大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2012年12月06日(木)
Gregory Bateson bot2 @Bateson_bot2
デカルトはその有名なことばcogito, ergo sum -「われ思う、ゆえにわれ在り」でよく知られている。(中略)思考という前提にもとづいて一大哲学を築いた彼の意志が、精神と物質の二分法によって思考に関するすべての思索を後退させることになどなかったのは明らかである。AF
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posted at 09:37:27
2012年12月04日(火)
文を単語化=名詞化させたいという欲求ほど強いものはない。それは実体を観念化するようなものだ。単語化とは他の述定文に転じたい欲求なのだが、しかし大抵は名詞となり言語は終わってしまう。こうして檀家制度のような読ませない共同体になっていくのだろう。@sunamajiri
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posted at 01:42:01
読解における難読性も、西欧哲学まで、仏教用語で単語化して、文とならないということに過ぎないわけだが、この文を読解させないものが、日本ではこうした檀家制的共同体だったわけで、それによって寸断された難読性を、文に戻すということが、とても重要と痛感してしまった。@sunamajiri
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posted at 01:30:14
読経させずに、お坊さんだけが経典に触れ、檀家を取り仕切るというのが、おそらく日本的な共同体の実態なのだろうが、それに拮抗して自ら音読するというのは、確かに風当たりが強いのは分る。しかし檀家制的共同体ゆえに寸断されているものを纏め上げる力があったのだろう。@sunamajiri
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posted at 01:27:13
そういえば、夜に話した考古学者が同じような話をしていて、神社は商売が下手だから必ず寺が寄り添うようにしてある。伊勢神宮でさえ寺が隣接して寺は稼ぐといっていた。稼ぐビジネスとしての仏教、そういうものが言語を実体化させず、受身で難読化を生み出しているのだろう。@sunamajiri
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posted at 01:16:36
その教徒の人たちの法華経解釈をいくつか質問してテストしてみたが、実体としての言語という合理的なものであって、むしろ檀家制のような日本近代仏教の不合理が目立つばかりだった。@sunamajiri
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posted at 01:13:38
自らが言語として実体化していこう、という読経を修行とせず、修行といったら修験道や荒行と、土着信仰の先入観で捉えるために、読経はお坊さんに、という日本仏教のあり方は、たしかに書き言葉の難読化の回路と同様、かなりおかしい。音読は読解でも最良の修行だしね。@sunamajiri
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posted at 01:05:17
話をうかがうと、檀家制とか、お坊さん頼んだらお布施という、日本近代仏教のようなことになっておらず、信徒自らが読経するというのは、言語の実体化としては、非常に合理的だし理解できるものだった。むしろまっとうな法華経解釈なのではないかと思えるほどだった。@sunamajiri
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posted at 01:00:51
読経といえば、きょう例の教徒の方々が訪問され、あげてもいいか?というので、ご自由にといったら、法華経をあげておられたけど、聴いているとラリりそうになった。言葉が実体化している音感はあった。(^-^)/ @sunamajiri
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posted at 00:57:58
2012年12月03日(月)
うん、いちおう母の実家は浄土真宗だけど、父方がちがったからなー。私がスピノザのエチカ冒頭でも読み上げた方が私なら成仏できるけど、読解できない人がきくと一気に観念論の執着がでそうだからなー(^-^)/ @slitsandfrills ちょっと安く上げられないか、お願いしてみます!
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posted at 13:34:05
いやー、お坊さんをたのんでないよー。なんなら私が実体経典を、あるいは比喩経典でも、その場でアドリブで端的に言語化するのもいいかも。なんてのは冗談だけど、どうするんだろう?わかんないよー(^-^)/ @slitsandfrills お経って上げて貰えるんですか?
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posted at 13:25:42
母がスイスに行くか生活保護かの選択肢だった、とツイートしたとたん、フォロワーが10人減ったぞ。母が日本を捨てられなかったのは祖国という形而上学だったのだが、新自由主義という観念論はなお性質が悪いね。脱観念論をこれからも徹底するよ(^-^)/ @sunamajiri
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posted at 12:36:06
震災直後もスイスから、避難してくれとなんどもいわれたんですが、母がなんといったかというと、やっぱり祖国はすてられない、日本人だから、という形而上学的なことをいっていて、まるでそれに殺されたかのように、私には見えてしまう。無念です。
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posted at 12:14:10
続き。従来の文系はイデオロギーをマルクス主義無神論と狭義に捉え、理系は広義にということだったが、そういうあり方自体を問うのが現代思想。@sunamajiri @Sergei_Micchan 「イデオロギー」をわかりやすく説明していただけませんか?
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posted at 11:09:16
中学生なら、対語は何?ときくべき。信仰や断片的思い込みに抗した体系のこと。無神論的に全面的に人間の主体性を肯定しようとする。ないしは無神論という信仰の近代化のこと。@Sergei_Micchan 「イデオロギー」をわかりやすく説明していただけませんか?
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posted at 08:46:11
2012年12月02日(日)
非公開
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posted at xx:xx:xx
2012年12月01日(土)
その、フィラーからファンクションライン、そしてラインのリズムフィギュアからモードへ、という引き裂かれが一昨日のフルート授業6時間だったよーww(^-^)/ @LitoSnowfield 両方が好きな私は困惑したものでした@bassfukawa
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posted at 02:50:24
ツイートまとめ@FB(^-^)/ 本にしか心がない、を読めないということ。単語に躓き文を読めず心に到達できない人は、社会人になり本を読む暇がない。一方、受験生が文に入門するということ、をめぐるツイート流れ。
t.co/EUiQeHIu
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posted at 02:34:06
その理由は簡単で、文字や身体まで記号や表象とするような、日本的ポストモダン(時代的にはバブル時代)が、徹底的に批判されている。そのために、表象に埋もれた実体、という主題が台頭している。しかしそれは原理的だ、ということ。@sunamajiri @op_kujou
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posted at 02:15:32
現代文では、躓きやすい単語を意識化させる。たとえば10年ぐらい前までは、記号や表象だったのが、いまや文字や身体が実体とされるような評論が頻出している。そのような単語に躓くかどうかをテストされるだけなので、数学などより対策がしやすい。@sunamajiri @op_kujou
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posted at 02:10:47
受験生にとって重要なのは、単語となった概念や観念に躓くな、ということ。たとえば神という単語に躓いたら文が読めなくなる。ただそれだけ。出題者はそこだけをテストしようとしている、ということを常に念頭において問題を解くこと。@sunamajiri @op_kujou
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posted at 02:07:25
ところで、このように説明するのにも、観念語が不可欠。今度は心と言い換えている。しかし、その心という単語自体に意味があるのではない。このように観念を函数のように運用する能力があるかをテストするためには、文にさせるというのが日本の国語。@sunamajiri @op_kujou
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posted at 02:04:44
つまり、心が分らないというのは、文や本を単語=観念で、別物として読んでしまっているということ。そこには確かに心はない。本が心に見えてくるというのは、単語に躓いて文を誤読しないということに尽きる。それを先程の入門と言い換えてよいと思う。@sunamajiri @op_kujou
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posted at 02:00:03
ちなみに先程から話題になっている、入ること(原理への入門)で引き合いに出されているヘーゲルというのは、序文が長いので有名なのだが、ヘーゲルはいわば、スピノザを読んで入門書を書こうとしている状態。そういう文を読んで分るか?ということ。@sunamajiri
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posted at 01:29:25
たとえば、この前の模試でいうと、コミュニケーションというのは、こういう分るを分ること。以前スピノザの方法でツイートしたように、分かり合えるみたいな感じ。それは文字でしか確かめられない、と脱構築させたのが模試。声では共同体=前近代になるとされていた。@sunamajiri
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posted at 01:27:37
しかし、その原理的というのも、いまツイートしたとおり、実体と表象とか、本物のと偽者とか、本人と言説とか、部分と全体とか、対立項でおさえればよいだけなのだ。それが捩れると偽者になってしまう。本人が聞いたら、わかってねーじゃないか、となる。@sunamajiri @op_kujou
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posted at 01:21:45
このメルロ論入ることt.co/RoMU5pdX は、入ること一般論。そのように入ることを語らせてしまうのが原理。それで入れないと、読むのを諦めて原理に辿りつかないわけだけど、しかし、じつは読まないでも原理はある。@sunamajiri @op_kujou
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posted at 00:20:30