大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2012年12月09日(日)
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チューリングを自殺にまで追い込んだ明証性。リーマン予想t.co/xxAd9jyH をみながら、ついチューリングによって日本に固有な科挙である受験制度のイデオローグと化したA先生を思い出してしまった。無限に正当化できない日本速成近代の様相だ。@sunamajiri
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posted at 23:42:28
否定できないものを否定しようとして自殺したチューリングのマシンで、高学歴化という速成近代を達成するために、国語の客観テストという特異な方法(仕方ではない)を中心とした日本の受験制度を、民主主義的だとして肯定するというのがA先生ということだろう。@sunamajiri
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posted at 23:31:23
A先生は行動主義によって、チューリングマシン=民主的受験制度こそが機械人間の人間化、高学歴化、速成近代を齎すと主張するのだが、そのチューリング自身は、素数の無限性証明である、リーマン予想を反証しようとして、明証性に逆襲さえ即効自殺してしまう。@sunamajiri
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posted at 23:27:23
それを速成近代が失ったということだから困るのだが、標識化しない明証というのは、否定できないものを否定せず、それ以外の言明は端的に誤謬だ、というシンプルなものだろう。その単純性を失わせた難読性も、実は難解な問題ではなく、単に誤解であるに過ぎない。@sunamajiri
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posted at 23:12:03
この日本の近代化が必ずしも明証でも科学的でもないという一連の問題が、ずっと日本語を呪縛しているわけだが、しかしそこで考えなければならないのは、明証とは何だったのかということに尽きる。@sunamajiri
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posted at 23:04:03
これは別に大して難しい問題ではないのであって、そのように明証より標識を優先して速成的に近代化が必要だったのは、A先生も仰っているt.co/jbEPTVeP ように、機械人間=前近代的な共同体的な村人だらけだったからだ。@sunamajiri
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posted at 22:53:48
これを一言に纏めると明証の標識への退行というべきだろう。標識が道具と機械t.co/N6sM9aCa を生んだだけでは明証ではない。たかだかA先生がいうような日本近代化t.co/wcbVacHs ぐらいだろう。それは明証ではない@sunamajiri
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posted at 22:44:09
おそらく、証明できる無限だけが無限だといったデカルト的明証性が、否定できないものを否定することを土台とすると、表象だけが信憑されるようになってしまうのだろう。いわば表象を実体と誤謬するという問題だ。しかしもちろん、そこに積極的な何かがあるわけではない。@sunamajiri
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posted at 22:13:05
誤謬は常に端的だ。非科学的でない証明は、無限の証明以上におそらく不可能だ。しかしそれを可能と思い込み、否定できないものを否定するような態度というのが、人間が証明できる無限だけが無限だというデカルト的な明証性の限界なのだろう。@sunamajiri
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posted at 21:59:32
そのようにしてアランチューリングは、リーマン予想=無限は科学的に証明できないから非科学的だ、と証明しようとしてすぐに挫折し、直後に自殺してしまう。まるで科学合理主義の自殺のような出来事だ。科学がそのような合理主義でないことの証明のようなものだろう。@sunamajiri
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posted at 21:51:34
あるのは言明の正誤表だけといってまずまちがいない。リーマン予想を人間が証明できない、だからそれは積極的に科学的ではない、という言明は誤りだ。言明はつねに端的だが、したがって端的に正誤が明らかになる。否定できないものを無理に否定する言明こそ誤謬というだけ。@sunamajiri
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posted at 21:47:16
リーマン予想のような問題を人間の力で証明するのは、おそらく無理かもしれない。しかしそれが非科学的かというとそうではない。科学的に証明できないものは、積極的に不合理だという言い方がおかしいだけ。積極的な科学主義や積極的な唯物論がつねに如何わしいのもそのため。@sunamajiri
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posted at 21:45:03
否定できないものを無理やり否定するのは合理主義ではないからね。素数の話で、ナチスの暗号を解読したチューリングが、リーマン予想が間違いだと証明しようとした科学合理主義、科学的説明の無いものは積極的に誤りだ、は結局証明できず、彼はすぐに自殺するんだよね。(^-^)/
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posted at 21:37:05
2012年12月07日(金)
人間の不自由の源(みなもと)は、人間が〈親〉(=家族)を持つということ、特定の空間と時間の中に生まれ落ちること、つまり〈生活(生死〉〉を避け得ないことを意味している。その意味で、学歴と都市と高層住宅は、反家族、反時空、反生死(反精子?)だったわけである。
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posted at 22:41:27
勉強=都市=高層化は近代化の三種の神器。これらは、時間と空間を相対化するという点で共通の根を持っている。それらは〈出生〉を相対化するわけだ。ヨーロッパに高層建築物が存在しないのは、ヨーロッパが未だに階級社会であることを意味しているにすぎない。
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posted at 22:41:08
近代(デカルト的矛盾ゆえの二元論)が齎した自己の表象化、表象の奴隷化、疎外といったようなものは、自己をお金に表象化するか、代表制となるかのいずれかだが、それだけでは民主主義も単に観念論か形而上学になってしまう。それをそろそろ実感してもよさそうなものなのに。@sunamajiri
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posted at 11:54:26
近代の特徴は、自己を代理人(代表者)に表象するか、自己自身がお金に表象化されるか、に選択肢が限られたところだろう。しかしいずれも単に表象=イデアt.co/mNIfzEM8 であって、それが自己を齎すというのは、プラトニックラブそのものだ。@sunamajiri
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posted at 11:49:48
表象という上辺に婉曲するような土俗的な、あるいは世間的な言語というのは、確かに表象の奴隷を生み出すのだろう。表象とは自己の表象のことだが、自己はつねに表象に疎外され、お金でしか自分でいられなくなる。それに気づけないと確かに奴隷的だ。@sunamajiri
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posted at 11:47:19
○○的というように婉曲できる単語は、文の表象部であり、文自体ではない。日本文化の最たる特徴である、仏教哲学的な経文すらも単語的に表象化して、文自体を難読として回避し、表象だけの上辺の気分だけで世間となる、という土俗性を国語教育は明確に切り崩そうとしている。@sunamajiri
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posted at 11:40:23
ところで高校国語の教科書に『的のつく言葉』という評論があるのだが、日本人は照れ笑いをするように、外来概念をすべて単語化して、それに○○的という婉曲表現を付加し、実体に距離感を置くのが日本的近代だ、という論旨がある。文科省もそれに気づかせたいのだろう。@sunamajiri
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posted at 11:35:46
合理性とは自己をお金に換算したり、誰かが誰かを代表するという表象の合理性、つまりオカルトを指さない。表象とは端的に貨幣のことだが、哲学史的には端的にイデアt.co/ywjf32s2 のことであり、それは実体ではない。@sunamajiri
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posted at 11:27:02
現代思想がマルクス主義の観念性に依存して、マルクス資本論の仕方を回避するのも、このように自己を表象化して捉えるという近代的二元論の呪縛によっているだけで、何ら合理性があるものではない。表象に合理性があるというのは単にオカルトだ。@sunamajiri
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posted at 11:21:53
性的実存を発見する現象学や、文字という実体を発見する脱構築に至るまで、現代思想は、この自己の表象化というデカルト的二元論の矛盾、つまり観念論自体を、相対化しそこなっている。それは仕方が悪いからだ。そのためにマネーが自己を表象化し続けてしまう。@sunamajiri
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posted at 11:14:07
このように、端的に言うと近代とは、単に自己をマネーに表象化させる観念論のことだが、実はそんなものはない。あるのは大きな物語や家族や自己という実体的なものだけで、表象としてのマネーの有無が、その実体を齎すわけではない。@sunamajiri
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posted at 11:10:09
近代を齎した自己の表象化。自己や家族には表象があり、それがカルチャーすらもマネーと錯覚させるという、自己の二元論というのは、そもそももデカルト的矛盾から生まれた二分法t.co/gwiZS7Av の焼き写しだが、それはもちろん誤解にすぎない。@sunamajiri
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posted at 11:06:54
喪失や無はリアルな家族の自分だから、カルチャーやマネーはそれ以外の娯楽か何かだ、という近代以降の観念論の仕方というのは、実際の死に直面したりすれば、容易に転覆してしまうリアリティーだというのを、日常忘れすぎている。表象などというものはない。@sunamajiri
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posted at 10:57:44
だから文学でも音楽でも、サブカルチャーの娯楽だという感覚にはついていけない。宗教を表象文化だというのも反吐が出る。あくまでも文学はオイディプスだし、大きな物語という実体なのだ。現代哲学やポストモダンがそういうものを喪失したというのが欺瞞に見えるのもそれ故。@sunamajiri
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posted at 10:46:15
そのくせ、音楽や文学や哲学で人一倍感動してしまう。肉親の繋がりを喪失しまくっていて、もう喪失感すらも得難いとなると、文学などでそれがどういうことなのかとまさぐってしまい、しかし多分人一倍敏感に感動=実体という体験をしてしまう。もちろん母の死は寂しいけどね。@sunamajiri
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posted at 10:41:11
どちらかというと、同居はしていなかったけど、たまに帰る場所が肉親というか実家だった。しかしバブル崩壊で実家が霧散してからは、それも喪失してしまったので、ますます喪失感から疎外されていて、普通の人間なら多分アパシーになってしまうかも。@sunamajiri
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posted at 10:38:28
なんか思い出させてしまったみたいね。私は小さい頃からあまり肉親と同居していないので(アメリカいったり、一人で暮らしたりだから)、母が亡くなっても喪失感が沸いてこない、ということの方が根源的に大問題なのだけどね。@bomuchann 父のコトもまぜこぜで落ち着いて眠れない
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posted at 10:36:16