大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2015年06月23日(火)
@sunamajiri わざとらしいという言葉にも現れているように、人のわざ=テクネーというものを日本人は嫌うんでしょうね。日本人はピュシスの民なんですよ(^^) 世界は人間が作るものではなく、観照するものなのでしょう。だから何事も理由を問われても説明できない。
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posted at 02:41:19
士農工商でも職人を冷遇する。モノをコトと捉えられないのは、先日の井上克人の論文 heideggerforum.main.jp/ej3data/articl... が面白かったです。ピュシスはハイデガーではコトだが、日本人はコトをモノと錯誤したらしい。@J_J_Kant pic.twitter.com/YDIqa1Wgye
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posted at 02:58:37
@sunamajiri 本居宣長は自然に人為が加わることを何より嫌いましたからね。モノはモノでなければならないのでしょう。安倍にとっても政治は流れであって人為ではないからコトとして説明できないのでしょうね。
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posted at 03:13:12
日本はコトをモノにしてしまう。それが本居宣長なら、むしろ漢意批判をするが、そのことで却って、コトがモノに転倒してるのかもしれない。いずれにせよ、たんに漢意があるから見えなくなる問題であるに過ぎない気がします。@J_J_Kant twitter.com/J_J_Kant/statu...
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posted at 11:59:09
フーコーの要約は、シュネーデルバッハ bit.ly/1LqBHV7 で十分でしょう。つまり単数性の問題だと要約されている。シュネーデルバッハは言語論的転回からハイデガーを仮象とするが、ハイデガーからは綜合が仮象です。@J_J_Kant
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posted at 12:49:51
2015年06月24日(水)
@sunamajiri ぼくは起源という言葉にあまり拘ってこなかったので気づきませんでしたが、起源に拘る心性って何なんですかね。日本の起源が仮に韓国にあったとして何が嬉しいんだろう。逆に日本人は何か気後れする必要などあるのか。
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posted at 22:11:02
2015年06月25日(木)
そうですね。要するに無限遡行や神に落ち込まないための方法なので、ハイデガーが方法的であるのは、弁証法的 twitter.com/sunamajiri/sta... な史観が要請する起源の駆逐ですね。そのためにコギトのかわりに時間を規定名にするという。@inja650rr @J_J_Kant
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posted at 14:30:49
そう思います。ハイデガーはスピノザのかわりにヘルダーリンで方法化しているのでしょうが、デカルトを汲めない中途半端が、二律背反や無限遡行であるので、そうした近代ならではの宗教の陥穽に最も自覚的であるには、どうするかということでしょうね。@inja650rr @J_J_Kant
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posted at 14:42:42
エーテル(延長)からオカルト(遠隔起源説)で、また渦動説ですね。無限といえば、ライプニッツの極限、つまりデカルトとは異なる排中律理解、ゼノンの問題のここ bit.ly/1GzK6OJ を数日前読んでいた。@inja650rr 渦動説は正に無限遡行を避けています
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posted at 16:48:44
先ほどの引用でも、許容できる書き方のことなんですよね。ハイデガーでも、ライプニッツの限界づけゆえに、カントが言表できなかった言い方が問われますよね。無記は経に載せないことだが、いわばハイデガーは経典に載せてしまう。@inja650rr pic.twitter.com/5ryAqTZnLS
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posted at 17:59:51
私もそう思います。@inja650rr 御釈迦様にしても、仰る通り彼は形而上学的な問いに対し実際に「無記」と述べた訳ではありません。誰もが考えたがる死後の世界等について一件でも証言する者がいたら、その時点で無記の言い伝えは成立し得ません。帰納的に考えると明証性は十分だと思います
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posted at 23:37:32
2015年06月26日(金)
いいですねー。では少し談義を。昨晩の哲学少女さんとの談義 bit.ly/1LyV92a も拝見していましたよ。無限遡行を語らないという無記とデカルト的懐疑、そして西田によるデカルト批判、という話題に見えました。@inja650rr
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posted at 17:35:04
國分さんが『スピノザの方法』で、無限遡行に対する説得性、という話をしますね。無限遡行をもたらすのはアンチノミーですが、それをやり過ごす説得性が、問題なのでしょう。たとえばハイデガーだとそれは弁証法止揚でもないというわけですが。@inja650rr
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posted at 17:35:18
昨日、ハイデガーは無記を記述する twitter.com/sunamajiri/sta... といったんですが、無記というのは、いわば私的なあの世感のようなものです。霊魂の不滅とか死後の世界とか。twitter.com/sunamajiri/sta... @inja650rr
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posted at 17:35:39
そういう(霊魂の不滅のような)、有限性を阻むものを、語らないために、無限的なものを、何であると語れば、この話をしないで済むようになるか、という。これが日本では、どこか危機的になる。@inja650rr
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posted at 17:36:19
たとえば、ハイデガーではアンチノミーをもたらす超越は、主客よりも時間が先行することで、西田では主客合一のように、主客が先行してるんでしょうか? いずれにせよ、西田は時間からはじめようとしない。このあたりで転倒すると、無記が無記でなくなりそうな気がします。@inja650rr
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posted at 17:52:38
そりゃそうですよ、あれを真に受けたら、実在論の神しかいなくなる。「存在はレアールな述語でない」という道が、初めて俎上に載せられただけでしょう。@inja650rr 「我想う故に我あり」とはまだ懐疑の余地があるのです。 @J_J_Kant そこでカルテジアンになってしまうと
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posted at 21:25:44
エゴサムコギタンスというのは、デカルトではフッサールにカントのアンチノミーを理解させないが、デカルトのアポステリオリな証明にこそ、カントの他者性がある、という柄谷の言い方で十分でしょう。bit.ly/1LtRGkp @inja650rr @J_J_Kant
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posted at 22:52:53
注釈すると、この箇所は、私が入院直前に再読していて、ハイデガーへの批判になっている、といった箇所 twitter.com/sunamajiri/sta... の前後だったと思うんですが、柄谷はこれを継起に起源論に一気に向かうようですね。@inja650rr @J_J_Kant
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posted at 23:00:03
そうでしょうね。スコラ神学やアリストテレスにいかに拘泥せずに、書けるかという話はデカルトからカント、ハイデガーから柄谷まで公約数です。読むことではなく書けるためにどうするかという。@inja650rr 世間を棄て教科書を棄てた理由としては辻褄が合うと感じます。@J_J_Kant
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posted at 23:02:42
2015年06月27日(土)
そうでしょうね。先ほどの柄谷はそう思ってないんですかね? @inja650rr その点もう少し詳しくお教えください。ヘーゲルが社会的側面を重視し過ぎたことが、哲学がブレた原因だと個人的には思っています。@J_J_Kant
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posted at 00:17:03
柄谷は物自体を端的に他者っていうようですよ。bit.ly/1BSfigv 「疑うことを強いる他者」、つまり隠者さんのいう「世間」のことでしょうかね。@inja650rr @J_J_Kant pic.twitter.com/I5q6jJucwy
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posted at 00:36:57
柄谷の先ほどの箇所の言い方では、二律背反つまり無限遡行である他者を「超越ではなく、相対的」な他我と捉えてるようですよ。つまり彼が「他我を構成しようとして失敗した独我論」と批判するフッサール以上に「他我」を語っているように見える。@inja650rr @J_J_Kant
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posted at 01:26:22
彼はフッサール現象学をデリダの音声中心主義批判から、そしてハイデガーの存在論を、語源学的で文法学的ではないとして斥け、現象の問題を仮象と捉えているようだが、そこにあるのは「疑うことを強いる他我」のようですね。@inja650rr @J_J_Kant
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posted at 01:29:33
デカルトをエゴサムコギタンスとして読むのは柄谷の初期作からだが、それはトランスクリティークという著作。現象学ではなく、デリダ的なフッサール批判です。彼はマルクスからハイデガーを批判できると思っているようだ。その後、彼は起源論に向かいます。@inja650rr @J_J_Kant
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posted at 02:05:34
前ページにあるように、彼はカントのアンチノミーの自覚が後期までなかったフッサールに依拠して、デリダのようにハイデガーの時間の問題を取り逃がし、いきなり起源論で無限遡行をはじめてしまうんでしょう。@inja650rr @J_J_Kant pic.twitter.com/e29DwkXcs3
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posted at 02:16:07
史観、弁証法に術語整理以上の内実を求めるとマルクスのようになるんでしょうが、そうではなく、また仰るような誰かの悪意が介在しているという陰謀論でもなく、あの狂気というのは、人間が普遍的に陥る死の恐怖のことですよ。@J_J_Kant bit.ly/1BV7oDk
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posted at 19:39:37
なんていう話の展開だ(笑)。だからハイデガーを読み飛ばすと死ぬんですよ。ハイデガーでは疎外も頽落も、それがなければ死ぬ、いわば公共のことです。@J_J_Kant @inja650rr twitter.com/inja650rr/stat... pic.twitter.com/gXLnACLPBl
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posted at 22:57:13