大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2014年07月04日(金)
英仏哲学なら和訳では外来語や造語がしっくり来るが、ドイツ哲学の語彙は仏教用語に見えるのかね。ハイデガーもラテン語経由twitter.com/sunamajiri/sta... だと、意識に取り込まれ、ギリシャ哲学の注解に過ぎない後世の哲学は歪むが、独語にはそれがないとしきりに言うわけだが。
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posted at 04:32:03
仏語哲学は独語術語の注解みたいになっちゃたからねー。しかも無神論に逃げるための口実探し。しかし、ドイツ哲学もハイデガーを経由すると、なぜか日本語哲学による注解の方が、痒いところに手が届くとドイツ人に言われるね。www.let.osaka-u.ac.jp/~cpshama/shizu...
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posted at 04:52:42
西欧人は、ただ生得的かどうかという一点にしか関心がない。プラトンは前世のイデアの記憶を知識というし、アリストテレスだと基本術語は霊魂よね。これがラテン語になるとオカルトだコギトだと濁るらしいのだ。東洋人がいるのかどうかわからないが、この議論から隔絶されると非西欧的ね。
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posted at 04:53:15
日本だと知識というものは後天的なものという独断があって、前世とか生れ変りは実証科学的に判断されるべきものと看做されるのだが、そもそも西欧では哲学の唯一の命題。キリスト教神学がそれを隠蔽し、転じて経験科学に分科しただけだから、知識が後天的という自明化は、西欧的ではない。
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posted at 05:09:18
知識とは何かという認識論は端的に、キリスト教神学の時代にいくら隠蔽されようとも、西欧では「生得的かどうか」という関心事を指すだけだから、その命題を、実証科学のような部門で、「オカルトは経験できるか」なんて想定するのがナンセンスなのだが、日本人はそういう時に仏教用語にお隠れになる。
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posted at 05:25:40
西欧人が聖書をアップデートする終末論ばかり信仰するようになったのと、西欧が同じアリストテレスの圏内にあるイスラム教やユダヤ教と、神学的な接点を喪失したのは、近代になってからだからね。まさにバベルの塔のように言語が通じ合わなくなった。そこで日本人に助けを求めてるってわけよww
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posted at 14:33:17
いつも西欧哲学の仏教語による邦訳の話twitter.com/sunamajiri/sta... をしていますが、日本が英語圏に引き寄せられるのに、哲学などで独語圏に引き戻される、という綱引きが現代史そのものですね。独語圏から英米仏語圏に行きたかったんだろうな日本。
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posted at 15:05:03
twitter.com/kyototekken/st...ハイデガーがカントを生粋だと認めるのも、ちゃんと霊魂の生得説という、ギリシャの命題twitter.com/sunamajiri/sta... に忠実だからなのよね。いわば生得説でデカルトのコギトを純粋思惟に戻したりする。無神論のような不純はない。
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posted at 15:35:30
2014年07月05日(土)
たしかに数学的には現代文は飛躍といえそうだからねー。文が飛躍に見えるのは、文を情報伝達と構えるからなんだろうけどね。(^-^)/ @lirico2009 現代文って教えるの難しいですよね。わからない人には飛躍がありまくるように見えそうで。
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posted at 01:21:36
ハイデガー的な地平twitter.com/sunamajiri/sta... から見てしまうと、どうしても西欧は魂の探求で、魂など自明と思っている側(東洋?)には、西欧の探求者が他の探求(意識・経験科学という反省)をしてるだけに思わされるのも、キリスト教の効果だろうな。@ujikenorio
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posted at 01:52:00
フルートはサックスに負けるところがありますが、サックスは尺八に負けますね。ただ、ジャズだと尺八はフルートに負けます。西欧音楽は民族音階からメロディーに超越しますが、モダンジャズはその解体だからでしょう。(続く) @sei_ongakukouko
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posted at 03:58:22
(続き)ジャズがモダンになる過渡期で、ドラムの奏法がかわるのですが、その過程でサックスの奏法が進化した。そこで西欧音楽の解体が完了するのですが、マンネリ化する。フルートはドラムに負けるので脇役でしたが、いまや最もジャズらしいのがフルートです。@sei_ongakukouko
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posted at 04:00:02
コルトレーンあたりのやっていたことは、ジャズを解体するムスリム音楽への回帰にきこえる。ジャズがモダンで獲得したグルーヴ(ノリ方)が、そのまま直接にムスリム的な音楽の捉え方に回帰させちゃうんですよね。www.youtube.com/watch?v=9Es5Ru... @sei_ongakukouko
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posted at 17:23:29
70年代ソウルも、ジャズがそうやって一度ぶっ壊れた後の、ポストジャズですよね。音楽ってマンネリとぶっ壊しの無限の反復運動ですから。その両方の緩急がないと時間が静止して音楽が聴こえなくなる。@sei_ongakukouko 1970年代、私はソウルミュージックにはまって
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posted at 17:48:05
ツイートまとめ@FB(^-^)/ 魂を探求してるだけの西欧が違って見える? ハイデガーの純愛を目の敵にしたいのなら、それは霊魂論のような探求を嫌がるからかしらね? www.facebook.com/kaoru.ohmoto/p... @virusyana 難解文って外国語の誤訳のことなのー?
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posted at 19:51:40
たしかに、読むこと自体が批判で、読まないのは批判にならないが、ドイツ哲学に至るような魂の探求自体がそもそも、思いなしに対する批判なのだから、そういう西欧哲学の伝統を敵に回して批判ということがあり得るのかどうか。いわゆる東洋というものがあるのかどうか、最近非常に懐疑的なのであった。
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posted at 23:26:25
魂の探求といったが、問いとしては実に明快。生まれなど後天的な運命に閉じ込められて、不満ではないのか?という問いだからだ。この素朴な問いだけに忠実になること。イデアがイデア界の記憶のことであるように、後天的な運命によって記憶を失うこと。そのことだけが批判的に問題視されている。
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posted at 23:38:07
だから、批判というものは、魂を失うことの正反対の意味を持つが、それが想起であるのか創造であるのかは分からない。折り畳めば、この分からないということが批判なのであって、魂を失ったり、批判をやめたりするようなことは、批判ではなく単純に逃避だ。しかし、逃避が出来るわけでもない。
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posted at 23:49:57
2014年07月06日(日)
うーむ、アジア人は御本を読むと眠くなるみたいだな。私など御本を読むと覚醒して寝られなくなる。今で言う携帯を布団の中で見ると寝られなくなるのと変わらない。御本では眠くなる人達というのは、読み方がおかしい人達に多い気がする。twitter.com/tommy_japanese...
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posted at 00:06:13
カントの聴覚twitter.com/Cristoforou/st... のことに思えたが、メルロは諸感官(五感)である身体こそ魂のように分解できない、という了解の仕方をするからだ。polylogos.org/mmp23.html
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posted at 05:54:07
分解できないものは何か? 聴覚が優位だと人間にだけ神が聴こえてしまい、ハイデガーでは、そうした超越は「自明な前提」polylogos.org/mmp23.html だが、もちろんメルロは身体こそ魂のように分解できない(分解されれば失くなってしまう)という了解の仕方だ。
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posted at 06:16:05
っと、ちょっと『知覚の現象学』の身体の章の後半再読。脳病の症例では視覚は指示能力、触覚が把握能力で、聴覚が視覚より把握能力を誘発することはあるが、そうした諸能力の帰納・分解は「説明」であり、症状の存在「了解」とはならない、と書いてあった。
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posted at 06:35:29
リトさんなんかで実践的に感じてるのだが、みなさんSNSでペルソナをやるのだ。しかし現象学というのはそれを剥がすんで、私のペルソナは複合的なのだ。これで現象学そのもので身を証さなければならなくなってしまっているのが、ちょっと辛いので、最近逃げ腰なのだがw @virusyana
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posted at 19:17:05
逃げ腰というのは、現象学というのは役者をするためのメソッドなのだ。したがってSNSでもキャラになりきらなければならない。受験国語教育で現象学とは、と一般論をしていたら、ペルソナが剥がれてしまった。SNSで教育は無理だなと悟ったということなのだが。@virusyana
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posted at 19:30:12
キャラを統合しようとしたら気が狂う。それで無邪気にみえるのだが、警戒する人はこの無邪気を嫌うからね。観光地で写真を無邪気にツイートしたり、有名人の噂話をするSNSは、下々の人に見える。しかし、本来そんなものに頓着しないから無邪気でいられるという転覆がある。 @virusyana
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posted at 19:52:15
イアン・ハッキングのヘルダーは、カントの誤解だという柄谷行人の話twitter.com/sunamajiri/sta... があったが、タブラ・ラサというプラトン~アリストテレスの問いは、チューリングテストはジェンダー判定にしかならない、だわね。twitter.com/ibaibabaibai/s...
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posted at 20:31:59
タブラ・ラサ=真っさらであるかどうか。この議論だけが西欧であり、そうと思えない東洋なり日本近代なりが私の問いだが、人は機械になるが、それは元は機械ではない、ということであるにすぎない。フレーム問題とかチューリングテストというのは、このアニマのようなものに行き着くのがおもろい。
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posted at 20:47:27
アニマ(霊魂)を想定すると、タブラ・ラサが命題になる。この想定。なぜ私達は、機械になるために西欧のこの想定である第一哲学を、言葉の上で排除し、チューリングテストの被験者のままで甘んじるのか? それは言語twitter.com/curatorshinya/... のいかなる欠落なのだろうか?
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posted at 20:57:20