大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2016年06月10日(金)
要するに、近代以後なぜか(勿論デカルトゆえに)、意識が時を生むと考えてしまうのだが、そのようにカントを捉えたフッサールへの批判を通して、ハイデガーは、時が意識を生む、と切り返したということなのだが。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada
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posted at 22:42:16
@sunamajiri なるほど。時間という言葉に何かいわくありげな意味を求めてしまうと読み誤りそうですね。「存在と時間」という言い方には存在の謎解きのキーワードは時間だよ、みたいな期待を持たせるところがあるのですが(^^)
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posted at 18:25:11
要は《意識というものがあらかじめあるのではない》という、ただそれだけのことで、不思議でも何でもないということですよ。twitter.com/sunamajiri/sta... @J_J_Kant
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posted at 18:08:18
それゆえに、意識を何か魂のように実体化する形而上学(ハイデガーを読み誤る言説はすべてそうした実体論です twitter.com/sunamajiri/sta... )に対して、人工知能だって、時を制すれば、意識を生起するだろう、というのが今日的におもしろいわけでしょう。@J_J_Kant
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posted at 17:06:27
いずれにせよ、思う我と考える我、というデカルトの二重性の問題は、心身二元論のような誤謬ではなく、意識が先行して空想を生むのか、想像力が先行して意識を生むのか、という重大な差異を語っているのでしょう。twitter.com/sunamajiri/sta... @J_J_Kant
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posted at 16:49:37
そこで、ハイデガーは形式性の最高原則を、『物への問い』以後、実施に移した、ということです。twitter.com/sunamajiri/sta... bit.ly/1TlqvhI @J_J_Kant
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posted at 14:17:47
意識ではハードプロブレム、心身二元論です。ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%8F... しかしそれは(時が「実在しない」)静態だからです。@J_J_Kant
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posted at 14:04:27
@sunamajiri なるほど。時が意識を生む、時が実在する、意識と想像力の違いや関係等々についてはすぐには理解できないので、やはり原典をよく読んでみたいですね。ぼくには「時間が実在する」というテーゼはまだよく飲み込めません。
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posted at 10:26:03
想像力はカントでも、感性と悟性の等根源です。感性(時)が対象を与え、悟性が思考すると、いわゆる意識になるのだが、ではなぜ感性が与えた対象を悟性(数学)が思考できるのかといえば、それは想像力が実在してるからなのです。bit.ly/1TIiBcL @J_J_Kant
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posted at 04:36:44
それゆえに想像力だけが他者を認識させしめる、という冒頭の捉え方が、ハイデガーに近いのです。意識が独断で他者を空想するのではないのです。twitter.com/sunamajiri/sta... @J_J_Kant
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posted at 04:22:58
@sunamajiri うむ、でも世界を自分の意識の動きに一元化してしまうことにはやはり躊躇しますね。自分という存在が世界を構成する一部でありそれにより世界は意味を持つけれど、一方で他者によっても世界は意味付けられているし、自分がいなくなっても世界は続くだろうから、
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posted at 02:08:24
なんでその時間で客観的実在性を否定しないのかがわからんですが、今年のセンター倫理問題を思い出しましたよ。@J_J_Kant ぼくは世界の客観的実在性は否定しないけれど、世界はぼくの意識の動きでありそれが時間。 pic.twitter.com/EqcXIcm3Jj
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posted at 01:07:09
@sunamajiri それはよく分かりますよ。別にぼくは世界の客観的実在性は否定しないけれど、それはぼくの意識を通してしか実在はしないのだし、世界はぼくの意識の動きであり働きであってそれが時間ということなのでしょう。人は存在を存在たらしめている現存在だというのはよく分かります。
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posted at 00:25:32