大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2016年10月20日(木)
ツイートまとめ(抜粋)(^-^)/ おそらく、男女の対称性という楽園は語れないという失楽園、そこでアジア人=素朴実在論者には自殺の自由がある、というヨーロッパ人の没落。そういう話ですわね。www.facebook.com/kaoru.ohmoto/p...
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posted at 16:49:30
2016年10月19日(水)
とにかく、みんなマゾなのか苦痛(苦行)を着手点とする語り方をしたがるのだが、パラダイスとかエクスタシーとか、そこを着手点 twitter.com/sunamajiri/sta... にして物語らなければ、どう考えても失楽園は語れないのだ。@BeTakada
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posted at 20:45:00
じつは、こういうパラダイスの話 twitter.com/sunamajiri/sta... と、エクスタシーの話も、私の中ではこういう連関。入谷秀一時間論の新境地とは、ハイデガーが回避したツァラトゥストラは、エンペドクレスに自殺の自由を与えたヘルダーリンの乗り越えだという一点。
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posted at 20:18:30
じつは、こういうパラダイスの話と、エクスタシーの話 twitter.com/sunamajiri/sta... も、私の中ではこういう連関。入谷秀一時間論の新境地とは、ハイデガーが回避したツァラトゥストラは、エンペドクレスに自殺の自由を与えたヘルダーリンの乗り越えだという一点。
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posted at 20:17:56
2016年10月18日(火)
手前味噌だが、このデュラン論、フォロワーのタカ基地氏との対話を一気に連想した。彼は基礎存在論とメタ存在論を混同するのか、存在者を存在と語る素朴実在論を語ろうとしてしまうのだが(語れないことを語っている)、おそらくそのこととも直接関連しているのだろう。
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posted at 07:39:30
「~しかし、それについては殆ど語らなかった」1928年以後とは、まさにハイデガーのカント書以後なのだろうな。「それについて」とは、ハイデガーの誤謬は詩的言語だけが存在を語るとしたことで、数学言語も存在を語るということなら、殆ど語らなかった割には饒舌な気もする。 pic.twitter.com/9xCyfHDqmF
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posted at 07:32:51
bit.ly/2efOEUK 「1928年頃からヘルマン・ワイルは数学的直観主義はフッサールの現象学的哲学に対する自身の情熱とは相容れないと考えるようになった。晩年、数学を「記号的構造物」と考える立場を取るようになり、ヒルベルトやカッシーラーの思想に近づいた」
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posted at 07:26:41
Kim氏のボブ・デュラン論とハイデガー批判、点と線が結ばれないところもあるが、デリダ批判、思弁哲学批判、小説批判、散文批判、音韻論として面白かった。やはりヘルマン・ワイルのカント書批判の件が肝なのだろう。bit.ly/2efOEUK
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posted at 07:25:16
2016年10月17日(月)
ははは。日本の気色悪い情感を込めたロマン派奏法はジュリアードで解体されるものね。カント読むならハイデガーまで読んでから音楽教育に携わってもらいたい。ハイデガー批判のつもりで音楽論をするアドルノのジャズ批判でも不十分。音楽は情感ではない。@rinsstudio
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posted at 09:01:23
ハイデガーが『存在と時間』前半で、ラジオや電話で距離がなくなると言ってるのだが、実はネットでも共有できないのが真のリアルタイム。ネットで遠隔地と音楽を共演するのは原理的に不可能。じつはテクネーでは距離は縮まらない。それが音楽ね。ハイデガーが転回するわけだ。笑@rinsstudio
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posted at 05:43:04
2016年10月14日(金)
さっきの話で言うと、メタレベルって、息子(イエス・キリスト)の視点と誤解して、父殺しに奔走する言葉の運動ではなく、おそらくオイディプスの視点のことだからね。要するに単純に神の視点でかきゃよいって話なんですよ。サスペンスものはそう書くのだし。@LitoSnowfield
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posted at 17:46:56
デリダが、オブジェクトVSパフォーマンスではなく、オブジェクトVSメタレベルだ、というのだけれど、どうもパフォーマンスのレベルに落っこちちゃってる気がするのよね。あれはハイデガーの脱固有名性という概念の劣化コピー(再固有名化)だからなぁ。@LitoSnowfield
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posted at 17:43:48
東の議論というのは(郵便論的存在論的)、オブジェクトレベルとパフォーマンスレベルがあるのではなく、オブジェクトレベルとメタレベルがあるのだ、というハイデガー論なんだけれどね。それをパフォーマンスレベルで受け取ってしまうと、誤配信になるよ、みたいな。@LitoSnowfield
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posted at 17:42:35
そこで問題なのが東の議論よね。ハイデガーが仕出かしたのは、デリダが躓いたオブジェクトレベルとパフォーメイティヴ(かっこつけ)なレベルではなく、じつはオブジェクトレベル(息子の視点)とメタレベル(神の視点)のことだった、という。@LitoSnowfield
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posted at 17:41:02
だから、根源的プロテストなのよねハイデガーって。創世記を選民的に独り占めにするな。それは文化ですらない、謀略だと言いたいんだろうから。ハイデガーが造物主(などという虚無)は存在しない、みたいに言うことになるのも、そういう意味なんだろう。@LitoSnowfield
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posted at 17:00:40
新約=キリスト教では、どうしても創世記(の固有性)を名指してしまう。それで詩が自由に書けなくなった、とハイデガーは言いたいんだろうなぁ。フランス人だとどうしても新約的にユダヤ人を固有名で名指してしまう、というのは、まさにそのあたりのことだしなぁ。@LitoSnowfield
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posted at 16:53:30
おもしろいのは、新約では旧約=創世記の固有名性を名指してしまうから、ハイデガーがそれを名指さない新・新約を語ってる、というあたりだろうなぁ。だから彼は天地創造というか造物主を語らないのよね。造物主を語らないで済む単独者になったというか。@LitoSnowfield
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posted at 16:50:56
カント以後、西欧哲学は、音楽と文学の違いしか語っていないといっても過言ではないのだが、ハイデガーが達成した音楽こそ文学だ、という詩論=時間論が、ギリシャのパトスの復活だとする、ボブ・デュランのノーベル文学賞受賞によって、現前化されているのが極めて興味深い。
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posted at 02:22:47
私たちはつい、自分を静的に対象化(物化)してしまう。ハイデガー以後の詩学というのは、こうした自分を物に喩える近代の病を、徹底的にギリシャ哲学への誤解として抽出して、ある瞬間に我を忘れて文学的感動に没入するような、本来の動的な対象化、をパトスとして取り出す、というものだ。
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posted at 02:15:45
2016年10月12日(水)
ハイデガーから言語が逃走しようとすると、ハイデガーを前期の実存論に封じ込め、後期ハイデガーの四方界まで、単なる素朴実在論(つまり存在者性)の地平に埋没させてしまう。そうした隠蔽を起こしてはならない。@BeTakada bit.ly/2er6GHi
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posted at 20:03:50
その「未だ言えていない」という時間論こそ、後期ハイデガーから言えるようにしなければ、浅田彰ではないが、ハイデガーを隠蔽するドゥルーズによる、日本のポストモダンの逃走のような騒ぎを蒸し返しかねない。@BeTakada bit.ly/2er6GHi
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posted at 20:03:22
2016年10月11日(火)
自己反省なのだろうか? 自己を物のように存在者として反省対象にした途端、欠如態ないし否定から語られる事柄には、その自己自身が属していない。そういう齟齬だけが厳密に語られなければならない。その嘆きなのだろうか? @BeTakada bit.ly/2e2a9gm
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posted at 16:35:43
2016年10月07日(金)
三島がハイデガーのヘルダーリン解釈を潮騒で作中人物に語らせるのだが、ハイデガーはヘルダーリンによって、ニーチェ的な回帰、つまり呪縛から解き放たれる言葉の運動を発見したのに、三島はヘルダーリンからニーチェに戻ってしまう。それが、デタッチメントなんでしょう。続 @inja650rr
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posted at 18:18:59
2016年10月06日(木)
ところで、ハイデガーは難読だ。それは何よりもインテリ批判だからだ。ハイデガーへ拒否反応するとマルキストのインテリだが、最近では高校レベルでも、ハイデガーはこれほど素直に教えられる。この高校倫理で(基礎存在論は)十分だろう。www.youtube.com/watch?v=tzUKVH...
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posted at 16:30:40
つまり、古来、人間に取り憑いた病である、不死(死後の霊魂)という問題からやっと自由になり、人間がやっと死ねるのようになった。そして、死ねるようになった人間には褒美として豊かな人生が与えられる。そういうことが現代哲学では最大の関心事として語られているのを、あなたはご存知だろうか?
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posted at 16:29:08
これがハイデガーの基礎存在論のいう決意性という問題だ。これほど皮肉られるように、現代人は死ねない。死ねないというのは無間地獄のようなものだ。ハイデガー自身は、こうした死の決意性という人生観から、後に大きく転回してしまうのだが、そこではもはや、死は決意する問題ですらない。
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posted at 16:28:49
この死から現実逃避してしまう、という現代病を哲学で問題視したのがハイデガーであり、生きながらえることが人生の目的となる時、死んだような人生になってしまう、という皮肉(イロニー)を取り出し、そして人間はいつかは死ぬのだ、と決意することが、人生を豊かにする、と語ったのだ。
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posted at 16:28:00
もちろんそれはSFのようなものなのだが、この記事は、そういうことこそ現実にはあり得ない、という全否定であるのが嬉しい。headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161006-... なぜ、嬉しいのか? それは死ぬことができるからだ。それは、死ぬことがどれほど困難か、ということの裏返しだ。
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posted at 16:27:10
たとえば、かつて不死とは霊魂の不死、つまり死後の世界のことだったが、現代社会では、医療技術が進歩すると、肉体の不老不死が実現し、死を免れる、という誇大妄想まで出現してしまう。
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posted at 16:26:36
現代人は死ななくなった。自宅で医師が看取らなければ自然死もできない。そればからいか、生きながらえることだけが人生の目的になってしまった。これが新たな不死という問題系だ、というのが現代哲学の最大の関心事だろう。www.facebook.com/kaoru.ohmoto/p...
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posted at 16:25:48
さっき、ハイデガーの話 twitter.com/sunamajiri/sta... でやっていたが、高齢化すると選択肢が狭まり、身動きができなくなる、ということが問題なのだ。お金を借りるというのは与信するという上から目線ではなく、選択肢が潤沢にあるからお金を借りるという因果関係なのだ。
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posted at 15:39:41
逆よ、ハイデガーはインテリ批判。だからお世辞にも読みやすくない。逆にハイデガーを攻撃する人はマルキストのインテリばかり。言っていることは単純で、生きながらえるだけの人生なんてつまらないという一点。これで十分。www.youtube.com/watch?v=tzUKVH... @rinsstudio
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posted at 14:19:22