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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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2015年06月30日(火)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月30日

柄谷が起源論から超越論批判を試みるのも、時間ではなく自我を規定名として史観化するからだが、直接は共同主観の純粋自我から出発した廣松の物象化論を批判するためだろう。しかし両者とも単なる疎外論、あるいは弁証法に見える。bit.ly/1T0E3vd

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posted at 20:36:14

2015年06月29日(月)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月29日

自我からはじめて、アンチノミーと弁証法と起源論の自我分裂に落ち、フロイトに父性を嘆願するか、純粋自己触発の時間 twitter.com/sunamajiri/sta... からはじめて、二つ結びで昇華するか。後者のほうが楽しそうね。(^-^)/ pic.twitter.com/AsMHE4yrRU

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posted at 15:47:41

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月29日

まとめといたよ。純粋自我(自我分裂と起源論)に対する、純粋自己触発(時間による超越論)のあたり。だから起源ではなく、時間があるのだ。twitter.com/sunamajiri/sta... @LitoSnowfield

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posted at 14:10:51

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月29日

それは単純に、コギトエルゴスム(三段論法)から始めれば、客観が神を要請し、アンチノミーが弁証法に落ちていくが、エゴサムコギタンスとして、時間を超越論の規定とすれば、起源論という自我分裂に陥らない、というだけの話ではないのか? twitter.com/sunamajiri/sta...

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posted at 14:07:01

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月29日

自我から始めるか、時間から始めるか。自我を根源規定として始めれば自我分裂である起源論になるが、時間を規定名として始めれば自我分裂は起こらず超越論化する。たったこれだけの定式をみんな理解できていない。twitter.com/sunamajiri/sta...

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posted at 14:03:11

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月29日

柄谷行人 bit.ly/1LtRGkp はフッサールでは自我分裂する twitter.com/sunamajiri/sta... といいながら、自我から始めるて起源論をやる。起源論は自我分裂だろう。純粋自己触発、時間からはじめないのは、デリダが悪いのか?

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posted at 14:00:43

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月29日

ちなみに、ハイデガーによると、隠者さんのいうような神は、カントでは有限な派生的直感に対する根源的直感のことになるらしいね。GA25-85 @inja650rr pic.twitter.com/x59t01RsKd

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posted at 00:43:10

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月29日

ここだったかな。カントが捉え損なった「私は思惟する」と「時間」の共通の根、想像力は、ものが同一にみえること、という部分。リンゴがリンゴの概念になるのは、(意識が純粋にあるというより純粋な)時間があるからという部分。bit.ly/1NnSjuV @inja650rr

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posted at 00:02:17

2015年06月28日(日)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月28日

ハイデガーは自己は脱自するもので、自己を目の前の他のモノのように対象化する(眼前化する)ことはできないでしょ?ということをいってるだけで、ここまでいえてしまうという。pic.twitter.com/5F37ys4IP5 @inja650rr

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posted at 23:31:54

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月28日

そりゃそうでしょう。しかし、機械的に経験が生まれるわけでもない。また力動的に無意識が実体化するのでもない。それらを実体化させているのは、時間が純粋であるのに、自我を純粋概念だと措定してしまった、誤謬によるのでしょう。@inja650rr

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posted at 23:18:57

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月28日

「自我により及んだ」というのが何を指すのかが曖昧でわからないのだが、要するに数学のように、人間には言語の能力があることですよ。人間は機械的に入力されたものを出力してるわけではいのだから。@inja650rr 自我により及んだ思惟もアポステリオリというのではないでしょうか?

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posted at 23:05:49

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月28日

純粋というのは、経験に先立つことですよ。つまりアプリオリのことです。カントでは超越論性になりかけていますね。ハイデガーで確実に超越論性になる語彙です。@inja650rr

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posted at 22:58:54

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月28日

この純粋自我ではなく、純粋自己触発をもたらす超越論的構想力は、超越論性の規定(カントのいう規則に対する規定)が純粋直感である時間の一性によるもので、いわば神ではないからだ、というのは非常に要約しずらく、私もさじを投げていますww(^-^)/ @inja650rr

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posted at 22:57:04

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月28日

たとえば昨晩、中嶋さんが、デカルトでは自我が出発点で神ではないだろう、と立腹していたでしょ? このように自我を出発点とすると、その議論になる。カントはそれをかわそうとしたが、ハイデガーがいうように不十分で、自我の純粋化という誤謬が生まれたんです。@inja650rr

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posted at 22:52:08

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月28日

この構想力(想像力)の問題は、bit.ly/1KixsJF のように、むしろいわばデカルトの可能性の中心なんでしょう。自我では客観は神や、へたしたら超自我を要請するが、それに対する、純粋直感である時間はカントではむしろ構想力なんでしょう。@inja650rr

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posted at 22:47:51

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月28日

『存在と時間』の未完化の問題は、カント書での時間を超越論的な規定名にするという問題です。カント書は絶版で入集困難で、私も要約する自信ががありませんが、純粋自我ではなく、純粋自己触発だというのは、このあたり。www.eleutheria.com/philo/autoaffe... @inja650rr

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posted at 22:31:44

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月28日

簡単に言うと、自我では純粋自我という問題になる。これは先日のフロイト的デカルト論で柄谷が自我分裂といっていたものです。しかし純粋性というのは純粋直感、時間の一性、つまり非現前的時間でなければ、客観が成立しないことになるので、自我という純粋概念はないのです。@inja650rr

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posted at 22:26:33

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月28日

ハイデガーを精読されてから俎上に載せた方がいいと思うが、ハイデガーは自我などと一般化しない実存範疇を探しているんです。たしかに超自我理論でも父性という、いわばアプリオリまではいくんでしょう。しかし純粋自己触発の非現前的時間にまでは至らないんでしょう。@inja650rr

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posted at 22:24:05

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月28日

神のみぞ知るようなことを、そのようなものとして語るのでなく、人間様が知ったかぶったところで、何も得られないのだよ。いかにそのように語るかということだけがあるわけだから。ハイデガーが言うように神は形而上学なんかしないのだよ。人間の無知がそうするだけなのだ。@J_J_Kant

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posted at 12:46:45

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月28日

二人の理性が食い違いまくってて、もはや誰も参加できない話になってるよ。なんで神の話をするんだ。a prioriといえば済むだけの話で、なんでカントが終わらせたデカルトのレアールな話に戻すんだ? @J_J_Kant @inja650rr bit.ly/1dpPHj3

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posted at 12:29:08

2015年06月27日(土)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月27日

なんていう話の展開だ(笑)。だからハイデガーを読み飛ばすと死ぬんですよ。ハイデガーでは疎外も頽落も、それがなければ死ぬ、いわば公共のことです。@J_J_Kant @inja650rr twitter.com/inja650rr/stat... pic.twitter.com/gXLnACLPBl

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posted at 22:57:13

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月27日

怖がりですよね。後先考えられないほど怯えている。理性が無いですね。日本では欧米の理性を、恐怖心に勝利した宗教のようなものと同一のものだと、素朴に思えない。オウム事件から昨今の全体主義まで、狂気はそうやって齎される。それは単純に理性ではないからです。@J_J_Kant

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posted at 20:04:31

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月27日

それは、支配層も恐怖心を免れていないからですよ。アメリカだとそいうのはカワード(臆病者)なんです。理性が怖いのはそれを語るからです。日本人は理性が怖くて戦争したようなものでしょう。勇敢ではないと語られて、自虐的だと絶望するのもそのためです。@J_J_Kant

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posted at 19:54:36

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月27日

いわば、理性というのは、決意性のように恐怖心を忘れることでもなく、自分の死の恐怖と折り合いをつけるバランス感覚のことです。いうなれば、普通に歳を取ることです。それができない狂気や非理性は、人を惑乱するんです。それが誰か特定の人の悪意だ、というのは陰謀論です。@J_J_Kant

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posted at 19:43:39

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月27日

理性というのは、恐怖心に対する自由のようなものです。ハイデガーはカントを批判するために決意性(死ぬことを考えれば生きることが楽しくなる、といった程度のこと)を語ったが、それすらも語ることを放棄したんでしょう。しかし、恐怖心が払拭されるとも思えない。@J_J_Kant

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posted at 19:42:21

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月27日

彼らは明らかに何らな恐怖心にとらわれ、理性的ではない決意を語りはじめてる。特攻隊が恐怖心を麻痺させていた、とでも思いたいんでしょうか。そういう死の恐怖に取り憑かれてるんですよ。そこから自由になることが著しく難しくなっている。@J_J_Kant

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posted at 19:39:50

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月27日

史観、弁証法に術語整理以上の内実を求めるとマルクスのようになるんでしょうが、そうではなく、また仰るような誰かの悪意が介在しているという陰謀論でもなく、あの狂気というのは、人間が普遍的に陥る死の恐怖のことですよ。@J_J_Kant bit.ly/1BV7oDk

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posted at 19:39:37

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月27日

前ページにあるように、彼はカントのアンチノミーの自覚が後期までなかったフッサールに依拠して、デリダのようにハイデガーの時間の問題を取り逃がし、いきなり起源論で無限遡行をはじめてしまうんでしょう。@inja650rr @J_J_Kant pic.twitter.com/e29DwkXcs3

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posted at 02:16:07

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月27日

デカルトをエゴサムコギタンスとして読むのは柄谷の初期作からだが、それはトランスクリティークという著作。現象学ではなく、デリダ的なフッサール批判です。彼はマルクスからハイデガーを批判できると思っているようだ。その後、彼は起源論に向かいます。@inja650rr @J_J_Kant

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posted at 02:05:34

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月27日

彼はフッサール現象学をデリダの音声中心主義批判から、そしてハイデガーの存在論を、語源学的で文法学的ではないとして斥け、現象の問題を仮象と捉えているようだが、そこにあるのは「疑うことを強いる他我」のようですね。@inja650rr @J_J_Kant

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posted at 01:29:33

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月27日

柄谷の先ほどの箇所の言い方では、二律背反つまり無限遡行である他者を「超越ではなく、相対的」な他我と捉えてるようですよ。つまり彼が「他我を構成しようとして失敗した独我論」と批判するフッサール以上に「他我」を語っているように見える。@inja650rr @J_J_Kant

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posted at 01:26:22

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月27日

柄谷は物自体を端的に他者っていうようですよ。bit.ly/1BSfigv 「疑うことを強いる他者」、つまり隠者さんのいう「世間」のことでしょうかね。@inja650rr @J_J_Kant pic.twitter.com/I5q6jJucwy

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posted at 00:36:57

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月27日

そうでしょうね。先ほどの柄谷はそう思ってないんですかね? @inja650rr その点もう少し詳しくお教えください。ヘーゲルが社会的側面を重視し過ぎたことが、哲学がブレた原因だと個人的には思っています。@J_J_Kant

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posted at 00:17:03

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