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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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  • 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
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2016年02月18日(木)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月18日

ハイデガーのフッサール批判というのは、純粋自我という自我一般など絵空事だというものです。それはアリストテレスの不動の動者は神のことではない、という現象学的解釈、つまりデカルト批判なのです。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada

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posted at 07:50:20

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月18日

ハイデガーがアリストテレスという被解釈性を現象学的に解釈するとは、こういう図式です。不動の動物を、神のように解釈したために観念論に陥ったデカルトという被解釈性は、純粋自我や内的時間の実体化ではなく、不動の動者こそ現存在だと解釈する現象学です。@BeTakada

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posted at 07:51:01

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月18日

つまり、ハイデガーがアリストテレスを現象学的に解釈するのは、従来は神とみなされていたアリストテレスの不動の動者を、動態的な人間である現存在とみなす、という現象学的解釈学的な転回といってもよい。@BeTakada

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posted at 07:51:16

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月18日

ハイデガーのカント批判も、図式性である超越論的時間規定を根源としないと、超越論的統覚が歪むということです。それはフッサールでは純粋自我であり、どちらもデカルト的な実体論です。柄谷が見誤っているのだが、ハイデガーこそ超越論的批判です。twitter.com/sunamajiri/sta...

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posted at 08:05:35

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月18日

アリストテレスを被解釈性とすれば、不動の動者は、神を静態化する静態的人間ではなく、現存在という動態的人間であり、デカルトを被解釈性とすれば、それは一種の誤謬推論だ、と解釈できるのです。ハイデガーはそうしたトランスクリティーク(超越論的批判性)を獲得しているというわけです。

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posted at 08:10:09

2016年02月20日(土)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月20日

要するに、死という有限性の問題をはぐらかすな、という話なので、それは認識論の問題では無いのです。参考までに此方も御覧ください。twitter.com/sunamajiri/sta... その際存在論とは、形而上学を批判することだ、というのをお忘れなく。@utubyou009

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posted at 06:54:04

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月20日

存在論は、形而上学を批判する観点(地平)のことです。そのために、真理も論理的同一律、つまり汎神論ではなく、伝統的論理学(存在証明)によって隠蔽される、死という有限性こそが真理だという論理学です。日本が困難であるのは、それが神のような真理に見えることでしょう。@utubyou009

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posted at 06:56:17

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月20日

そうですよ。範疇的直観によって、カントの範疇論では概念化=現前化する時間を、超越論的規定性=図式性に峻別した(超越論的図式性)ということです。@BeTakada いま斎藤フッサール再読して思うことは、ハイデガーは確かに試金石ですが、フッサールの功績も大きいなと思っているところです

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posted at 22:34:37

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月20日

範疇的直観が出るのはGA21です。amzn.to/1OlADOo 時間は志向対象ではない=脱自であり、反省的対自のコギト(あるいはレスコギタンス)は純粋自我ではないということです。@BeTakada pic.twitter.com/BPrXvQ1lRv

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posted at 22:56:59

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月20日

範疇的直観によって、時間概念が隠蔽した図式性を発見しているのです。範疇論では、時間が超越論的規定であるという図式論から(批判視座が)退却してしまう。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada

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posted at 23:06:22

2016年02月21日(日)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月21日

解答例「我を物(レスコギタンス)と思えたら、今まで周りが物に見えていなかったことに気づいてしまい、周りが物質文明として大いに発展した。そうした狂気を近代的自我という」wwww(^-^)/

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posted at 19:17:42

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月21日

昨日到達した所では、ハイデガーが退却を批判する、ということの内実はこれだよ。(^-^)/ twitter.com/sunamajiri/sta... @LitoSnowfield

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posted at 20:23:04

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月21日

そこでいう図式というのは、時間は概念であるかどうか、ということ。カントでは時間が概念になってしまう(範疇論)。ハイデガーはそれをフッサールをも批判して、時間は概念ではないという(図式論)。このあたり。twitter.com/sunamajiri/sta... @LitoSnowfield

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posted at 20:23:27

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月21日

時間が概念になると神学になるのだ。しかし時間だけが概念化できないというハイデガーからみると、存在は神学的な問題ではない、ということなのだ。時間を概念=神学と捉えるのが根源なのか、時間は非概念=図式と捉えるのが根源図式なのか、という論争ねカント書は。@LitoSnowfield

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posted at 20:24:12

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月21日

時間=概念という図式では根源的ではないのでカントが退却している。ハイデガーは時間だけが非概念とすることで、範疇論に対して、図式論を根源化することに成功している、ということなのだ。@LitoSnowfield

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posted at 20:25:27

2016年02月23日(火)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月23日

面白いのは、アインシュタインはスピノザへの言及性でしかないのだが、ハイデガーはスピノザを回避して、ライプニッツから、フッサールの論理性である、ベルクソンのアインシュタイン批判である、時の持続という問題を批判する構図です。@utubyou009

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posted at 00:48:43

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月23日

哲学史的な問題としては、ハイデガー(現存在)というのは、いわばスピノザ(自己原因)いらずなのです。おそらく、デカルトの形而上学に対するスピノザを、史上初めて要請しないのがハイデガー、まるでモーセのように。twitter.com/sunamajiri/sta... @utubyou009

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posted at 00:52:11

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月23日

重要なのは、アインシュタインはスピノザを必要としたが、ハイデガーにはそれがない、という哲学史(人の歴史)を観念化しないことです。それでは旧約聖書です。それはデカルトはアリストテレスを必要としないイデア論者だ、というのと同じで、何も捉えていないからです。@utubyou009

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posted at 01:14:38

2016年02月24日(水)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月24日

このように、形而上学とはデカルトが自我を実体視したことでしかなく、アリストテレスにはそれはないというハイデガーの解釈学は、形而上学から現象学に「徳」を転回させる系譜なのだが、こうしたいわば現象学的転回を、ハイデガーは見事な精確さで遂行している。

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posted at 17:51:36

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月24日

これね。bit.ly/1STJ2ke 「漢字の『自』に『みずから』と『おのずから』の二つの意味を当てたために起こる混乱。」これカント的なものの輸入で日本で縒れたよね。ハイデガーではそれが隠蔽性だものね。 @BeTakada 可能態と蒙るデゥナミスの表現そのまま

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posted at 22:43:02

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月24日

為すと蒙るは種類でないというアリストテレスの主導的意味を読み取らなかった、デカルト~ライプニッツによって、カントが形而上学となったという、GA33第10節ですね。bit.ly/1XMuked @BeTakada pic.twitter.com/SyPqWpbiQ0

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posted at 23:30:56

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月24日

このハイデガーGA33第10節は、アリストテレス形而上学1046を、力は種類ではないと解釈するものですが、同講義で重要なのは、同1047、力は種類ではないというのが力としての語りの根源だ、という図式光景ですものね。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada

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posted at 23:35:48

2016年02月25日(木)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月25日

そうそう、ハイデガーのカント書(カント批判)は、受動能動、作用反作用(遠隔作用)を、可能と現実の様相など範疇化するが、そうしたアンチノミーは超越論的統覚というより単に無能力のことで、デカルトが批判したように作用反作用は魔術ではない、という図式論です。@BeTakada

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posted at 00:00:34

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月25日

要するに、生きるべきか死ぬべきか、なんてシェイクスピアみたいなダブルバインドの前に、お前生きてるじゃないか?という話だからね。「自」の「みずから」と「おのずと」の二重性が曖昧化したのは、明治の言文一致で、西欧哲学摂取のドサクサなのだろうけど。@BeTakada

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posted at 01:21:40

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月25日

そんなショーペンハウアー主義者冥利につきるようなアフォリズムを語るから、ハイデガーに、有限じゃん?って切り返されるのよ。アフォリズムをするならパスカルみたいに、想像力想像力といわなきゃ(^-^)/ twitter.com/Nietzschebotjp...

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posted at 10:19:45

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月25日

無限とか永遠とかをアフォリズムするか、いや想像力だとアフォリズムするかが、アホリズムとの違い。パスカルを見習いなさい。じつにハイデガーの語り方のマニュアル本=カント書の図式どおり(^-^)/ twitter.com/B_Pascal_jp/st...

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posted at 10:24:18

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月25日

語り方のアフォリズム派とアンチアフォリズム(ハイデガリアン)派。アフォリズム派が、ここでパスカルのように想像力といわず、認識というから、おそらく徳や人徳が転倒したのね(^-^)/ twitter.com/Schopen_bot/st...

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posted at 13:12:34

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月25日

アフォリズムの問題は、現象学を語り方の徳と位置づけるハイデガーにとっては重要。ショーペンハウアー~ニーチェのアフォリズムでは永遠を語りかねないが、ロマン派のアフォリズムの方が、パスカルの想像力をめぐるアフォリズムより優れているという。twitter.com/Michael_Ende_j...

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posted at 23:32:10

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月25日

永遠を安っぽく語る凡庸さに対して、鋭い語り=現象学とは何か。ハイデガーによれば、それはアリストテレスの図式性を範疇論と誤解して、想像力を自我という実体として語った近代の形而上学を払拭しないかぎり、得られない語り方なのだという。twitter.com/sunamajiri/sta...

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posted at 23:56:19

2016年02月26日(金)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月26日

ハイデガーの主張は、形而上学は近代に捏造的に生まれたものであり、そうした近代性とは、語っている人が、語りの図式構造を忘却している状況に過ぎず、だからこそ凡庸な語りは宗教的とも言える永遠時間しか語らない、というものなのだが、語っている当人はなかなか気づかないものなのだ。

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posted at 00:05:57

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月26日

事象に背後世界はない、という古来からの図式的な霊魂規定を度外視して、霊魂という範疇を措定した時、このように語り手の存在が掩蔽されてしまう。こうした存在者の全体を、さらなる外側から図式論すること(超越論的図式性という)。それをすれば自己という事実が語られる、という現象学。

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posted at 00:08:09

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月26日

存在者の全体をコギト・エルゴ・スムとすることに対して、エゴサムコギタンス=時間性という問題は、自我を実体的に範疇化する形而上学という図式性では、時という原現象を明晰判明に語る超越論的悟性を範疇化(概念化)できずに掩蔽される、という超越論的図式性を示している。

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posted at 00:13:48

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年2月26日

こうしてハイデガー以後、語りは全てアフォリズム(図式論的アフォリズム)になる。それはパフォーマティブという問題ですらない。どんなに長ったらしく頽落して論述しようとも、それは詩のレベルなのだ。たとえばフーコー。twitter.com/sunamajiri/sta...

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posted at 00:37:05

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