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2011年07月18日(月)
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「名づけることは、表象することではない。名づけることは、さまざまな記号によって伝達すること、すなわちある目的のためにさまざまな手段を用いて伝達すること、ではない。」(『法の力』)あぁーやっぱ『必要なる天使』ってナチズムに関するテクストなのかな、それを提示できなかったのは悔やまれる
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posted at 21:40:22
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だれか「感動をもらった」については論文化して残しておくといいよ。あと「心が折れる」(個人的にはこれ、ボブ・サップ絡みで最初に耳にした記憶が)とかも。その辺のスポーツ周りの日本語の感性語彙は今世紀に入るあたりで大きく変容したような感触があります
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posted at 21:21:47
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「感動をもらった」にまたもいらいらしてる人が多いようですので再掲。勇気や元気がもらわれることは時々あったが、感動をもらうようになったのは98年長野五輪の閉会式でスケートの岡崎の発言がマスメディアで報じられた最初期の用例。その後シドニー五輪02W杯以降はもらい放題になった模様です
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posted at 21:16:35
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演技的にも非常に興味深いことがいくつか発見出来る。不良の演技はリアルとそうでないものとの区別がつきにくい。実際においても不良とは演じられるものであるという事がリアルさをコーティングしているからだ。後は不良の演じ方が板についているかどうかの勝負になるのかもしれない。
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posted at 20:03:35
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逆に、聞き手の側が、「発話内容は自分の認知構造によって規定されている」という事実認識を踏まえつつも、「発話内容は相手の意図によって決まるべきだ」と考えているなら、絶えず自らの認識を括弧に入れようとしながら、相手の言葉に耳を傾けるようになるだろう。そこに対話の回路が生まれる。
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posted at 13:41:00
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その場合、「私はそういうつもりで言ったのではない」という相手の言葉は、これ以上聞かれないことになる。そうやって、コミュニケーションの回路が閉ざされるか、あるいは自分は言いたいだけ言う、でも相手の言葉には耳を傾けない、という権力関係が生まれることになる。
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だけど、事実問題として、人間は自らの認知構造を通してしか他人を認識することができない。それをどのように考えるかで、ある会話が対話となるのか、それとも権力関係となるのかが変わる。つまり、「君が言った内容は受け手である私が決めることだ」と言うことは、自分の認識の訂正可能性を否定する。
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posted at 13:36:29
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たぶん、こういうことじゃないかと思う。人が誰かと対話するとき、相手の意図を汲み取ろうとするのだと。より厳密に言えば、相手の意図を汲み取ろうとせず、相手を自分の認知カテゴリーにただ当てはめるだけの会話は、対話とは普通呼ばない。
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