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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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  • 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
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2015年06月15日(月)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月15日

フランス人の言うゴドーって英語のGodのことだからね。ドイツ人は形而上学は終わらせられると法螺吹いたけど、英米語ではGODとして残っちゃったからね。そりゃ強いのよ。日本は天皇人間にしてフランス思想読みながら、アメリカのGODを待ちながらでしょ?ww(^-^)/ @TKDOMO

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posted at 19:26:43

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月15日

いやー、最近改めてドイツ人ののたまわった法螺話(形而上学はやめられるという法螺ね)を読んでるのだが、こんなめんどくさい法螺話スルーできるなら、米語しゃべるわな。米語しゃべるためにはアメリカにいくら貢いでも損はないと思うんだろうな。そういうファシズムだね。@TKDOMO

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posted at 18:42:39

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月15日

井上克人が東洋思想とハイデガーを比較する時、ハイデガーの転回を、アリストテレスの「我々にとって先なるもの」から「それ自体で先なるもの」への転回として読んでいるが、たとえば柄谷行人はそれをも含め、地口のような言葉遊びだと思いたい。 pic.twitter.com/Fk3O3tb6LV

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posted at 14:01:55

2015年06月14日(日)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月14日

フランス語なんて、ドイツ語つまりルター聖書語に比べれば、ひっちゃかめっちゃからしいからね。twitter.com/sacreconomie/s... 英語では時制がひっちゃかめっちゃかになるのかもしれないが。日本語だけ喋ればいいのだ(^-^)/ @Mayutan9999

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posted at 17:38:09

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月14日

大体今別スレで話していたように、国語テストがハイデガー的な時間、動態の素読テストになっているほどなのだが、文系がコーディングより価値がないなどというのは、そうした非現前的時間を素読できない、日本人が陥っている数学的な奴隷労働のことを指しているのだ。@Mayutan9999

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posted at 14:00:22

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月14日

第Ⅱ部のハイデガーの話になった途端、プラトニズムに対するアリストテレスの動態、運動の時間性の話になるから、非常にハードなのだが、ああ、カント書の表明的超越論的時間規定、非現前的時間のことで、それがないのを古典的といってるんだな、と思って読めば良い。@LitoSnowfield

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posted at 13:46:48

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月14日

原因としての存在が、宇宙の中にあるのか、外にあるのか、という古典的問題が、これで解決しているのだ。したがってこれは古典的な形而上学と神学の問題ではないのだ。カント書はそれを表明的に明らかにしているだけね。無神論という神学的な問題は存在しないのだ。@LitoSnowfield

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posted at 13:42:04

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月14日

いや、井上のⅡー2は、アリストテレスのト・ティ・エーン・エイナイを、動態の時間性、「既にそれであったところのものであること」と解釈した点、超越論的時間規定、「時間を超えて有りどうしであること」という既在を、覆蔵性として捉えた有神論としているね。@LitoSnowfield

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posted at 13:39:41

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月14日

第一部が真如、現象即実在の現前的時間が、ギリシャから仏教まで古典的世界=東洋という話。第二部がハイデガーの非現前的時間が、そうした古典的世界を相対化する話。井上はテンポラリテートがカント書の超越論的時間規定がもたらす非現前的時間という点を割愛している。@LitoSnowfield

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posted at 13:25:08

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月14日

興味深いのは、マルレーヌザラデル『ハイデガーとヘブライの遺産』がデリダとレヴィナスに批判的なのだが、超越論的時間規定やカイロスといった非現前的時間の問題を、本覚思想批判としての禅の側からヘブライ的時間に辿りつけている点ね。それは私の盲点でもあった。@LitoSnowfield

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posted at 12:59:39

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月14日

現前性に関しては東方の哲学、ギリシャから仏教、朱子学まで同型的で古典的で、それでは現象即実在だが、ハイデガー以降、非現前性のヘブライ性が台頭し、禅的であるという論述になってってるようだね。まだ途中なんだが。heideggerforum.main.jp/ej3data/articl... @LitoSnowfield

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posted at 12:50:15

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月14日

井上克人『明治期アカデミー哲学の系譜とハイデガーにおける形而上学の問題 如来蔵思想とユダヤ・ヘブライ的思索の収斂点』は、主著のテンポラリテートを、カント書を度外視しても、非現前的時間として読め、ヘブライ且つ禅的だ、と語ってるようだね。@LitoSnowfield

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posted at 12:46:52

2015年06月13日(土)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月13日

そうそう。今はなぜか陰謀論者が西欧に対する被害妄想を語るため、遠い関係にあると錯覚するのだが、意外と明治時代に仏教用語と西欧哲学の用語は折り合っているというか、共通してるでしょ? たまに誤訳が生まれる程度で。それが近代二元論の枢軸だから困るんだが。@LitoSnowfield

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posted at 09:09:35

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月13日

@LitoSnowfield さん、ハイデガーが未読という陰謀論者のイデア論は平板だが、この論文、現象即実体の本覚一元論から西田のヘブライズムへの傾斜、ハイデガーの西方キリスト教からの離脱が整理されててワクワクよ。heideggerforum.main.jp/ej3data/articl... @J_J_Kant

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posted at 07:52:23

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月13日

最近あれよね、女がのさばるということに、男子がやっと自覚的になってきたらしくて、それまでは言葉の上では女を立ててたのに、女ののさばりを攻撃し始めてるよね。いいのか悪いのかww(^-^)/ @Iactsfs

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posted at 02:34:30

2015年06月12日(金)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月12日

ほれ。坂部さんといえば、語りとしてのハイデガーを思い浮かべるが、カントについては父ロマンの小説として語るから、それを種本と吐露する柄谷が無意識を超越論的というトランスクリティークで、ハイデガーを批判できると転倒するのよ。小説イラネw pic.twitter.com/Ij3QcgZmns

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posted at 23:15:50

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月12日

ハイデガーはカント書のダヴォース論争で、徹底的にカッシーラーの象徴論になってしまうような新カント派を、文化固有性を明らかにするだけの固有名論として厳しく斥けているのだが、(非現前的な超越論的規定としての)時間に固有名はない。twitter.com/sunamajiri/sta...

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posted at 10:40:18

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月12日

たとえば、仏教でも非現前的時間、実体的な無意識ではなく非実体的な唯識のようなものが考えられている。しかし逆にデカルト的コギト、つまり三次元的な数学がインドからは出てきていない、ということなのかもしれません。その辺りが面白そうなんですが。@J_J_Kant @BeTakada

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posted at 09:53:31

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月12日

意識なのか時間なのか、つまり、実体なのか非実体なのか、という20世紀初頭の論争があまりにも分かりづらいため、大戦でうやむやになった日本では、非実体的な時間ではなく、実体的な無意識だ、というロマン主義が横行したことになるのです。@J_J_Kant @BeTakada

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posted at 09:45:18

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月12日

20世紀初めには、意識なのか時間なのか、という論争があったのです。戦後は日本では、非実体的な時間ではなく、実体的な無意識なのではないか、という論争があることになると思いますが、しかしやはり非現前的時間というハイデガーの方が深いのです。@J_J_Kant @BeTakada

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posted at 09:40:31

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月12日

問題は、デカルトは三次元的なのかということですが、しかしデカルトでは意識という三次元時空の問題になってしまう。それで無意識という実体が語られてしまうのだが、ハイデガーは明白に時間という別な次元を導入しようとしている。4次元と言いませんけどね。@J_J_Kant @BeTakada

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posted at 09:34:54

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月12日

ハイデガーが探しているのは、個のような多様を欠損なく統一する語彙です。それが時間で、平たく言えば、自分を三次元的に眼前に延長として対象とできない、それは意識か?というと、意識ではまだ実体的なので、無意識でもなく時間なのです。@J_J_Kant @BeTakada

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posted at 09:32:55

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月12日

ハイデガーはデカルト的コギトでは、個物のような多様も、延長=対象化される矛盾を論駁しようとしているのだが、それは端的に多様に属する現存在、つまり個の命を、三次元的に言語表現することはできない、というのはそのとおりだと思います。@J_J_Kant @BeTakada 個の命は四次元

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posted at 09:32:25

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月12日

個が三次元的でないというのは、その通りです。三次元は端的に『存在と時間』が批判するデカルト的延長で、個の命というのはハイデガーの実存や現存在です。個物が三次元で言語表現できない、という思想です。@J_J_Kant @BeTakada 個の命は四次元時空に於ける時間と同義ではないか

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posted at 09:14:42

2015年06月11日(木)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月11日

ヘーゲルだと自由は意識。フッサーリアンだと時間は自我と言いかねず、自己が時間だと断言するとカント書的ね。それが撞着に見えると、他者との無意識という柄谷さんみたいな言い方になるのだろうが、他者に時間はわからない。twitter.com/Hegelbot/statu... @J_J_Kant

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posted at 23:54:42

Hegel @Hegelbot

15年6月11日

精神が自己の自由を認識していない場合、精神は奴隷状態に満足している奴隷の立場にあり、自らの状態が相応しくない事を認識しない。精神はたとえ即自的かつ対自的に常に自由であるとはいえ、精神を自由にするのは自由の感覚(意識)である。

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posted at 23:45:20

非公開

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posted at xx:xx:xx

中嶋 哲史 @J_J_Kant

15年6月11日

@BeTakada ぼくはハイデガーは全く読んでいないので、先程の議論はぼく自身が勝手に考えて勝手に納得したことで、ハイデガーについては大本さんに聞いてください。ただ、ぼくの理解では、時間というのはそのような四次元目の座標軸ではないようです。

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posted at 22:24:38

非公開

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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月11日

この印象継起では時間でなく写真も動画も事象ではないという話は、たとえばハイデガーが問題にするカントの3つの綜合の内、カントでは再生だけに時間が割り当てられているが実は違った、という程度の問題です。GA25-365 @J_J_Kant pic.twitter.com/UkU5zRBa3U

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posted at 18:35:18

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月11日

それこそ、江戸儒学の素読吟味の方法で、現代文の素読を計測する、日本の国語入試では、印象派どころか写真も動画も事象ではないという評論文は、素読の測定に使いやすいですからね。@J_J_Kant 確かに入試にはよく出ますね。分かんなくても答えは出るけど(^^)

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posted at 18:31:37

中嶋 哲史 @J_J_Kant

15年6月11日

@sunamajiri 確かに入試にはよく出ますね。分かんなくても答えは出るけど(^^)

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posted at 18:27:53

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月11日

そうですね。印象派は時間に対する最後の西欧的な足掻きですね。しかし、写真も動画も、時間という事象そのものではなかった。なんか入試国語頻出文みたいだな。@J_J_Kant 言葉ではないですが、印象派の画家が時間を一枚の絵に込めようとしたのは果敢な挑戦か、虚しい抵抗か

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posted at 18:23:58

中嶋 哲史 @J_J_Kant

15年6月11日

@sunamajiri 確かに。言葉ではないですが、印象派の画家が時間を一枚の絵に込めようとしたのは果敢な挑戦か、虚しい抵抗か(^^)

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posted at 17:48:15

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月11日

そうなんですよ、鈍くさいからどんどん追い越されてます(^-^)/ @J_J_Kant それはそうでしょうね。アッ、と言葉を発してる間も世界は動きを止めないのだから。言葉は立ち去る世界にすがりつき引きとどめようとするけれど、言葉が発せられたときには世界はもう先へ行ってしまっている。

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posted at 17:43:56

中嶋 哲史 @J_J_Kant

15年6月11日

@sunamajiri それはそうでしょうね。アッ、と言葉を発してる間も世界は動きを止めないのだから。言葉は立ち去る世界にすがりつき引きとどめようとするけれど、言葉が発せられたときには世界はもう先へ行ってしまっている。

タグ:

posted at 17:42:41

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月11日

今、外を見下ろしていたら、上空をつばめが横切っていったんですが、シャッターチャンス間に合わなかったんです。つばめさんと声をかけたらちょっと減速してくれたんですが。つまり動態には静態的な言語表現が追いつかない、そういう時間観なんでしょう。@J_J_Kant

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posted at 17:37:37

中嶋 哲史 @J_J_Kant

15年6月11日

@sunamajiri なるほどね。時間というとらえどころのないものが見えてきました。私にとっての時間というものは客観的・対象的に存在するのではなく、あくまで私の動きによってその都度生まれてその都度消えて行くものなのですね。それがカイロスですかね。

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posted at 17:32:12

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月11日

そうですね。静態的には捉えられない動態ですね。ハイデガーは言語は動態しか捉えられない、という言い方をしたいようですが。@J_J_Kant 気分というのは「動き」ですね。

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posted at 17:20:33

中嶋 哲史 @J_J_Kant

15年6月11日

@sunamajiri 気分というのは「動き」ですね。

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posted at 17:19:08

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月11日

時間の脱自性というのは、非時間的な反省(いわゆる近代的な自我観)では、自己を客体化するだけで、気分としての自己存在に忠実ではない、といったようなものなのでしょう。@J_J_Kant 時間というものが自己(の脱自態)というのはそういう意味かと

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posted at 17:17:44

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月11日

ギリシャにはクロノスとカイロスが包括的にあったのに、キリスト教がクロノロジックすぎた。それを転回するというのがハイデガーの時間論的転回のようですね。カイロスというのは瞬間とか臨機とか訳されるそうですが。単なる刹那とも思えない。@J_J_Kant

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posted at 17:16:03

中嶋 哲史 @J_J_Kant

15年6月11日

@sunamajiri そこから時間も生まれるのですね。時間というものが自己(の脱自態)というのはそういう意味かと理解します。

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posted at 17:10:27

中嶋 哲史 @J_J_Kant

15年6月11日

@sunamajiri 分かってきました。我々は時間というと時計をイメージするので時間を動くもの流れるものと考えやすいが、時間は動きませんね。動くのは我々の方で我々が動くから時間が生じるのですね。もし我々が完全に動きを止めれば時間は消え手なくなります。宇宙は動いているので、

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posted at 17:07:56

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月11日

たとえば、ロボットが高速処理で印象の時間的継起から、時間意識が芽生えたとする。しかしそれが本当に気分として自覚されてるかは、外部からは分からない。感情ならプログラムできるが、気分はプログラムできない、といったらよいか。気分は心理主義を批判する用語です。@J_J_Kant

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posted at 16:58:59

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月11日

ここから、ハイデガーより乱暴に付会すると、自己に気分があるのは、自己の外部に遷ろう時間があって、それが気分の原因になるのではなく、遷ろいも含め時間の全てが自己に本有されているからだ、という話になる。その気分を外部から覗きこむことができないんです。@J_J_Kant

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posted at 16:54:17

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月11日

ハイデガーのように言い方を変えると、自己の気分は否定出来ない、という話です。他人が嫌がってるのかどうか、は独断しかできない。これがドグマです。だから気分は今まで語られたことがなかった。おそらく時間は気分の出処のことで、自己の気分は否定出来ない、という話です。@J_J_Kant

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posted at 16:51:04

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月11日

そうらしいです。私もうまく語れない。ハイデガーもうまく語れてるかどうかは疑わしい。ハイデガーが言えたのはせいぜい、自己はカントの言う自発性ではなく時間だ、ということぐらいですから。@J_J_Kant 進むのは時間ではないのか。

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posted at 16:33:24

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月11日

それが日本人的で、それだと曇るんです。たしかに時間は絶対的だが、自己が時間であることで、いわば歴史が動くんです。それは外在的に歴史に支配されることとは全く異なる。主観が単なる自発性でなく時間的だという言表は、時間が人間の想像力の源だ、という話です。@J_J_Kant

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posted at 16:31:35

中嶋 哲史 @J_J_Kant

15年6月11日

@sunamajiri 進むのは時間ではないのか。

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posted at 16:25:57

中嶋 哲史 @J_J_Kant

15年6月11日

@sunamajiri なるほど。つまり時間とは世界を成り立たせている与件であって、何一つ変わることなく、一様に自己を支配し続けるものだというように時間をとらえる、もっと簡単に言えば時間をあるがままにとらえる、ということですかね。泣いても笑っても時間(歴史)は進むと。

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posted at 16:23:34

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月11日

もっと単純で、カントは神ではなく時間を絶対的(一性)と言えたのだが、ハイデガーはカントが時間を主観と言い切れず、神に退却していると批判しているのです。つまり、時間は自分の周りで遷ろう変状ではない、ということです。@J_J_Kant

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posted at 16:06:05

中嶋 哲史 @J_J_Kant

15年6月11日

@sunamajiri 遷ろわない時間というのは、絶対的・直進的・不可逆的時間というように理解していいのですか? 丸山が指摘するのは東洋思想にはそのような時間と対峙する契機が欠けていると。

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posted at 15:58:31

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月11日

おそらく、時間は遷ろわない(変状ではない)、だから因果からの解脱があるというのを、日本では「無時間的」と概念化している気がする。それに対して、いわば無因果的という概念が生じているということに気づけないと、いわば時間が遷ろってしまって、因果から解脱する前に死ぬ。@J_J_Kant

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posted at 14:57:53

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月11日

ブッディズムでは、こういう時間観は、時間の遷ろい・変化・変状ではなく、因果からの解脱でしょうが、時間が因果の前提だというテーゼが、中途半端な西欧化で混乱し覚束なくなっただけでしょう。因果の輪に囚えられた状態というか。しかし解脱が難しいとも思えない。@J_J_Kant

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posted at 14:40:23

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月11日

いわば西欧から欠陥品を輸入して咀嚼が覚束いていない。そんな滞りでしょう。アメリカと親近感を抱くのも、アメリカも単純に、こうした時間概念の問題、イギリス経験論によるデカルト的な神観念の要請という問題を克服する知力が、芽生えなかっただけですから、似たもの同士です。@J_J_Kant

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posted at 14:24:52

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月11日

というより、私達にはハイデガーの語り方に、むしろ拙さをみている。つまり問題意識は私達の方がよほど先鋭的なんです。しかしその実、昨日の丸山眞男のように、カントによる時間という問題提起を、ハイデガーのようには捉えていない。そこに日本独自の大きな問題があるんでしょう。@J_J_Kant

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posted at 14:14:42

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月11日

私達は西欧化で魂を抜かれた式に被害妄想するのだが、昨日の丸山眞男の時間概念の話ではないが、やはり端的に時間概念、ハイデガーのようにカントを解釈できない何かが日本側に独自に蔓延っていた、という一点に尽きるでしょう。それをハイデガーのようにうまく語れないのだが。@J_J_Kant

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posted at 14:08:54

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月11日

今日は廣松渉の仏教的な話から私ははじめて、丸山真男の非仏教的な話に帰結するまで、多岐にわたったので眠いですな。またぞろよく眠れそう(^-^)/ @J_J_Kant ハイデガーはまだ全然理解できていないので今後の課題です。丸山との繋がりは興味深いですね。まあ、今日はこの辺で(^^;

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posted at 02:55:41

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月11日

おそらく、日本で時間を遷ろいにするものは、儒学という庶民をドグマから開放する教育の思想を、明治の江戸国学の権力化のような喧騒の中で喪失した時、人々が仏教的な儚さの生命観に救いを求めたからだと思っています。だから日本では歴史が問題化してしまうんでしょう。@J_J_Kant

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posted at 02:17:17

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月11日

日本のポストモダンは単なるアンチハイデガーです。丸山眞男がいうような、時間を遷ろうものと捉え、偽史修正主義という本来SFの手法を、真に受けるものです。ハイデガーでは時間は概念の中心なので、遷ろうものは時間以外の全てなんですが、日本では時間が遷ろうんです。@J_J_Kant

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posted at 02:09:05

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月11日

しかし、じつはこれも非常に端的な話で、ドイツ人は時間を歴史にできたのに対して、日本では丸山眞男が言うように、歴史化する時間概念が無いため、神話に回帰してしまう。これはそれこそ、ハイデガーが直接取り組んでいる現象学の主題そのものですね。@J_J_Kant

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posted at 02:00:22

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年6月11日

そんなことないですよ。ドグマからの脱却というのは、さっきたまたま丸山眞男
twitter.com/maruyama_note/... をRTしたが、ドイツ人にできて日本人にできなかった歴史の問題です。明治国学が江戸儒学を抑圧した結果、これが失われただけなら取り戻せばいい。@J_J_Kant

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posted at 01:41:54

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