大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2016年11月13日(日)
2016年11月14日(月)
人間には哀しみがあってはならないというヒューマニズム、人間は強いから不死ですらあるんだという宗教。そういうものからは人間の哀しみも人間の幸福も語れない、とハイデガーがあれほどしつこく語っているのに、誰の耳にも入っていないのが不思議過ぎる。
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posted at 23:07:24
2016年11月15日(火)
物が物化しない、世界を世界化させる出来事を本有化(GA79ブレーメン講演の論理性)しない学は、虚無を表象する非存在論(ニヒリズム)であり、物化しないとは近代では精神、古代的規定では霊魂となり、不死(死ぬこともできないこと)になることだ。呪縛霊みたいな感じね。@BeTakada pic.twitter.com/tfM9VPwwo8
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posted at 16:39:46
2016年11月16日(水)
先程言ったように、スピノザ的汎神論(日本人にとってはカントが批判したような素朴実在論だろうが)というのは、デカルトへの懐疑論で、カント以後はスピノザの克服、超越論の話でしょう。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada @inja650rr
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posted at 22:43:05
2016年11月17日(木)
非公開
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2016年11月18日(金)
デカルトのいう神というと、まるで観念のことに思えるからこそ、至高という観念、無限性、自己原因に分解したスピノザ的な汎神論を、もう一度再統合すると、というドイツ人のスピノザ論争(汎神論論争)が端緒だからね。@BeTakada bit.ly/2f534q0
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posted at 06:03:22
ちょうど先程どなたかが、古いこれ twitter.com/sunamajiri/sta... をRTしていたが、被投性テーゼも、問題を企投的に言語化することではなく、先行する問題を被解釈性とするために、受動的というか被投的に問題に投げ込まれている、というような話だからね。@BeTakada
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posted at 06:10:45
そうした解釈学的循環によって、ハイデガーは明白にニヒリズムを克服 twitter.com/BeTakada/statu... しているとみるべきだが、それは転回前からそうだったのではないか、というのが今日的な関心事というだけでしょう。ある意味それ以外の論点は全てニヒリズム。@BeTakada
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posted at 06:17:30
ブレーメン講演は転回後だが、講演は内部で転回しますよね(最終節は転回という表題)。しかしその転回という最終節の前から、すでにそれを言い当てているわけですよね。最初から言い当てているわけです。GA79-49 twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada
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posted at 06:23:38
2016年11月22日(火)
というのは、いまタカ基地 @BeTakada さんがRTしてくれた半田さん、連投で見ると、半田さんの図式光景が非常にわかりやすく書かれているね。このあたりから図式光景、つまり概念図を整理すると良いかも。bit.ly/2fkDxNe
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posted at 03:30:15
とくに、半田氏の「シュタイナー的な高次思考が、従来は非身体的=図式的に見えたのは、三次元を認識させる交互の観察者が、それぞれ無限遠点=神の視点に立っているからだ」という言い方(図式光景)が、非常にわかりやすい。bit.ly/2fkDxNe @BeTakada
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posted at 03:45:33
ただ、こうした時空というドイツ哲学の発問はあくまで、デカルトの神を観念ではなく、無限に解体したスピノザの汎神論に対する、批判性としてのみ存在できるものなので、素朴に受け止めれば物自体という観念論を免れない。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada
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posted at 04:41:41
スピノザの汎神論批判としてのカント以後の絶対時間を解体させたハイデガーと、半田氏的なシュタイナー論 bit.ly/2fkDxNe を比較すると、ハイデガーの言う被投、脱自、非現前時間が逆に浮き彫りになるところがあるのかもしれない。@BeTakada
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posted at 05:04:15
2016年11月27日(日)
タカ基地 @BeTakada さんが、ハイデガーや半田氏で語ることが生物のデジタル性で、それが私がカント書を読解してAIに繋げることを、柄谷行人がコミュタリアン的に捨象する岩田弘のアソシエーションから、Kim氏が一文で図式化するとは。bit.ly/2ghdDbw
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posted at 04:11:38
タカ基地 @BeTakada さんが、語る生物こそデジタル的だというのは、たとえば bit.ly/2gm5JxW なのだが、そうしたことが、ハイデガーのカント解釈だという、Kim氏は流石に鋭いな。bit.ly/2ghdDbw
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posted at 04:17:05
生物こそ最もデジタル的で、ネットやAIというデジタルリソース化は生物化だ、という話が柄谷行人(のアソシエーショニズム)にはない、という点が秀逸だが、対する岩田弘のコミュタリアニズム捨象も、深刻のようだな。www.amazon.co.jp/review/R15JLXF... @BeTakada
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posted at 04:20:24
Kim氏の、ハイデガーカント書読解「生物こそデジタル的情報処理であるなら、純粋直観は悟性とは独立しておらず、(純粋直観が)悟性の働きなのではないか」というのがよい。カント書の時間規定からはそう言うしかないし、AIこそ生物だろう。bit.ly/2ghdDbw
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posted at 04:26:56