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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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  • 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
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2016年02月06日(土)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月6日

ついでに言っておくと、柄谷を形而上学に唆した坂部恵(岩波カント全集総監修者)の構想力論だが、坂部の弟子である近所のO氏の証言によれば、坂部の東大での構想力講義は、ほとんどミメーシス論(音韻的模倣論)だったそうだ。音楽は観念を模倣しない、という構想力に達していなかったことになる。

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posted at 01:25:31

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月6日

魂が身体の桎梏(監獄)に幽閉されて潜勢しているのではなく、当然ハイデガー以後、魂という概念に幽閉された身体という系=現勢が明快化する中で、これまた当たり前だがフーコーが身も蓋もないのがよい。身体を縛る魂。twitter.com/M_Foucault_jp/...

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posted at 03:24:57

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月6日

柄谷行人を形而上学に唆した坂部恵(岩波カント全集総監修者)の構想力論が、東大講義では実は殆どミメーシス論だった、という話をした。twitter.com/sunamajiri/sta... 柄谷がトラクリ以降、ハイデガーの構想力論を排除して、形而上学に転じているのが興味深いのだが。

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posted at 10:53:51

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月6日

ちなみに、なぜ構想力(想像力)という系が重宝されているかというと、非構想力である演繹や綜合という旧来の哲学の方法では、端的に神が捏造されてしまうのに対して、有限な人間の想像力では、そうした捏造が払拭されている、という点があるからだ。想像力は最も非宗教的な人間の営みなのだ。

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posted at 10:54:08

2016年02月07日(日)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月7日

ところで、有限性までは、現れの以前を語る図式は構想力と呼ばれていたが、有限性の後には思弁=語りと呼ばれるんでしょうか? そこで語られるものついては、タカ基地さんがお好きそうですね。bit.ly/1UTzjI8 @BeTakada

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posted at 03:37:39

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月7日

内的必然って被投=巻き込まれのことでしょう。構想力による有限性の後には思弁的転回論者ではないが、語りの中にしか力がないという、ハイデガーの謂がありそうですね。外力ではなく有力という。@BeTakada さんのニーチェとGA33も、一言で言えば、無力な語りだけが害悪という。

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posted at 21:12:01

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月7日

いやGA25でしょ。@BeTakada 来月はカントに戻りますがGA31へ向かおうと思ってます

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posted at 22:18:15

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月7日

GA31は、タカ基地さんの最大の関心事、(イデアから)自由であること、を図式論以降、つまり存在論的に語っているんでしょう、私は来月読解します。@BeTakada pic.twitter.com/CNY29gnrjA

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posted at 23:38:18

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月7日

一方、前カント書=図式論以前のGA25のカント論は、三種の綜合という図式の内実、GA33でアリストテレスが多様性をイデアから、謂わば救済したことを、カントが如何に時間化したか、という図式の内実が詳述されています。@BeTakada pic.twitter.com/lSQzauLbgl

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posted at 23:43:32

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月7日

要するに、遂行歴史は図式以前と以後で、図式以前とは、闇雲(構図無き)な概念対立、誤謬推論、アンチノミー、無限遡行、時の空間との点的止揚=否定=無であり、それらは仮象的図式であるというものです。@BeTakada

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posted at 23:54:09

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月7日

仮象的図式にいわば頽落して例示すると、その概念対立は、実在論と観念論という認識論の図式、唯物論と唯心論という存在論上の図式です。たとえば、detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_de... @BeTakada

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posted at 23:55:21

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月7日

しかしそれを無-問題(GA26)としたハイデガーの内的必然的転回以後は、その概念図式の根源をいわば言挙げしているのであり、イデアのような一性に対する多様性の語り、言挙げ、つまり有という現象なのです。もし有=言挙げという現象を伴わなければ、それは単なる多様性です。@BeTakada

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posted at 23:57:28

2016年02月08日(月)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月8日

しかし、方法的に如何にその自由が取り出せたのか、という懐疑に興味があります。図式論以後、決意性が語りの当為から不要化される。つまりアンチノミーが解消している。そうした図式が、GA33の「語りの中にある時、可能態は現実態だ」ですが、それを如何に取り出したのか? @BeTakada

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posted at 00:13:22

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月8日

こうした背反しない当為を恐らく自由というのでしょうが、それは概念化しないことです。人は分かりやすいという時に図式的というのです。概念、つまり時間概念が覆ってしまうこと。そこから自由になることが、本来の目的論です。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada

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posted at 00:19:08

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月8日

いま偶然TLにあった写真。ハイデガー全集31巻「人間的自由の本質について、カントの超越論的自由と実践的自由」講義がされた年の、ドイツの風景ww(^-^)/ twitter.com/historyinmomen... @BeTakada

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posted at 00:53:46

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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月8日

ハイデガーのいう根源図式からでしか、ファシズムに対する批判性が全く生まれてこない、というのは今の日本を見ていると痛感させられるのだが、GA33-72に、力の多様としての権力というのがありましたね。@BeTakada pic.twitter.com/PwwAM0sqP5

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posted at 01:32:07

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月8日

こうした多様に対する一はイデアではない、というハイデガーのいう自由の問題を、もう一度、先日の森一郎~斎藤元基twitter.com/sunamajiri/sta... のニーチェ~ハイデガーの、力の問題と、いわば綜合しないでは、またしても人間性に回収されそうですね。@BeTakada

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posted at 01:50:28

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月8日

ところで、創文社全集外文書の、いわゆるナトルプ報告の第二部問題(アリストテレス形而上学第九章に対する解釈学的視点)はご一読でしょうか? 図式論(カント書)以前の第二部予告では、図式とは解釈学的状況でしかないですね。bit.ly/1L8HACp @BeTakada

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posted at 01:53:28

2016年02月17日(水)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月17日

しかし、共同存在は、現前性の時間=時間の概念化からは生まれないのです。つまり神学や、神的なものによって、宗教のように共同的な言語が生じるわけではない。各自が脱自的時間を生きる時、お互いに共観する、というほどのことです。しかし前者と後者では大きく違う。@BeTakada

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posted at 09:29:21

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月17日

カントでは内的時間が図式性(超越論的時間規定)として語られるも、それが徹底されないために、図式性が歪んでいるのです。図式性が歪むというのは、内的時間が歪み、超越論的統覚たりえていない、というのがハイデガーの批判です。@BeTakada

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posted at 09:36:50

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月17日

不動の動者、あるいは一性というのは、すぐに神的なものと誤解されてしまうが、それこそが現存在のことです。動態に対する不動の動者。それは動態の多様性を、細大漏らさず捉える一つの一貫した視点で、そうした視点も静態的には想定できない。@BeTakada

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posted at 09:59:49

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月17日

一なるものとは、紛れもなく現存在(という無神論者)のことだが、そうした現存在同士でなければ、多様な人間同士は、言明を了解しあえない(デカルトの神観念要請に最も鋭く対立する、いわば無神論要請ですね)。そういう共同存在は時間を、如何に伝統的概念から解体するか。@BeTakada

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posted at 10:09:46

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月17日

そういえば、あのあたりの人たち、全て一般論にして喋るのよね。現象学的還元ができないというか。(^-^)/ pic.twitter.com/kByHnJRIsE

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posted at 14:58:11

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月17日

現象学的還元で思い出したが、ハイデガーのカント書でのカント批判を、フッサールの地盤から、平明に解説した本として、これは読んだ? 丸山文隆論文でも、この本ではないのだが、批判的に言及している注釈があるほどですす。www.amazon.co.jp/%E3%83%95%E3%8... @BeTakada

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posted at 15:07:52

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月17日

私が丸山文隆の内的必然性論文で、ずっと問題にしているのはこの注釈。そこに領域的存在論説をとらない側として、この斎藤慶典氏が列挙されていて、それはフッサールからハイデガーの転回を自明化する誤謬、と理解しているのだが。@BeTakada pic.twitter.com/26TwfbQQ0b

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posted at 15:08:51

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月17日

つまりハイデガーはフッサールの論理性をライプニッツに遡って真理性から退けた時に、メタ存在論への転回となるのだが、フッサールの内部からはそれがみえない。だが斎藤慶典氏はハイデガーと同じでメタ存在論を領域存在論とみなしていない、というのがその注釈です。@BeTakada

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posted at 15:10:49

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月17日

その一点だけを私はずっと考えている。領域存在論ではないメタ存在論を、ハイデガーは言い当てているが、フッサールは言い当てていない、しかし斎藤慶典氏はハイデガーのカント書に言及することで、フッサールを転回させてしまっているんです。@BeTakada

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posted at 15:13:05

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月17日

なお、斎藤慶典『フッサール、起源への哲学』では、ナトルプ報告も非常に分かりやすく解説されています。メタ存在論(超越論的図式性)どころか、現象学的還元もままならないのなら、ハイデガーからフッサールを見ているような同書をご一読ください。良いか悪いかは別として。@BeTakada

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posted at 15:14:51

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