないという例が出てくるのです。その直後に観念論論駁も出てくる。@J_J_Kant

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posted at 15:54:15

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年7月24日

その議論を哲学と思うと京都あたりの人になったり、逆に哲学者の言う独我論に陥る。だからカントを飛ばし読みすべきではない。@J_J_Kant 他人が見ているリンゴの赤と自分が見ているリンゴの赤は同じではないという哲学者がいるけれど bit.ly/29SQufV

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posted at 15:53:41

2016年07月22日(金)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年7月22日

ツイートまとめ(^-^)/ 柄谷行人のハイデガー誤読と唯物論 www.facebook.com/kaoru.ohmoto/p...

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posted at 19:27:04

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年7月22日

この東洋的唯物論は曲者で、唯識論として物体を見ている。それで対象に到達できないのだが、この前、一ノ瀬の新刊「英米哲学史講義」をざっと読んで、英米がデカルトを経験と語る誤読と、唯物と唯識の混同を経験と語るアジア性に、強い嫌悪感が湧いた。

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posted at 19:26:31

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年7月22日

昨日たまたま語った twitter.com/sunamajiri/sta... が、唯物論では観念論なのだ、非唯物論が観念論なのではないのだ。そこを誤読すると観念論になる。図式規定に対する惑乱や言語的動揺は恣意性ではなく、単に原因的なのだ。

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posted at 18:54:10

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年7月22日

それにしても、サルトルのマルクス傾倒にしても、なぜそれほどまでにハイデガーにアレルギーがあるのだろう? 現代思想はハイデガーに対する注釈でしかないのだが、ニーチェのようなものを形而上学として斥け、カントまで被制作性として退ける威力があると、唯物論者は露頭に迷うのだろうな。

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posted at 18:48:48

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年7月22日

長文だから、後で柄谷のハイデガー誤読という観点から、もう少し彼の唯物論の観念性について検討するかもしれんが、唯物論者も実存主義者も単なるハイデガー誤読に見えてくるほどだから、どうでもいいんだが。(^-^)/ twitter.com/sunamajiri/sta...

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posted at 17:27:29

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年7月22日

なるほど、たしかに帝国論は、唯物論の成れの果てで、三位一体論というハイデガーの三位一体(構想力論)の非実体性を、唯物化=実体化させて没近代化させるような代物なのだろう。数分の素読の感想だから間違ってそうだが、大抵直感のほうが正しい。chikyuza.net/archives/64493

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posted at 17:17:31

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年7月22日

柄谷行人と「帝国」論の隘路 (上) chikyuza.net/archives/64493 「(ハイデガーのカント論批判である)トラクリに満足せず、ヘーゲルの三位一体的大系を唯物論化した柄谷行人は、帝国の前近代的性質を全面的に復活させ、アジア的復古に没落した。」

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posted at 17:13:27

2016年07月19日(火)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年7月19日

言語論的転回、あるいは唯識論では却って、現代の日本の状況のような桎梏を呈するということ。www.facebook.com/kaoru.ohmoto/p... @J_J_Kant

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posted at 16:36:48

2016年07月17日(日)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年7月17日

ハイデガーが危険なのは、初めてその根源を語っているので、一つ間違うと見事にくるっと180度引っくり返って、生活感がなくなってしまう。しかし実はハイデガーは生活を文法化しているだけなのに。日本でも概念化すると生活が置いてきぼりになるのに似てますね(笑)。@J_J_Kant

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posted at 13:00:02

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年7月17日

欧米では、戦前に英米の論理実証主義と、ハイデガーの存在論が真っ二つに割れてしまい収拾がつかなくなってしまった、というのが最近私が俎上に載せているフリードマン史観という問題です。しかし、最近は英米も存在論と形而上学の違いしか話題にできなくなってきたそうです。@J_J_Kant

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posted at 12:35:41

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年7月17日

こうした概念の分類学が、英米には語源学にみえるのだが、カントには範疇論に見えたのです。だから、デカルト的な存在論もカントで徹底され、その不徹底をすべてバージョンアップすると、ハイデガーのような実存論になるのです。日本の国学にはこれができなかったのです。@J_J_Kant

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posted at 12:24:50

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年7月17日

概念は形而上学的なイデアでもなんでもなく、言葉が発せられる具体的な場面で、どういう実存的な意味をなすか、というようなことで、それをハイデガーは形而上学批判としての存在論として、体系化しようと躍起になっている(た)。ある意味、画期的な文法論なわけです。@J_J_Kant

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posted at 12:24:29

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年7月17日

ハイデガーのいう存在論(形而上学批判)とは実に単純で、たとえばcuriosicityという造語は、具体的にどういう場面で発せられる概念かと問うことです。curiosityはcureとかtaking care ofのように、相手を気遣う概念のことだ、という風に。@J_J_Kant

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posted at 12:24:17

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年7月17日

ハイデガーなど、そういう話しかしないほど。添付はハイデガー『形而上学入門講義』だが、こういう話を形而上学として退けようとしている。ルターもライプニッツもニーチェも概念語を滅茶苦茶にしたじゃないかと怒ってるわけです。@J_J_Kant pic.twitter.com/QNcr3UQFXz

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posted at 12:00:52

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年7月17日

ご承知のように、ギリシャ語とラテン語の概念の系統図の描き方のそれぞれの切り口を、彼らは文法学と呼んだり聖書と呼んだり哲学と呼んだりしますからね。日本人はその違いを意識せず、どれも単なる語源学だと思い英会話すらできなくなるわけですが。@J_J_Kant 概念語は英語でも日常語では

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posted at 11:44:29

2016年07月14日(木)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年7月14日

人間は自由意志だけでは存在していないのだ。象徴や偶像でなくても、自分の意志ではいかんともしがたい世界に巻き込まれているのだ。それを理解せず、自分の自由意志だけで世界が回っているという誤解を戒めるのが、戦後憲法のいう象徴天皇の意味であるということが、おそらく理解できないのだろう。

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posted at 01:22:15

2016年07月08日(金)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年7月8日

これをハイデガーは、形式論理学に対する反駁として行っていて、告知されざる形式論理学は、形式性の告示ではない、という命題にしているわけ。これが基礎存在論(存在と時間)で言われていること。

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posted at 22:53:29

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年7月8日

日本語に直すと、宗教でも科学でも他力本願をすれば破滅してしまう。人間にはもっと底力があって、それは常に襲ってくる破滅に対して、備えあれば憂いなしのように、正しい気構えをもつことだ、というような思想。

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posted at 22:51:43

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年7月8日

要するに、人間が時間に対して無力だと語るギリシャ以来の思想を反駁するのに全力を注いでいるということなのだが、アウグスティヌスの時間論でも、カントの時間論でも、パウロの好機(カイロス)は捉えていない、それでは人間が無力だということだ、といっているわけ。

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posted at 22:50:04

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年7月8日

他力本願であれば終末論の時間性に頽落するが、日本語の「備えあれば憂いなし」ということを、時間性であると捉えれば、終末論のような破局を克服する力が人間に備わっていることになる、とのたうち回って語るのがハイデガー。「想定外」だと時間的ではない、何か別の思惑だという意味ね。

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posted at 22:40:54

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年7月8日

ちなみにハイデガーが本来的時間というパウロ、テサロニケ信徒への手紙とは「無事だ、安全だといっているその矢先に、突然、破滅が襲うのです。決して逃れられない」という箇所ね。神が現れることではなく、あくまで人間の心構えの問題だ、という点をハイデガーは時間性と呼ぶのだ。

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posted at 22:30:16

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年7月8日

そんな、いきなりパウロからはじめないでよ、ハイデガーじゃあるまいし。youtu.be/VqUaWNEJlaU まあハイデガーの場合、ヘブライ人への手紙ではなく、テサロニケ信徒への手紙こそ本来的時間性だというのだけどね。 pic.twitter.com/44XthEL9eI

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posted at 22:23:06

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