大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2016年03月08日(火)
戸塚の本屋さんで立読み。何もないが、これ苦笑。ね?エックハルトでしょ? twitter.com/sunamajiri/sta... でも左のスピノザ思想史の方が読み応えあるが。ハイデガーの語りの雑念になるから、看過するが笑 @BeTakada pic.twitter.com/ti0zEQiuK6
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posted at 16:04:23
2016年03月09日(水)
後期ハイデガーのエックハルト化 twitter.com/sunamajiri/sta... というより、初期ハイデガーのエックハルトからの離反、という運動性がおもろいのよね。昨年のはじまりのハイデガーシンポでは、これ。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada
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posted at 02:09:59
ウィットゲンシュタインでもクリプキでも、どうしても他を参照するために書庫を彷徨うのだが、ハイデガーの語りの纏め方にはそれがない。ハイデガーの語り以外何もいらない状態になれる、という点が驚愕なのだ。転回というのはそういうことではないかと思えるほどだ。@LitoSnowfield
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posted at 02:23:12
そういう点でも、エックハルト(神秘主義)から、語りえない図式の根源への離反と、後期のエックハルト回帰という、ハイデガーの語りの動性しか、興味を持てないほどだ。語りというのはそういう運動のはずだからだ。twitter.com/sunamajiri/sta... @LitoSnowfield
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posted at 02:26:27
4/30ハイデガー研究会。フランス現象学界の旗手クリストフ・ペラン氏来日講演会。ハイデガーの「形而上学とは何か」(1929年)と「「形而上学とは何か」あとがき」(1943年)と「「形而上学とは何か」序文」(1949年)との関係の内実。www.facebook.com/kaoru.ohmoto/p...
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posted at 04:08:54
うーむ、ちょうどエックハルトからの離反と、エックハルト回帰の話をしていたところだった。語りえぬものを語る根源は端的にイデアではないということなのだが。(^-^)/ twitter.com/sunamajiri/sta... twitter.com/sunamajiri/sta...
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posted at 04:09:21
よく空想の産物を考えるからダメだ、ということを日本人は言い募るのだが、カントは空想と想像(構想力)を厳密にわけているわけで、大抵の場合、日本人のいう空想とは、構想力のほうで、そしてその肝心の構想力を、空想として排除してしまうところに、諸悪の根源が有るということに気づかない。
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posted at 04:30:33
構想力とは簡単なことで、機械的には、感覚(感性)が刺激となって、記憶を喚起するのを思考と捉えてしまいがちだが、時間は記憶の持続というように思考の障碍=忘却ではなく、つねに未来に向かって動いているわけで、それに抗わないこと、つまり構想力が思考を齎している、というだけのことだ。
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posted at 04:46:12
こうしたことは、音楽家なら誰でも日常的に行っていることで、聴衆が音楽を、過去に伸びるメロディーとしてイメージするのとは全く異なる。記憶とは思考していないことであり、思考とは記憶から自由になることなのだ。
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posted at 04:48:25
2016年03月11日(金)
上記の山口美和氏は、斎藤慶典に依拠し、斎藤はハイデガーのGA25~GA3の図式論(概念的に語りえないこと)に依拠しているのです。なので素直に、ハイデガーを読めば、引っかかりなく了解できるのです。@BeTakada pic.twitter.com/Bp6HiygURs
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posted at 03:47:57
このGA60巻問題が先日のハイデガーシンポの主題で、『はじまりのハイデガー』所収の森秀樹氏の論考が、GA60のあらましとなっています。末尾でザラデルからレヴィナスとデリダが相対化されています。bit.ly/1YCFP8i @BeTakada
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posted at 04:01:22
語ること=存在論を領域に頽落させずに、信仰そのものを解決すること。そうしたGA60における本来の時間論の方法については、森秀樹 bit.ly/1YCFP8i や齋藤元基 www.amazon.co.jp/%E5%AD%98%E5%9... を参照すべきです。@BeTakada
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posted at 04:17:27
なお、未邦訳のGA60『宗教的生の現象学』は1920年。時間論は領域存在論ではなく全体か、というのが現代の論点ですが、それが集中する『存在と時間』27年~カント書29年より、はるか前のパースペクティブです。
@BeTakada pic.twitter.com/asX7caVZ5d
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posted at 04:30:13
2016年03月18日(金)
2016年03月20日(日)
カント書の議論では、純粋自己触発です。www.eleutheria.com/philo/autoaffe... 自発ではなく時間により触発される自発です。つまり品詞分類=ラテン語文法学からは、受動性のように思わえることが、実は自己触発性だ、というようなことです。@BeTakada
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posted at 18:06:09
カントが退却してしまう超越論的図式性とは、時間に触発させる構想力による自発性のことです。先程ツイートした twitter.com/sunamajiri/sta... ように、アリストテレスでは、霊魂が構想力=時間であるということです。@BeTakada
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posted at 18:16:24