大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2016年07月24日(日)
そこで重要なのは、内包量と質、というカントの論点でしょう。そこがイギリス経験論に遡行すると、政治と経済学という日本の政治言語のようなカテゴリー・ミステイクに陥る。その点で、中嶋さんさすがにご明察なんです。bit.ly/2ahDU83 @J_J_Kant
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posted at 17:11:17
知覚の予科~観念論論駁は純粋悟性のあらゆる原因の体系A148B188~B294。ハイデガーの批判は純粋性は絶対時間による権利問題(形而上学)ではなく相対時間による事実問題(存在論)だ、という辺りでしょうね。twitter.com/sunamajiri/sta... @J_J_Kant
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posted at 17:06:40
なるほど。そこで愛というと西田にならなければ、twitter.com/sunamajiri/sta... になりかねず、それがなぜそうなるのか?というのが私の関心だが、私がいったのは、哲学と科学を二分法だ、という辺りから日本はそこに逆行するらしい、ということでしょうね。@J_J_Kant
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posted at 16:52:45
そこから観念論論駁が、内包量と質の話だが、それこそが中嶋さんが別途語った、経済学が量ばかりで質を言わないという政治言語の弱体化の話 bit.ly/2ahDU83 でしょう。おそらくカント以前のイギリス経験論の亡霊が漂っているのです。@J_J_Kant
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posted at 15:55:35
この辺り、中島義道の『カントの時間論』の知覚判断と経験判断の箇所が良い(ハイデガーだとけっして分かりやすくない)、赤いリンゴは問題とならない、というのが出てきます。bit.ly/2a6ZUAI @J_J_Kant pic.twitter.com/6HBzlHnDbE
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posted at 15:55:15
その議論を哲学と思うと京都あたりの人になったり、逆に哲学者の言う独我論に陥る。だからカントを飛ばし読みすべきではない。@J_J_Kant 他人が見ているリンゴの赤と自分が見ているリンゴの赤は同じではないという哲学者がいるけれど bit.ly/29SQufV
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posted at 15:53:41
2016年07月22日(金)
この東洋的唯物論は曲者で、唯識論として物体を見ている。それで対象に到達できないのだが、この前、一ノ瀬の新刊「英米哲学史講義」をざっと読んで、英米がデカルトを経験と語る誤読と、唯物と唯識の混同を経験と語るアジア性に、強い嫌悪感が湧いた。
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posted at 19:26:31
昨日たまたま語った twitter.com/sunamajiri/sta... が、唯物論では観念論なのだ、非唯物論が観念論なのではないのだ。そこを誤読すると観念論になる。図式規定に対する惑乱や言語的動揺は恣意性ではなく、単に原因的なのだ。
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posted at 18:54:10
それにしても、サルトルのマルクス傾倒にしても、なぜそれほどまでにハイデガーにアレルギーがあるのだろう? 現代思想はハイデガーに対する注釈でしかないのだが、ニーチェのようなものを形而上学として斥け、カントまで被制作性として退ける威力があると、唯物論者は露頭に迷うのだろうな。
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posted at 18:48:48
長文だから、後で柄谷のハイデガー誤読という観点から、もう少し彼の唯物論の観念性について検討するかもしれんが、唯物論者も実存主義者も単なるハイデガー誤読に見えてくるほどだから、どうでもいいんだが。(^-^)/ twitter.com/sunamajiri/sta...
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posted at 17:27:29
なるほど、たしかに帝国論は、唯物論の成れの果てで、三位一体論というハイデガーの三位一体(構想力論)の非実体性を、唯物化=実体化させて没近代化させるような代物なのだろう。数分の素読の感想だから間違ってそうだが、大抵直感のほうが正しい。chikyuza.net/archives/64493
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posted at 17:17:31
柄谷行人と「帝国」論の隘路 (上) chikyuza.net/archives/64493 「(ハイデガーのカント論批判である)トラクリに満足せず、ヘーゲルの三位一体的大系を唯物論化した柄谷行人は、帝国の前近代的性質を全面的に復活させ、アジア的復古に没落した。」
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posted at 17:13:27
2016年07月19日(火)
言語論的転回、あるいは唯識論では却って、現代の日本の状況のような桎梏を呈するということ。www.facebook.com/kaoru.ohmoto/p... @J_J_Kant
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posted at 16:36:48
2016年07月17日(日)
ハイデガーなど、そういう話しかしないほど。添付はハイデガー『形而上学入門講義』だが、こういう話を形而上学として退けようとしている。ルターもライプニッツもニーチェも概念語を滅茶苦茶にしたじゃないかと怒ってるわけです。@J_J_Kant pic.twitter.com/QNcr3UQFXz
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posted at 12:00:52
2016年07月14日(木)
人間は自由意志だけでは存在していないのだ。象徴や偶像でなくても、自分の意志ではいかんともしがたい世界に巻き込まれているのだ。それを理解せず、自分の自由意志だけで世界が回っているという誤解を戒めるのが、戦後憲法のいう象徴天皇の意味であるということが、おそらく理解できないのだろう。
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posted at 01:22:15
2016年07月08日(金)
これをハイデガーは、形式論理学に対する反駁として行っていて、告知されざる形式論理学は、形式性の告示ではない、という命題にしているわけ。これが基礎存在論(存在と時間)で言われていること。
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posted at 22:53:29
日本語に直すと、宗教でも科学でも他力本願をすれば破滅してしまう。人間にはもっと底力があって、それは常に襲ってくる破滅に対して、備えあれば憂いなしのように、正しい気構えをもつことだ、というような思想。
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posted at 22:51:43
要するに、人間が時間に対して無力だと語るギリシャ以来の思想を反駁するのに全力を注いでいるということなのだが、アウグスティヌスの時間論でも、カントの時間論でも、パウロの好機(カイロス)は捉えていない、それでは人間が無力だということだ、といっているわけ。
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posted at 22:50:04
他力本願であれば終末論の時間性に頽落するが、日本語の「備えあれば憂いなし」ということを、時間性であると捉えれば、終末論のような破局を克服する力が人間に備わっていることになる、とのたうち回って語るのがハイデガー。「想定外」だと時間的ではない、何か別の思惑だという意味ね。
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posted at 22:40:54
ちなみにハイデガーが本来的時間というパウロ、テサロニケ信徒への手紙とは「無事だ、安全だといっているその矢先に、突然、破滅が襲うのです。決して逃れられない」という箇所ね。神が現れることではなく、あくまで人間の心構えの問題だ、という点をハイデガーは時間性と呼ぶのだ。
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posted at 22:30:16
そんな、いきなりパウロからはじめないでよ、ハイデガーじゃあるまいし。youtu.be/VqUaWNEJlaU まあハイデガーの場合、ヘブライ人への手紙ではなく、テサロニケ信徒への手紙こそ本来的時間性だというのだけどね。 pic.twitter.com/44XthEL9eI
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posted at 22:23:06