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2011年05月21日(土)
「Shine!」「輝け」「爆発しろ」「もげろ」など様々な罵倒を経て、ついに「超新星爆発しろ」「白色わい星化しろ」など星になることを強要されるようになりました。どうしたらいいですか? キラッ☆ミ
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posted at 21:22:02
短期的に習得が必要となる護身術としての少林寺拳法について。また人体の動きの理に適った技法――関節技、打撃技の解説など。非常に分かり易いので是非! / 身体論 第6回:少林寺拳法連盟会長新井庸弘氏によるご講演 htn.to/d8SoVn
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posted at 20:48:14
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そこから中原の作品は一気に加速し始め、今考えても日本現代美術界の歴史の中での金字塔を打ち立てるような作品を造り上げる事になる。キャノンアートラボ bit.ly/iyKuKn でのグループ展での作品、中原浩大の作品「デート・マシン」(1991)だ。
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posted at 11:02:42
美術手帖最新号、中原浩大氏のインタヴュー:中原浩大氏は僕ら世代のトップランナーだった。彼の行いたかった事の本質は日本社会の本質的な『虚無の彫刻化』であったはずだ。しかしジャーナリズム、批評がそこに追いつかなかった。当時の美術批評は今よりひどくて西欧万歳。有名人万歳のみだった。
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posted at 10:19:09
父親がとまどっているのは、たぶん父親はフランス旅行をするとなったらフランス語会話から始める性格だからだろう。なんとかなるさって性格は母親譲り。父親からは、投げ出しがちな理想主義ってとこを受けついでいる。子供ってほんとハーフなんだな。
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posted at 06:47:33
母親の宇宙語は失語症によるもので、それはじぶんが喋る言葉だけじゃなく、こっちの話す言葉も、自分の中にある〝意味“となかなかつながらない状態。言葉が違って通じなくても、まあ、なんとかなるってのは旅先で実証済み。
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posted at 06:36:54
宇宙語をしゃべる母親と、母親が言わんとしてる事を推測しつつ、いかにも会話になってる風に頷いたり、笑ったり、あれ、なんかこの感じおぼえがあると思ったら、外国で言葉わかんないのにおしゃべりに話しかけられた時と同じなんだった。
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posted at 06:25:24
【高橋源一郎】『「今日はぼくの誕生日だよ」とのび太は言いました。「あら、わたしもよ」とのび太のママは言いました。「奇遇ですなあ、わたしもですよ」とドラえもんは言いました。もちろん、今日は三人の誕生日なんかではありませんでした』(続く)
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posted at 02:17:27
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2011年05月20日(金)
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2006-2008年度「知デリ」から5つの対話を収録。非売品ながら、山極寿一氏、八谷和彦氏×原山優子氏、藤田一郎氏×藤本由紀夫氏、飴屋法水氏×石黒浩氏、後藤祐児氏×日詰明男氏と豪華なラインナップ。めちゃくちゃおもしろいです。 t.co/x8TQZjF
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posted at 23:55:11
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2007年に僕が書いた減災絵本「いのちをまもる智恵」のことをブログにアップしました。日本で大きな災害が起こってしまった今だからこそ読んでほしい本です。innerscape.exblog.jp
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ガチで絵にしか見えない一枚だなコレ・・・! 『「これ、写真なんです」と言われても信じられない、一枚の砂漠写真』 www.hiroburo.com/archives/51758...
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posted at 19:39:16
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でもサルトルはあの嗅覚でホモ・サケルとその政治性を結びつけていたと思う。彼はのちに難民や収容所の問題に発言を繰り返し、F.ファノンなんかに強い影響を与えた。きっとサルトルは、彼ら難民のうちに純粋な実存と政治性の結合体を見ていたんじゃないかな。
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posted at 16:45:39
それは法や共同体から締め出された者として剥き出しの生を捉えるか、それとも自らそうした共同体から身を引いた個人として捉えるか、という態度の違いで、前者のアガンベンは同じ剥き出しの生を政治の問題に結びつけることに成功した。サルトルは失敗でしょう。
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posted at 16:16:40
たとえば『存在と無』のサルトルが提示した人間存在もホモ・サケルの似像として読むことができる。実存主義は、でもあくまで個人主義の哲学を逸することがないから、『存在と無』以降の政治化したサルトルは自己の哲学が政治にうまく接合しないことに苦しむことになっちゃう。
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posted at 16:12:20
もっともホモ・サケルが殺した相手のアラビア人は法秩序に属しているので、罪を犯した意識はなくとも罰は受けることになるけど。ともかくムルソーはホモ・サケル以外の何者でもない。
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posted at 15:42:31
じゃあカミュ『異邦人』をアガンベンから読んでみよう、と。ムルソーは何故殺人を犯したの? 厳密に言えば、彼には罪を犯したという意識はない。彼は法秩序に属していない、共同体から締め出された者。主権者がホモ・サケルを殺しても罪に問われないが、ホモ・サケルも法秩序に束縛されず行動できる。
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posted at 15:39:59
そういう読み替えが読み替えとも思われずに実行されてきたのが近代という時代だ、とアガンベンは診断していると思う。そこで思われるのは、いわゆる実存主義というのはこの"剥き出しの生"(ホモ・サケル)主義のことなのではないかと。単独者・異邦人と呼ばれるのは、自分を例外状態に置くこと。
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posted at 15:34:32
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ハイデガーはなんか運命論的だと思う。世界に投げかけられているという事実性を引き受けなきゃならない。でもハイデガーがここで言ってる事実性ってのは剥き出しの生として、なのに対して、ナチズムはドイツ国民として、血を継ぐものとしての事実性。つまり前述のレトリックでハイデガーを読み替えた。
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posted at 15:05:51
ぼくらは生まれつき国家に属し、法に守られていると感ずる。でもその保護膜はいつ剥がされるともしれない。純粋な生存状態と法に守られた政治的なありかたを一体のものと考えるのは虚構で、いつ剥き出しの生を露わにされるかわからない。そういう意味でぼくらはみんな潜在的にホモ・サケル。
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posted at 14:08:08
ホモ・サケルとは人の法からも神の法からも締め出された者、法の保護を受けられず(=剥き出しの生として)、主権者に生殺与奪を意のままにされてしまう者を指す。現代における例は、収容所の住人、ナチ体制下のユダヤ人、脳死者、そして潜在的には今日を生きる我々すべてのひと。
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posted at 11:26:02