大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2012年07月28日(土)
2012年07月27日(金)
子供たちはほんとにかわいい。世の中の少子化というのも、この実親が子供に分からせられない何か、という幻想がプレッシャーになって、親になりたがらない人が続出したからに過ぎないが、子供たちをみていると、ほんとに子供ほしいと思ってしまう。(^-^)/
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posted at 17:21:45
この、実親では子供に「分からせられない」何か、というのがいわゆる近代性の本体なのだと思うのだけれど、逆説すれば、そんなものを分かったところで、何かが分かったことになるのかと、反抗期という概念が消滅した最近の子供たちを見ながら、考え込んでしまうのだ。(^-^)/
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posted at 17:19:20
それにしても、世の中のあらゆる利権の原型モデルって、どうやら誰が実親に代わって子供を教育するか、という教育覇権の競争原理が原型なのよね。そのためにあらゆる自己正当化や言い訳で、利権が生み出されるのよね。教育という近代的行為が諸悪の根源の気がするな(^-^)/
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posted at 16:54:25
2012年07月24日(火)
パリ、オペラ座図書館・博物館にて『布地に見る現代性、20世紀のパリ・オペラ座の衣装』展、開催中!9/30まで。 舞台衣装の歴史を、19世紀から20世紀のパリ・オペラ座で衣装を担当したデザイナーや職人たちの創作から振り返る展覧会。公式サイト⇒t.co/4qACxdOM
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posted at 13:58:28
2012年07月23日(月)
極端には、自分の身体に自分が「在る」わけではない、自分は(身体とは)別物だ、というのはデカルト主義や経験主義科学が作りだすオカルティズム、つまり科学が作り出した現実逃避だから、日本の過剰ともいえる国語教育では徹底して、そうした認識が添削されるよー(^-^)/
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posted at 15:14:49
t.co/AAMoKU8j 現象学テクスト(それがほぼ日本の国語の入試問題の原理だが)を見ていると、経験主義=科学になるほど、自我が主体とみなされなくなり、自分以外の何か他の物に自分を憑依させるオカルト願望になるのかしら? t.co/oiLKv4rN
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posted at 15:09:46
2012年07月22日(日)
ちょっと前まで日本人は、西欧文明に何か学ぶものがあるという態度だったが、西欧の科学も哲学も了解可能t.co/nWKtSHjd とすれば、もはやそういった歪んだ文明化の欲望は、粉飾や偽装t.co/3hHraPXz の温床にしかならないんだろうね。
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posted at 02:07:21
2012年07月21日(土)
西欧の文脈で、哲学と科学は、一方は存在するという実感を探求し、他方は、それを省略して宇宙の統一理論を妄想する、という戦争でしかないので、あらゆる言説は読む前から了解可能だが、問題は両者とも方法論がない話で、どう方法論に言及するか、しか面白みがない。西欧なんてそんなもん(^-^)/
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posted at 23:59:48
t.co/bkIBLanr メルロ知覚の現象学序論4現象野。感覚を科学は経験論で性質にしてしまうが、それは存在の連合(自分がいるという主体性の記述=一個の存在の知覚→一個の存在の系譜学)を、悟性として保留(省略)するという、カント主義の偏見に過ぎない。
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posted at 23:43:25
メルロを読むつもりなかったんだけど、元々私は、存在の知覚(自分がいるという実感や自分が愛されているという感覚)は、ビジュアル(見る主体になること)とは相容れないと執拗に言ってきただけに、全部視覚に呑み込んで、科学が形骸化させた存在の知覚を取り戻そう、というのは、説明にしか見えん。
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posted at 23:34:17
(メモ)感覚を経験論のいう性質と区別すると、古典的諸哲学が反省から見失った連合を取り戻し、カント主義が拡大した悟性から反省を取り戻し、感覚の身体への照応という反省によって、印象や実存から、世界湧出としての知覚という現象の核心を取り戻せる。 t.co/C3Ueuj38
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posted at 18:55:39
2012年07月20日(金)
2012年07月17日(火)
今またシュタイナーBOTが悟性とかいってたが、メルロ『知覚の現象学』序論も、ヘーゲル的な悟性の批判だらけだ。科学は心理学を派生するに及んで、主体に対する傍観者になってしまった。そこではあらゆる主体の問題が悟性と片付けられている。結果として、実感としての身体が、抑圧されている。
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posted at 20:52:57
t.co/WNe7xBUT それゆえ自分がいるという実感を、うちらがいるのように、簡単に相互承認しあえるとおもっている日本の共同体的心情からは、絶対に科学的客観性への根本的な批判は生まれてこないわけよね。
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posted at 20:23:02
もちろん、心身二元論は、ただ自分という意識があるという実感のことでしかないのだが、おそらく科学がデカルト的神に合体した後は、そういう自分がいるという実感を、客観的に言い表して共有する困難が自覚された、という程度のことなのだろう。
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posted at 19:48:37
最近読解塾で、心身二元論としての近代を教えるのに、魂は西欧では中世にはなかった。おそらく自己意識は(今で言う動物霊のように)神と合体していたのだが、デカルト以降科学がそれに取って代わり、各個人は自己意識=魂になった、みたいな言い方をするようになってしまった。
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posted at 19:46:15
攝津氏「デカルトのラディカルな発想は、『省察』などにおいて、数学的な真理や自然学、今日の言葉では物理学とか自然科学の法則さえも神に依存しているとみたところである。さらに、彼の連続創造説というのは、世界、特に物体的な世界が瞬間瞬間、神の協力によって維持されている、というものである」
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posted at 19:42:33
現象学は、これでもかと近代科学が奪った主体性を問題にするけど、近代科学ってデカルトの方法論だからねー。そういえば攝津氏が面白い言い方してたなー。t.co/HA103b4A 「神が恣意的に自然法則まで変更できる、と考えたのは、私が知る限りデカルトだけである」
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posted at 19:30:27
次の章で序論の結論だが、心理学が傍観者になり、主体を悟性でしか説明できないように、科学が、知覚(自分がいるという自分にだけ判明な実感)を度外視していることが、徹底して批判されるらしい。 t.co/LsMEFwOc
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posted at 18:24:21
ここの対立項は、悟性(による説明)VS反省。心理学は逆さまの視覚が認識できるのを悟性の働きと説明するが、眼球麻痺の人が動かない目を動かそうとすると、視界が移動する錯視になるが、それを反省すると知覚に動機があるという。 t.co/8Tk1SdN8
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posted at 18:12:15
2012年07月15日(日)
確かに心理学に哲学が職を奪われ、自分がいるという存在の知覚が危機なのだとはいえ、またデカルト的幾何学に遡行する幼稚さは、まだ大人になれないの?ってみえちゃう。メルロポンティ可哀想(^-^)/
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posted at 16:28:24
國分氏の脱構築的スピノザをみただけに、この知覚の幾何学への遡行は、幼稚にすら見えてしまう。スピノザでは本質と本性を切り分けたことで、定理8以降、神の幾何学は証明対象から外され解決されてしまうのに、メルロポンティは二次的知覚ではない知覚を幾何学的に証明する循環に再帰したいかのよう。
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posted at 16:23:28
知覚は経験的な二次的知覚ではない、とデカルト省察の言及した直後に、恒常性仮説批判に戻り、それらは意識にとっての標識(デカルトでは神による信憑性)ではなく、今度は知覚は悟性と異なり逆さまの図形を認識できない、と幾何学に戻ってしまう。
t.co/tC5YwNIa
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posted at 16:18:57
まあ、ここは経験論に対した主知主義を批判してるから、単に相対的にデカルトにあるのは神の要請による再構成で、ないのは経験による存在の知覚の結合と、なるだけなんだろうけど、相対性=対立項の定立(呈示)が下手ね。(^-^)/ QT: t.co/Fcgnrkwa
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posted at 15:54:20
存在と本質の結合(自分がいるという存在の知覚の統合、心身一元論)が、神によってではなく、デカルトにおいては経験によってなされていない、というメルロポンティは堂々巡り(デカルト的循環の内部)にしか見えないな~。 t.co/8F4tMIQD
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posted at 15:48:43
純粋感覚は構成されたものだが、知覚は存在の原初的認識(自分がいるという存在の知覚)であり、それが心理学の言う感覚を構成できるのは、なにもデカルト第四省察のように、神を要請して再構成するのではなく、存在の知覚ないし思惟があるからだ。 t.co/IVKYZta4
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posted at 15:25:56
メルロのデカルト省察言及t.co/UGleN8UX t.co/n6OD2c8r の続き。自分がいるという存在の知覚をデカルトは神で証し、心理学も同じ独断だ。t.co/LyQNmAW3
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posted at 14:44:23