大本薫 Kaoru Ohmoto
- いいね数 11,694/13,358
- フォロー 2,831 フォロワー 2,653 ツイート 290,630
- 現在地 東京 LA NY 茅ヶ崎 鹿児島
- Web http://www.sunamajiri.com/
- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2016年08月27日(土)
ベルグソン「存在に先立って虚無があると考えない限りこの問題は出て来ない」ハイデッガーの「なぜに存在のみあって、無であらぬか!」という問題。ナンセンスなのか?ビッグバン、1秒前に何があったのか!?西哲の無と東哲の無の概念(実は概念ではない)は全く違うのではないか!真理概念も違うし・
タグ:
posted at 07:24:10
2016年08月23日(火)
せっかく、デカルトが遠隔作用は魔術じゃないことにしたのに、量子論者め。シヴァ神とか崇めてオカルトに走ってそうだな。物理学の前にカントからやりなおせ。オカルティストめ(^-^)/
タグ:
posted at 08:24:36
遠隔作用をめぐる原子論者とは因果論者で、いわゆる量子論者というのは、因果律が届かない宇宙の果てに隔絶されても法則が働く、という論者なわけだが、かならずオカルトに逆行する。そういうのはヒュームとカントあたりからやりなおして。実体論者になるぞ。(^-^)/
タグ:
posted at 08:18:01
2016年08月20日(土)
まとめれば、想像力(超越論的構想力)だけを、対象として扱えば、自我を含むあらゆる存在者を、無規定に静態的に不用意に対象化して記述するような、愚かな形而上学から、離脱することができる、そんなような話だと思えば良い。@inja650rr
タグ:
posted at 17:05:17
こうした、従来のアプリオリテートに対する、テンポラリテート(時間が根源となる地平)があってこそ、因果則や経験則に囚われず、現象そのものの記述に徹することができる、というような話だろう。要は(自己を含むあらゆる存在者を)対象化することなかれなのだ。@inja650rr
タグ:
posted at 17:04:03
デカルトであれば神の観念要請であり、カントであれば不死の実践理性的要請(観念ではなく実践の要請)となるものを、形而上学あるいは非存在論的な要請として退け、悟性と感性に対する想像力を時間とする要請が行われていると見れば良い。@inja650rr
タグ:
posted at 16:59:42
つまり、想像することではなく、想像力を対象化しておけば、自我を静態的に無規定に対象として記述してしまうことを免れる、という手法が問われていると思えば良い。このように、新たな要請が生まれたということだ。@inja650rr
タグ:
posted at 16:57:28
しかし、ここで問題となっていること(構想力を超越論的時間規定として要請する方法性)というのは、想像することではなく、自己(自我)を静態として無規定に対象化することを免れるために、身代わりとして想像力を時間として、まず対象化しようということだ。@inja650rr
タグ:
posted at 16:54:52
この質問 twitter.com/inja650rr/stat... に戻ると、隠者君は想像力を、想像することのように捉えたようなのだが、たしかにヒューム(イギリス経験論)だと、想像は観念連合(因果律)のことなのだろう。@inja650rr pic.twitter.com/q0lbOHrezP
タグ:
posted at 16:51:07
そうなのだが、隠者君の話の持って行き方には、批判性が皆無なのだろう。だからかしらないが、中嶋さんが隠者君をアプリオニストと勘違いしてないか? 私から見ると逆に見えるけどね。@inja650rr @J_J_Kant
タグ:
posted at 16:48:02
ちなみに、少なくとも中期までのハイデガーは、真善美でもエロスでもなく、時間だと言いたかったみたいなんだけどね。共同体ではなく個人、つまり自我を齎す根源のことなのだが。@inja650rr @J_J_Kant pic.twitter.com/StNxKDykPO
タグ:
posted at 01:28:32
隠者君の好きそうな話に引き寄せると、神というデカルト的な観念要請や、霊魂の不死というカント的な実践的要請が原因で、自我があるのではない。理念や真理前提(共同体)が自我を齎すのではなく、時間がいわば結果として自我という現象を発生させてしまう。@inja650rr @J_J_Kant
タグ:
posted at 00:44:17
もうちょっと分かりやすくすると、自我が時間を生むのではなく、時間が自我という動態的な働きをも生んでいる、という話です。自我はあるが、しかし時間なくして、自我や意識という動態(現象)はあり得ない、という論理性が問題にされているのです。@inja650rr @J_J_Kant
タグ:
posted at 00:36:46
構想力というのは、デカルトが問題にした、感性と悟性に対する、アリストテレスの何者かなのだが、アリストテレスはそれを時間と言い切れていない。それを言い切れば、動態を静態と理念化させてしまうような発問全体が解決される、そういう按配でしょう。@inja650rr @J_J_Kant
タグ:
posted at 00:20:31
(承前)カントがデカルト論を通じて明らかにした感性と悟性の根としての想像力にしか、時間といういわば要素を措定できない、という困難が発問されているからです。@inja650rr @J_J_Kant
タグ:
posted at 00:17:21
静態的に対象化された不自然な自我、あるいはそれと同じことだが、無時間という事態は、ハイデガーによれば、古来、善のイデアとしても、不動の動者としても想定されておらず~ @inja650rr @J_J_Kant
タグ:
posted at 00:16:07
2016年08月19日(金)
ハイデガーは、このアリストテレスの想像力が、デカルトにおいて根源として登場したのは、想像力が自我を触発する時間そのものだからだ、と言っているのです。悟性や感性では、そうした現象が起こらない。ハイデガーはそれ以外のことを頽落というのです。@inja650rr @J_J_Kant
タグ:
posted at 22:10:27
構想力という邦訳語は一般には想像力と言われるものです。悟性=論理、感性=物理だが、その両者とて人間に意志や自発性を齎さない。だからこそデカルト以後、それはアリストテレスの術語、想像力なのです。@inja650rr @J_J_Kant pic.twitter.com/LeFHngGebe
タグ:
posted at 22:06:12
ハイデガーの主要な批判である、カントの企投性に対する批判、つまり被投性というのは、本質論(真偽)が世界を構成するのではなく、そうやって主知主義的に身構える前に、常にすでに世界に巻き込む構想力(時間)が実在する、という話ですよ。@inja650rr @J_J_Kant
タグ:
posted at 21:53:17
隠者君が鋭い点は、悟性を発問してる点ではあるが、対感性としての悟性というより、対構想力としての悟性というのを彼は理解しているようには思えない。この構想力=時間=被投性というのが、ハイデガーの主著ですよ。@J_J_Kant pic.twitter.com/Jt2BeRM6O9
タグ:
posted at 21:39:18
2016年08月16日(火)
2016年08月15日(月)
非公開
タグ:
posted at xx:xx:xx
非公開
タグ:
posted at xx:xx:xx
非公開
タグ:
posted at xx:xx:xx
しかし、基礎存在論では先駆的決意性だが、カント書へ至るメタ存在論への転回以後、ハイデガーは死の先駆的決意性 twitter.com/sunamajiri/sta... という観念要請をしなくなる点ですね。それが基礎存在論とメタ存在論の違いでしょう。@BeTakada
タグ:
posted at 21:42:44
アーレントといえば、こんなのがあったな。twitter.com/sunamajiri/sta... 「思考による生活の停滞」が「死の先駆」だというアーレントのハイデガー批判。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada
タグ:
posted at 21:41:18
非公開
タグ:
posted at xx:xx:xx
中島義道『カントの時間論』は、日本の哲学ではなぜか人気の時間論では必携です。文庫化されたし。理論理性に対する実践理性の優位、自由の優位で終わります。ハイデガーの場合は、時間論から不死の要請を論駁してるんでしょう。twitter.com/sunamajiri/sta...
@BeTakada
タグ:
posted at 20:21:05
兎に角、論理的というと実践的信仰の論証(信仰告白)のことだと西欧人は依然として思い込むわけだし、逆に日本人なら、信仰とは無関係であることを論理的というわけだが、そういう堂々巡り=頽落から自由になるのが論理的、というのがハイデガーの存在論なのです。@inja650rr
タグ:
posted at 18:21:26
そう思うでしょ? タカ基地さんだと twitter.com/BeTakada/statu... というのは日本人に唯物論者が多いからだろうけど、私ならハイデガーは親切おじさんですね。@inja650rr ニーチェは万人に分りやすく語ってはいない様に思います。むしろハイデガーの方が分りやすい。
タグ:
posted at 18:06:21
正直なところ、ニーチェは万人に分りやすく語ってはいない様に思います。
むしろハイデガーの方が分りやすいように僕には感じられました(;´∀`)
twitter.com/inja650rr/stat...
@sunamajiri @BeTakada
タグ:
posted at 18:01:26
一言で言えば、ニーチェの端的さでは、カントの不死性を排除できないからでしょうね。一般にハイデガーというと後期のニーチェ批判だが、それはカント批判を見ないとわからないのでしょう。@inja650rr ハイデガーは何故そんなに回りくどく語ったのでしょうか? @BeTakada
タグ:
posted at 17:54:06
この問題(不死の実践的要請性の論駁)は、西欧では戦前、終末論になるのです。twitter.com/sunamajiri/sta... それに対して、日本ではなぜか戦後、自由の問題の喪失となって現れているのです。@BeTakada
タグ:
posted at 17:43:10
中島義道『カントの時間論』文庫版の終章を、置いておきますよ。私は89年刊の理想社叢書版で90年代前半に一度読んだことがあるのだが。初期中島義道は、おかしなこと(ニヒリズム)を言わないからよいんですよ。bit.ly/2bhawBO @BeTakada
タグ:
posted at 17:38:48
こうしたこと(自由)は、何もハイデガーが、不死の要請を超越論的時間規定で排除しないでも、カントの3つのアンチノミーで語り尽くされことであるのに。中島義道の『カントの時間論』の結語が端的。@BeTakada pic.twitter.com/n7qj2Rhn2h
タグ:
posted at 17:31:07
非公開
タグ:
posted at xx:xx:xx
おそらく結局、語りえないことって、時の有無のことだった、というのがオチなんだけれどね「ハイデガースタディー タカ基地氏との解題01 非本来的時間論から、有無を含まない時。」 togetter.com/li/1012058
タグ:
posted at 01:36:23
非公開
タグ:
posted at xx:xx:xx
しかし前 twitter.com/sunamajiri/sta... に戻ると、被制作性=真理前提を除外すれば、カントの原則論(本来の時カテゴリー)が、いわば因果批判的になっている、ということなわけだから。その辺り(GA31のカントの経験の類推論)を読まないと。@BeTakada
タグ:
posted at 00:18:01