大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2012年04月17日(火)
いやテクストはすべて事後的にしか読まれないですよそれは。つまり予言ではない。そういえばヒトラーBOTが面白いこと言っててRTしたつもりが、どっかになくなってしまった、なんだったか思い出せない。民主主義がどうのだったのだがw @femmelets 基本的に全部過去であると思います。
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posted at 23:53:12
寝直せるかが問題。というのも一日に一回読書でも音楽でも達する感覚がジャズミュージシャン的習性で、それは皆が寝静まった真夜中にしか起こらないのだ。昼間は凡庸になる。今日はどちらでも達していないけどあまりに眠くて起きてても達せないだろう。t.co/MmbYAErk
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posted at 22:47:09
そう考えると、憲法改正どころか、全法典改正、つまり占領以上の支配でも起こらないと、抜本的には治らない。つまり惰性で力を発揮できていた時はよいが、失速してしまうと、引力に逆らう術(法改正)がかなり絶望的。そんな話を元法制局長官と雑談してた。
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posted at 16:41:43
以前、母が元法制局長官と再婚話があったので(先方が病死)色々と伺ったが、兎に角日本の大陸法は徹底している。法律が有機的に書かれすぎていて、一文字修正すると多数の法律を修正しないと整合できない。だから改正が容易でない。また司法が弱い。だから立法府も力がない。
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posted at 16:39:45
フェアユースの話で思い出したが、日本のあらゆる問題が最近は英米法になれない大陸法の話にみえる。法律の構成が法制局で全部の文言を一括管理するしかない書き方になっている。だから司法も弱い。その結果犠牲にされるのはフェアユースなど国民の権利。裁判にもならない。
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posted at 16:28:36
引用や口コミもフェアユースではなく著作権法違反になる法制というのは、そのうち本文の内容ではなく、名称を名指しただけでプライバシー侵害とかいう流れになりそうね。つまり、何一つ話題にさせない。話させない。そういう意図なのかしら?
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posted at 16:00:05
2012年04月16日(月)
t.co/RyP1e8he カントは数学を総合、現代数学は分析。デカルトは総合で神、分析で我。スピノザは総合でも我といった。という國分氏の論述を読んでたとこだった。t.co/IGx8hAsx
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posted at 18:23:07
うーむ、指導してる受験生にはよく言うんだが、勉強も学問も楽しまなきゃ無意味だからねー、彼らは私の目には楽しそうに見える。どんなことも楽しめてないときは方向違いなんですよ、スピノザの知性改善論ではないけど。(^-^)/ @femmelets
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posted at 16:23:32
ちなみに國分論ではエチカは殆ど立論と論証に出てきません。そのためか、まるで神という語彙をスピノザが使っていなかったという奇妙な印象になりますが、國分氏の実証では、それがテクスト的事実のようです。RT @femmelets 存在論的なステータスが違うのではないかということですが~
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posted at 15:32:42
(読書メモ)より要約すると、デカルトにとってコギトも神証明も単に論述の順序つまり様式の差異でしかない。それはゲルーの指摘するとおりだが、スピノザにとってそれは様式の問題ではなく体系化の問題であった。・・・・有意味に要約するのが極めて困難な箇所だった。(・_・;)
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posted at 08:15:37
したがって、もし現代哲学が、スピノザが言うように、神に保証を求めたデカルトの誤読で「神」という術語を禁忌にしただけの言説とするなら、それはそれで面白い文学として読めるな、というだけの話ではある。
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posted at 01:37:50
なんで関心があるかというと、哲学という学科のない高校生に大学にはない国語という学科のゲームのルールを教える時、神という用語ほど読解枠として不可欠なものはないからなんだが。それを隠蔽するとたぶん正解はヤブの中になる。だからといって神が何かは勿論問うてはいない。
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posted at 01:34:40
哲学プロパーでないのが幸いだから平たく言うと、神という用語を禁句にした現代哲学は、哲学の不可能性でしかない、とかそういう話しにも見える。いいのよ神だ神だっていっておけば、減るものじゃないしww (^-^)/
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posted at 01:32:41
人VS自然(=神)という対立項を読解枠にすると意外と見えづらいのだが、神VS自然という、ごく平たい対立項で読むと、たとえ実在に原因のある表象であれ、明晰判明さであれ、無限遡行の回避であれ、それほど修行が必要な悟りには思えなくなる。(^-^)/
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posted at 01:26:31
よって暴論すると、デカルトの観念が神という表象に保証されていただけと仮定するなら、確かにそれ(神)抜きでスピノザが、コギト命題から再体系化したいという気持ちはわからんでもない。どの実在も神というフィルターで見えていただけで、自然が見えてたわけではないのね、とかいう話(^-^)/
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posted at 01:23:34
國分によると、デカルトのような「神によって明晰判明な観念の正しさを保証する」ということをスピノザは回避しようとしている、らしいですね。@femmelets 明晰・判明な(または「十全な」)観念を知性が形成することと真偽性や存在・実在は別なのではないかと思うのが普通ではないかと~
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posted at 01:10:30
圧倒的な差異があるみたいですね。國分氏は「観念の原因を実在に求めない」と「観念と実在の因果関係、つまりアプリオリな神存在証明では説得されないというデカルトの執着に徹底して無関心になること」と第二部総括に書いてますね。分かることが分かるとはそういうことらしい。@femmelets
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posted at 00:54:54
スピノザはデカルトを批判して、神と一言も言わないように実体とも一言も言わない。ただデカルトの神証明に付随する要請(読者へのお願い)を全部削除して、デカルトの定義に基づいて、もっと正確に再定式化できるだろう、ということにしか興味が無いみたいです。@femmelets
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posted at 00:41:42
ぜひ読んでみて。このスピノザ論が困難とするなら、それはそれこそ一概に言っても意味ないことなんです、もはや体系化としか言いようがない。先ほどの自明は、デカルトにとっては自明でもスピノザにとっては自明でない、よってスピノザは再定式化した、という意味で論じられます@femmelets
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posted at 00:35:52
2012年04月15日(日)
前にもやりましたが、司馬遼太郎が大本営は日本の精神性に起源がないという意味のこと言ってたわけですが、武士道なる収奪の物乞いを美化しすぎなわけです。ビジネス書も同様のたちの悪いナルシズム言説ですから、日本の組織は掌握が簡単なのです。@LitoSnowfield ビジネス書の怪しさは
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posted at 20:36:09
そう思えます。RT @femmelets 仮に存在を実体、存在者を様態に対応させようとしても、私の理解、記憶が正しければスピノザの実体は様態を離れて自存するものでも超越的なものでもなかったはずです。そういう意味でハイデガーの存在論はスピノザとは異質なのではないでしょうか。
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posted at 20:18:19
実体vs非実体、人vs神、自己vs他者という術語をどう駆使しても何か正反対な気がしますね~RT @femmelets 木村敏が~、ハイデガーにおいては存在は超越的である(存在者に対して超越であるという意味です)~が、もし彼が正しければ、スピノザの神・自然・実体とは違うということ~
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posted at 20:17:13
そう聞くと、ハイデガーの存在なる言い方は、益々何らかな撞着みたいにきこえる。RT @femmelets デカルトは多産な自然学をもたらしたがフッサールはそうではないという点でしょうね。スピノザとハイデガーの対比はより困難です。ハイデガーの哲学史はスピノザにほとんど触れません。
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posted at 17:10:06
荘園解体の武士以降は物乞いや収奪が美徳になったから、後ろめたい隠す心情が上下関わらず組織原理になってますよね(^-^)/ RT @LitoSnowfield 以前に伺った「武士=盗賊」を思い出しました“それでもだからこそ都合の悪い…”
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posted at 17:06:58
そのエチカに至る道でスピノザは『デカルトの哲学原理』で、『省察』の第二反論への答弁の『幾何学的様式~諸根拠』で、デカルトにとって(?)自明でないsumを、自明的に扱ったと、国分氏は立論してるのかな? sum=自己存在だけを基準に再体系化するという話のようで。@femmelets
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posted at 14:35:15
というか、村上春樹って、体系狙いの作家なんだけどね。分かりやすいわけでもないし。でも体系化のどっかに躓いたようにみえる。自覚的なのか無自覚なのか、いまいち見えづらいけど。つまり、分かりづらいけど。(^-^)/
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posted at 02:10:56
音楽でも酒盛りは地に落ちるからだめなのよー、神乞いしてる人間になって、神になれなくなるのよお酒って(たぶん、飲めないから想像だけど)(^-^)/ @toyozakishatyou たしかに。今、酔っ払ってるなあ(笑)。
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posted at 01:43:10
おお、酒盛り音楽家は神乞いの地面の音楽に聴こえる。私もコーラで飛ぶよーw @mizuki_muzika うちは身内に1人DJがいて、音楽をすげーまじめにやってる。でもクラブ行っても酒は飲まない。タバコも吸わない。コーラだけ飲んでる。バンド仲間は、酒ガンガンのんでライブやってるけど
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posted at 01:27:05
このように、超越論が体系化の反対語なら、自己とは体系化できないものの総称というだけだ。近代化なんて確定記述すれば、それは体系化できない自己の超越論だ、というだけ。したがって、国語の問題はほとんどこれだけ。
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posted at 00:17:49
これだけ超越論より体系化の方が気持ち良いと、んじゃ一丁体系化してみるかね、という気持ちになるww 大体常識的に考えても、アイデンティティーとか自己とか、糞近代化で悩んでいなければ、普通に体系的というだけ。何が分からないで体系が崩れるのかなんて自明なので、体系的に脱超越論しようw
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posted at 00:13:49
自己という存在の証明なんかしてまた愚にもつかない擬人法に陥ってるなら、さっさと他の証明しろよ、というスピノザの再定理化の話。超越論(定理で体系化できない評論)の授業ばかりやってると、やはり体系化は気持ち良い。
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posted at 00:09:31
國分氏の第四章。授業の合間に少し読み始めた。デカルト『諸根拠』の定義だけそのままに、スピノザがデカルトの「定理にならない要請(読者へのお願い)」を削除して、デカルトの(自己)存在の証明から、神の証明に、再体系化するという話。(^-^)/
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posted at 00:07:44