大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2015年01月17日(土)
当り前のことが開いていかないというのを、現実的には知らないというのでね。それは読んだ方がいいということなのだ。受験生にちゃんと読みなさいという台詞と同じ。@LitoSnowfield “ゾルゲが定義される以前にゾルゲは欠けていないない”…とてもスムーズシンプルで良いです
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posted at 03:42:24
正直、丸山文隆の自然をめぐる転回など、メタ存在論の問題を知ってしまうと、高田珠樹訳の欠点が目についてしまうのだが、それでもゾルゲを踏まえた和訳というのは、日本語として自然だからね。ゾルゲはフッサールが幾何学の起源で踏まえて、括弧を取り払う問題だしね。@LitoSnowfield
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posted at 03:44:19
今学知といえば、柄谷が固有名、東が権利問題というのも、括弧に括っていたフッサールが、幾何学の起源では、ハイデガーの形式的告示が齎したゾルゲを取り入れて、括弧を取ることになるのだが、ハイデガー自身が形式的告示だけでは転回できない、という問題があるのでね。@LitoSnowfield
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posted at 03:47:44
黒ノートシンポでも存在感のあった中田光雄だが、近著で「フッサールの幾何学の起源にあるゾルゲ」という件はこのあたり。bit.ly/1ysIl53 あえてマーカー入れてあげたところをつないで読めば、問題点ぐらいわかる。@LitoSnowfield
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posted at 04:35:00
「フッサールにあるゾルゲ」という中田光雄自身の文体bit.ly/1ysIl53 にゾルゲが備わるかどうかは別だが、物は性質ではなく時空で、コギトでは神は性質だから、物を時空とする幾何学にならない、という現代思想(ゾルゲ)の台頭の理由。@LitoSnowfield
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posted at 04:35:29
というか、いわばコギトから志向性、そしてゾルゲだからね。コギトなら神要請だが、それじゃ客観とか企投で、被投できなくなっちゃうからね。しかし、『存在と時間』では、辛うじてゾルゲだけで、未完化するのだが。@LitoSnowfield メタ存在論…欠点を踏まえて理解
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posted at 14:07:02
とはいえ、中田光雄氏がフッサールのゾルゲというように、現代思想というのは、コギトからゾルゲへの大転換のことなので、『存在と時間』がいわば聖典なのよね。一番分かりやすく書いてあるのは確かだし。@LitoSnowfield
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posted at 14:08:20
気に掛かるというのは正確にどういうことなのか、ということなんだけどね。しかも、気分だけが問いになるのだし。循環というものなのだが。ハイデガー読本お持ちなら、気分がどういうものかは、瀧将之氏の『メタ存在論、不安と退屈、自由』が分かりやすいと思うが。@LitoSnowfield
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posted at 14:12:41
この前からハイデガーのパクリは、他の現代思想と違って旧約聖書の盗作ではなく、無意識のパクリだから発生的だという話twitter.com/sunamajiri/sta... ばかりしていたら、センター試験で、盗作を意識しないパクリの話がでるとはw pic.twitter.com/pVkvMA8RXn
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posted at 22:52:55
新約から転換するために旧約を盗作する現代思想は、ハイデガーの無意識のパクリの罪を問うけど(ザラデルはそれを現代思想の無力と指摘するわけだが)、我々は全く罪に問うつもりがないtogetter.com/li/769376 といっていたら。 pic.twitter.com/wOrtOymRsJ
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posted at 23:03:01
ここは完璧に、ザラデルのハイデガー論の論旨そのもの。ギリシャ語聖書しか知らないハイデガーは、知らず知らずに旧約を再生してしまったが、それによって旧約を意識的にパクろうとした現代思想を読めない読者が、オリジナルと勘違いする話。 pic.twitter.com/VR3qt7wqPe
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posted at 23:10:03
さすがにセンター評論は、日本の粋の国語抜粋力だな。思考力の高さがアッパレだ。その次の段落、年明けのパリのテロが、多様性が現代思想が突き詰めてきた新約だけではない旧約という歴史性をめぐる表現の自由といっていることを彷彿とさせる。 pic.twitter.com/Mjs8Hajd6H
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posted at 23:17:13
日本の国語テストが、言語テストの最高峰であるのも、モノとコトという日本語独特の言語感覚に対して、どういうコトかという現象学的な測定を行う、ということに尽きるのだが、今年のセンター評論はまさに歴史とはどういうコトか、と問うている。www.toshin.com/center/images/...
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posted at 23:19:26
次の段落、事象の背後の歴史で時間を捉えず、事象の時間そのものを取り出すという、現象学の模範的な文例。これがわからない、いわゆるネトウヨのようなリテラシーの持ち主は、大学に入学する資格が無いということ。 pic.twitter.com/dhtjWO5AnD
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posted at 23:26:20
次の9段落、ドラマの因果の積み重ねの物語より、時間はアプリオリだ、という『存在と時間』の模範的解説文のような文例。時間は物語因果とは異なる歴史性なのだ、ということなのだが。その現象学的ないわばセンスがないと、大学入学は覚束ない。 pic.twitter.com/c8j2hg5WaD
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posted at 23:32:37
センター評論10段落。このように時間のアプリオリ=事象性によって、物語ではなく純粋な系譜となることが、ネットの時代覚束ない、という段落。 pic.twitter.com/QLwGCuRa2r
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posted at 23:39:16
ちなみに、合田正人によるザラデル批判というのも、ハイデガーから系譜性を取り出すフーコーを度外視し、ハイデガーを非系譜性、旧約の固有名に差し戻している、というものだった。twitter.com/sunamajiri/sta...
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posted at 23:40:53
2015年01月18日(日)
@sunamajiri あはは(*^o^)> Twitterをみていると対話にも蓄積があって漫才のような定型対話で本来の対話とは別の対話にもなっていたりしますね〜(*^o^)> 読書メモ対話をLINEでというのは公開することにためらいがあるからでしょうか(*^o^)?
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posted at 17:34:36
2015年01月19日(月)
書籍の構成的にも、後書きは普通は後から読むことを想定してるわけだが、いかに余計なことに気を取られない気の仕方ができるか、というハイデガーの問い方の場合、文庫版の小説の末尾の解説以上に、訳者後書きが気になる場合があるのだと思う。@LitoSnowfield 後からと訳者あとがきは後
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posted at 20:09:33
高田訳本では訳者前書きは凡例だけでないよ。それだけハイデガーは余計なことに気を取られず、本気にいきなり飛び込む一次文献だ、ということなのだが、これが他の書物だと、訳者前書きで文脈を断ったりするのだが。そういうのが不要な本なのだ『存在と時間」って。@LitoSnowfield
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posted at 20:14:02
現存在は、いわば日本という文脈に気を取られるはずものないから、いきなり本文でOK。下知識は、緩慢で失速して未完化する書物という点と、人間と言わず現存在、モノと言わず存在者なのは、存在を問うため、という用語法ぐらい。しかし読んでいるうちにわかる。@LitoSnowfield
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posted at 20:23:23
註解が切りのない書物なのだが、現存在と存在者というカント用語は、コギトのように神をイデア(性質の理想)のように捉えていたのでは、存在に言及できない、という問題を問い詰めようとしているだけなので、それらの用語の定義は本文に出尽くしているのだ。@LitoSnowfield
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posted at 20:28:30
そのように、加速度的なザラデルが叙述したように、ユダヤ聖書のように註解が無際限になりかねない聖典性ならぬ原典性のある書物なのだが、高田珠樹の訳注は、熊野訳のような註解に陥らず、従来の日本語訳の未完成に言及してるようなもので、おもしろいけどね。@LitoSnowfield
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posted at 20:33:53
『存在と時間』は最初は加速感あるからね。第一節はど真ん中すぎるが、次第に速度が追いついていくから、序論と第一章を一気に読んで、訳者あとがきで小休止という読み方が楽しめそうね。というか小説で続きが気になるように、引きこまれて止まらなくなるはずよ。@LitoSnowfield
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posted at 20:59:51
その点で高田珠樹の訳は、ハイデガーのそういうドライブ感を、完全に引き出しているね。他の従来訳はだめだ。一々、対訳語という単語のレベルで引っかかる悪路で、すぐに進めなくなるような訳し方になっている。訳者がカントで混乱してるだけだと思うのだが。@LitoSnowfield
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posted at 21:01:59
ちなみに、本文でたじろぐのは、カント読者でないからというだけなのだ。物を存在者といったりね。しかし、カントなど読んでいなくても、わかるように親切にする、というのがハイデガーの叙述の方針なので、それにとっては、カントなど妙な先入観に見えてくるほどだ。@LitoSnowfield
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posted at 21:03:05
カントをそうできてしまうのは、フッサールの威力なのだが、中田光雄の緩慢な書き出しの近著では、フッサールがハイデガーのゾルゲに目覚めてしまう、と繰り返しているうちに、どんどん加速していき、メルロがハイデガーの真理をフッサールから受け取る話ばかりになる。@LitoSnowfield
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posted at 21:08:48
2015年01月21日(水)
蓮實はフィクションでそれをやるから晦渋なだけで、何が問題かは意外と単純。コペルニクス的転回で地動説になったけれど、フッサール論でメルロとデリダは、言葉の故郷=大地にこだわる(再転回させる)。なぜなら神に保証されたコギトなど、もう言葉を生まないからです。@mallarmean
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posted at 11:39:01
私たちが西欧=キリスト教圏というのは的確で、コギトでは神が要請されている。それによってカントのような主観性、コペルニクス的転回(地動説)から、代数学や宇宙論まで可能になった。ところが神が死んだので、どうするかという話をしてるんですよ、信じられないだろうけど。@mallarmean
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posted at 11:39:28
ハイデガーのナチズム結審の本を書いた中田光雄の去年のフッサール論は、コギト(地動説)に代わってハイデガーのゾルゲに目覚めた晩年のフッサールとデリダなどが対話する本だが、大地と方舟の概念は意外と重要。bit.ly/15sXXet @mallarmean
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posted at 11:40:08
コギトを却下するハイデガーのゾルゲに目覚めると、フッサールが「コペルニクス説の転覆」「科学上の地動説に哲学的に反立する」という意味論になり、それに呼応して後期メルロ、前期デリダが台頭してくる。いわば反地動説。@mallarmean pic.twitter.com/4hooga3VKh
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posted at 11:40:35
このように、存在論の問題を、物語論やフィクションの問題で片付けようとすると、晦渋どころか不可能になってしまう、というのはハイデガーが『存在と時間』の序論で論じているとおりなのです。だから物語論など、そんな郵便的にもならない話は、やめた方がいい。@mallarmean
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posted at 11:41:53