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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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  • 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
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2016年12月09日(金)

A・タブッキbot(作成中) @A_tabucchi

16年12月9日

時間についての研究書でした。その中のある文に、私はひどく考えさせられましてね。こんな文です。『ある瞬間から、宇宙には〝時〟が存在し始めた』。この文を書いた科学者は無責任にも、『この概念はわれわれの理解の範疇を超えている』とも書いています(「ダマセーノ・モンテイロの失われた首」)

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posted at 16:43:33

2016年12月08日(木)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月8日

こうした因果論への退却、ハイデガーはそこから限りなく自由です。そのどこに論争があるんでしょう? ハイデガーがカッシーラーを単なる神話学だとしてやり込めたじゃないですか。それ以後、どこに論争なんかがあるというのだろう。私はそんなものはないと思います。@BeTakada

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posted at 15:09:02

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月8日

カントがそうであったように、ドゥルーズも時間を構想力と捉えない(そう捉えるハイデガーに批判的です)。それ以上にベルクソンの持続と捉える。国分氏によると、それは自然の偶然性への退却だそうです。時間論から因果論への退却なのです。スピノザのように。@BeTakada

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posted at 15:07:12

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月8日

要するに、ハイデガーには、こうした煩悶がないのです。あれだけ回りくどい、のたうち回るような語りであるにもかかわらず、ハイデガーにだけは、この構想力のやり場のなさと、一者への回帰という願望がない。それがなぜなのかは、タカ基地さんにはお分かりのはずです。@BeTakada

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posted at 14:58:01

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月8日

國分功一郎がドゥルーズ『カントの批判哲学』に読みやすい解説を付けてるから、お読みなることをお薦めします。一言で言うと、ドゥルーズはカントと同じで構想力のやり場がなく一者(トヘン)に寝返るのです。晩年にカントの時間論を計画するも挫折し自殺する。@BeTakada

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posted at 14:56:43

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月8日

固有時間(各自の時間)というよりは、各自の時間地平なのです。さもないと、おそらく有限性というハイデガーのテーゼは生じない。里見論文にあったような誤読が生じるということです。こうしたカント書誤読が、制度化しいたのではないか、というのが新たな疑問としてわきますね。@BeTakada

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posted at 14:46:38

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月8日

その点では、中山康雄『時間論の構築』は、同書冒頭で繰り返し断り書きが付されるように、実在論であり、ハイデガー的な意味での時間論ではない。かろうじて固有時間という術語が登場するが、十全とはいえないと、私は以前から見立てています。@BeTakada

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posted at 14:46:24

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月8日

中島義道の『カントの時間論』が、カント的というよりハイデガー的です。時間は内的ではなく、外的である。つまりアプリオリであり、物自体であるというのです。時間が自我を触発しているというのは、まさにカントというよりハイデガーなのです。@BeTakada

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posted at 14:31:07

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月8日

ハイデガーの言明が現勢的なのは、常住不変を前提とするような、カントの制度的とも言える読解への批判であり、だからハイデガーはかなり無理な言い方として、時間が対象を触発する、というわけです。こう表明した、つまり命題化した意味が問われなければならないのでしょう。@BeTakada

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posted at 14:28:42

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月8日

タカ基地さんは自称に即していない言明は下らない、とツイートしたが、そのとおりであって、常住不変が事象に即していない、あるいは潜勢的なのです。@BeTakada

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posted at 14:26:45

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月8日

ハイデガーが、カントは対象が触発すると言っていない、という純粋自己触発論は、カントが「我考える」(コギトエルゴスム)を、恰も常住不変、つまり霊魂の不死性のように自明化、つまり曖昧化したことへの批判です。@BeTakada

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posted at 14:25:20

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月8日

ところで、ハイデガーのカント批判としての純粋自己触発論(対象ではなく時間が自我を触発する) bit.ly/2hiwZkl を解題するのも、比較的容易です。それは、タカ基地さんの言葉で言うと、主客分裂への違和感と同じようなことでしょう。@BeTakada

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posted at 14:22:57

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月8日

これと同じことが、中島義道『カントの時間論』が、時間を物自体と捉えることへの批判で散見されるようです。どうしても、カントを自我が対象となり触発する論理学だと思いたい人達がいる。それに対して、ハイデガーは時間が触発するから自我が対象化される、といっているだけです。@BeTakada

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posted at 13:58:43

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月8日

タカ基地さんが、里見論文に違和感を表明する bit.ly/2h79Bpg のは、もっともでしょう。対象としての自己、あるいは自我は何も触発しない。時間が力のように触発するから自我が有るのだ、というハイデガーの逆説を、里見氏は読めていない。@BeTakada

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posted at 13:56:08

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月8日

確かに、カントの純粋自己触発と、ハイデガーの純粋自己触発は異なる。ハイデガーの純粋自己触発をカントのそれだと誤読すれば、ジャーゴンのレベルで意味不明になるでしょう。里見氏のその箇所は、カント書の単純な誤読と読めました。@BeTakada

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posted at 13:53:03

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月8日

里見氏にとっては「有限性」は自明の前提のようだが、ハイデガーが有限性に到達するのは、将来が触発する現在、先駆的決意性をもたらす時間の地平性であり、時間地平が対象を与えるのであって、対象が時間を触発するのではない、というのがハイデガーの言う有限性だからです。@BeTakada

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posted at 13:51:19

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月8日

里見氏がその箇所で批判したGA25-391とGA3-189以下、つまりカント書の純粋自己触発の節をPDFにまとめときました。bit.ly/2hiwZkl 里見氏の、いわばハイデガー批判は妥当ではないでしょう、というのは~ @BeTakada

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posted at 13:47:40

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月8日

里見氏は「(恰もハイデガーは時間が触発すると言いたげだが)、触発するのはあくまで対象であり・・・ハイデガーは無理に、時間を力と解釈している」というわけですから、ハイデガーからの退却、つまりハイデガー批判なわけです。これが今までの私の読解との違和感でしょう。@BeTakada pic.twitter.com/8gjN8XQqSj

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posted at 13:41:54

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月8日

ハイデガーのカント解釈では、カントが、構想力を直観しながらも、それをカントが真理として前提出来ず、隠蔽したことが問題なのです。物自体は認識できないが、真理前提が隠蔽されていることで、現象も認識できない。そうハイデガーは暴論を言明できるか、という話です。@BeTakada

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posted at 05:14:21

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月8日

また、新カント派には範疇的直観(フッサール)がない。だからこそ、このカントが悟性に繰り込んだ、構想力に言及できず、それを謂わば神話にしてしまった(カッシーラー)。それに対して、範疇的直観からは、時間とは構想力である、というものです。@BeTakada

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posted at 04:46:44

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月8日

ハイデガーのカント解釈とは、カントが感性と悟性という2つの幹に言及するも、その発生源たる根に言及していないという批判です。それは構想力だが、カントが構想力の威力に言及するも、それを悟性に繰り込んでしまった。構想力とは綜合だから、それでは分析しかできない。@BeTakada

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posted at 04:46:24

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月8日

タカ基地さん、これはあくまで読解上の作業的なもので、個人攻撃のたぐいと誤解されるようなものではないので、フォロワーさんとの整合もあるので、あえてこちらでレスりますね。対話型読解メモだとお考え下さい。@BeTakada bit.ly/2h79Bpg

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posted at 04:34:57

2016年12月07日(水)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

冒頭に戻ると、タカ基地さんが時間を地平ではなく場だと表象化するのは、GA3がミッシングリングなだけです。古書が高騰しているのでぜひ図書館へ。デカルトを解体するスピノザにとっては、万物は無限=汎神論で、時間すら原因から生まれてしまうが、量子論では有限でしょう。@BeTakada

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posted at 07:59:10

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

このように量子は表象でも起源でもない。こうした起源論批判を、私はスピノザ批判と見なしたのだが、ハイデガー以後どうなったかは、私は中田光雄のこの起源論批判が一番分かりやすかった。タカ基地さんに感想を伺いたい所。amzn.to/2hetPK5 @BeTakada

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posted at 06:29:25

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

タカ基地さんが、時間論=量子論と発問するのも、量子を表象のように、眼前存在者に素朴に対象化する懐疑論ではない。存在者(表象)から探求すれば、存在(現象)は部分否定されてしまう。存在者(対象)は存在(現象)を表さないのだから、という存在論的批判ですよね。@BeTakada

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posted at 06:22:29

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

したがって、永劫回帰というのは永遠とか輪廻転生という、三島由紀夫が好きそうな事柄ではなく、単に部分否定をする探求(懐疑主義)を懐疑する方法的懐疑の語り方の洗練のような話でしょう。@BeTakada

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posted at 06:09:17

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

ハイデガー的な二重襞(存在論的差異)で喩えれば、実在する存在者(物)から慎重に探求を開始すると、語り得ないことを部分否定、止揚として捏造してしまうのです。しかしそれは存在しているのです、部分否定などお構いなしに。それを全肯定(一重襞化)する、語り方の方法論です。@BeTakada

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posted at 06:06:42

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

つまり、結末を探りながら慎重に語ると、部分否定しかねないところを、そういうところに頓着せず、大胆に説明文を書いてしまうと、私のようにあらゆる部分否定に足を引っ張られず、全肯定的に、あるいは網羅的に、全部語り尽くしてしまう、というようなことです(笑)。@BeTakada

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posted at 06:03:24

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

端的に、起源論というのは、不明なものを探求する営為のことです。書きながら=語りながら、つまり探求の結果陥る部分否定、弁証法のことです。それに対して、根源とか永劫回帰というのは、輪廻や永遠のことではなく、全肯定=説明文のことです。そのどちらで語るかですね。@BeTakada

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posted at 05:49:19

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

柄谷行人が、時間を構想力とするハイデガーの地平根源に対して、時間を場だとするトランスクリティーク以後、意識の根源に対する、意識=哲学の起源を弁証法するのも、永遠という悟性が構想力によって生まれる、というだけの話です。日本人は柄谷的な場時間が好きなようですが。@BeTakada

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posted at 05:34:55

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

意識は根源現象ではありえても起源現象ではない。つまり構想力は意識の根源だが、悟性(アルゴリズム)は意識の起源ではない。アルゴリズムこそ時間の産物であり、アルゴリズムは時間を生起しない。@BeTakada

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posted at 05:30:45

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

スピノザ批判以後、仕上がれらているのは、起源論と根源論の弁別です。時間を地平とみなす根源時間は、意識=永遠を生み出すが、その逆である、アルゴリズムや永遠が意識の起源になることはできない。意識には根源はあるが起源はない、そういう話です。@BeTakada

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posted at 05:23:07

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

これは意識には起源はなく根源があるということなのだが、それと、タカ基地さんの発問でいえば、万物流転が永遠の不在を実感させるということとは、何ら矛盾しないでしょう。ただAI時代に、アルゴリズムが意識=永遠の起源に見えるが、起源=永遠などないという共通した話題です。@BeTakada

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posted at 05:11:11

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

地平時間が表象の根源で、起源が時間を表象するのではない、という地平時間という問題は、もう一度ここに立ち返ってみて下さい。twitter.com/sunamajiri/sta... ちなみにカント書やダヴォース討論と言うのはこれを巡る論争です。けっしてフレーム問題ではない。@BeTakada

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posted at 04:29:12

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

構想力が地平になる時、感性(表象)と悟性が同時的に生まれる。つまり、時間が非地平の場合、悟性(論理)は表象を与えない。これは先日来の、アルゴリズムは意識の起源ではない、というタカ基地さんの起源論ないしハードプロブレムを髣髴とさせるので気になるところ。@BeTakada

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posted at 04:25:10

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

去年来一貫していっているのは、永遠性や不死性をどう乗り越えるか、という話です。乗り越えないと死ねませんからね。これが存在論だとすれば、認識論ではそれはどうやら乗り越えられない。そのあたりどのようにタカ基地さんが咀嚼したのかが気になるところ。@BeTakada

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posted at 04:19:42

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

おそらく、タカ基地さんが踏まえているGA25の三種の綜合は、地平融合以前です。地平融合とは構想力が時間地平になることです。場時間ではなく地平時間からすれば、カントの形而上学性=認識論性=非存在論性が喝破される、そういう具合です。@BeTakada

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posted at 04:17:18

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

ちなみに、構想力は場ではなく地平です。場はおそらく悟性と感性かもしれないが、その根である構想力は地平であり、時間です。言い換えると感性が悟性を与えるのでも、悟性が感性を与えるのでもなく、時間=構想力が地平になる時、悟性や感性が与えられるのです。@BeTakada

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posted at 04:09:34

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

前に発問したように、存在論は形而上学性を暴露(脱構築)して解体した先にあります。だからこそスピノザのような自然即無限のような実在論が退けられているだけで、単に絶対者や被制作性が解体されたわけではない。より強力なのです。@BeTakada

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posted at 04:07:35

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

これを逆算すれば、カントを形而上学ではなく認識論と信じてしまう新カント派、つまり認識論が、もっぱら信仰のようなもので、存在論的ではない、というようなことでしかない。@BeTakada

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posted at 04:05:49

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

ハイデガーはGA3で、十把一からげに新カント派的認識論は、カントの形而上学性に気づいていない転倒だ、と言っているわけです。それはGA24でカントの被制作性が暴露されたという木田元より根源的なのです。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada

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posted at 04:04:39

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

冒頭 twitter.com/sunamajiri/sta... から触れたように、カントの形而上学性の暴露というのは、新カント派の認識論性の暴露なのです。認識論では時間がクロノスのままだからでしょう。そのままではポンティではないが、永遠性が問題化してしまうかもしれない。@BeTakada

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posted at 04:01:38

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

メタフィジックというのは、フィジックの前へですからね。万物流転の前へ、ですよね。だからこそそこには永遠というものがない。永遠という話を根絶するようなお話でしょう。@BeTakada この辺り先生はどう思いますか?

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posted at 03:58:26

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

RT @BeTakada しかも物質の動的移動は、生命にとって単に物質の移動です。ですから単に物資のアプリオリな働きを調べているだけ、観ているだけと言っているだけなんです。この辺り先生はどう思いますか?

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posted at 03:56:38

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

RT @BeTakada ですから私は、独我論や人間機械論や予定説と同様に、100%の因果律や決定論もないと言っているのには、上記の理由に照らしての事です。

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posted at 03:56:05

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

RT @BeTakada 仮に自分のDNAを用い同じ基体の私がそこに現れたとしても、それは私以外の分子で構成された人間で有り、私に似ているかも知れないが、それは私によく似た他者以外の何者でもという事ですね。

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posted at 03:55:06

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

RT @BeTakada ましてや輪廻転生など、何兆年先話なのかとも思いますし、基体を構築するDNAが失われているのに、如何様に元の基体に生成されるのかなど、先ず有りえない話でないですか。

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posted at 03:54:37

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

RT @BeTakada また人や他の生命の体内で血液に変わる場合もあるでしょう。そういう意味からも現実的には、コップに戻る水はもっと少ないはずです。

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posted at 03:54:16

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

RT @BeTakada しかし、海には海流が有り、深海では対流は遅く、海流に乗れば早く地球を回ります。またその途中で蒸気に変わり雨となり土壌に沈み何十年も先に海に戻る分子も有るでしょう。

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posted at 03:53:44

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

RT @BeTakada ただし永劫回帰とは完全に前世の形に生成されるという意味では無いですよね。例えば、コップ一杯の水分子に印を付けて海にこぼした時、1年後にその海でそのコップを使って海の水を汲み、その中に印を付けた水分子は幾つあるかと言えば100個前後入ると計算できたとする。

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posted at 03:53:09

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

RT @BeTakada 有ひとつが時間なのですから、我々は世界の先人の時間を与えられ生存していると言っても良いと思います。それは同時に愛と呼んでも良いと思います。ただしこの時間(有)の中には、我々の時間(有)そのものを傷つけ、また奪うモノもあるという事は付け加える必要がある。

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posted at 03:51:50

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

以下タカ基地さんの話を転載して検討してみます。@BeTakada この間は書き損ねましたが、この世界の有ひとつが、我々と出逢い、与えられる「何を」時間を〜ですね。

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posted at 03:50:37

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

上にも引いた柄谷行人が、時間を場といいはじめてしまうし、日本では、時間は場といわれるようなのだが、ハイデガーはそれではだめだといいそうですね。時間は点でも次元でも場でもなくて、内的時間でもなく、地平なのでしょう。@BeTakada

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posted at 03:44:17

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

RT @BeTakada 認識論というか内的必然、つまり客体、アプリオリな構造、それと有機体としての人間の意志との連関、つまり構想力との接続の「場」の話しをしているつもりなのですが。その「場」それ自体が主客一致の場であり、実時間と虚時間の対消滅、生成の場であると考えています。

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posted at 03:43:21

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

フリードマン史観 twitter.com/sunamajiri/sta... … 関連は、未邦訳ですからね。日本の研究者がパニクってるだけですよ。ハイデガー全集ならGA25では不十分でGA3をまずは読んできて、という話です。@BeTakada このピーターゴードンを読めという事ですね

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posted at 03:41:18

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

起源論をすれば意味は解体してしまう。起源論批判というのは無意味を没収するような話です。そのような話としてしか起源論批判=超越論的批判は真ではない。しかしそれは対象は認識が与えるのではなく、存在=時間が与えている、というような話でしょう。@BeTakada

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posted at 03:36:43

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

このように、超越論的批判というのは(柄谷が転倒するのとは逆に)、起源論批判のことです。以前から強調しているように、カント以後は音楽教育論としてしか真ではありません。意味の起源は無意味に有るという起源論を批判する音楽教育論が、カント以後制度化するのもそのためです。@BeTakada

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posted at 03:31:46

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

スピノザ批判は、カント以後の起源論批判です。経験的直観が可能になるためには、対象を原因とする認識論ではなく、因果論(観念論)の以前から、存在がなければならない。対象は認識ではなく時間が与える、存在とは原因に先立つ時間的現象だ、というわけです。@BeTakada

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posted at 03:29:14

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

スピノザを批判すると孤立する。カントが数学と物理学、認識論と存在論、さらには派生的直観と根源的直観を弁別すると、その綜合は何かから孤立してしまう。そういう問題が見据えられないと、認識論や形而上学から、存在論に転じることは、限りなく不可能でしょう。@BeTakada

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posted at 03:19:48

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

しかし、コンチネンタルデバイド(大陸哲学との分断)という史観(存在論)は(世間でいうアカデミズム解体としてのポピュリズムも)、ドイツ哲学はスピノザ批判としてのみ了解できる、といったような問題地平です。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada

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posted at 03:17:04

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

こうした、始まりと終わりがあるとすることで陥る、非本来の時間論(永遠性)に対して、本来的時間論が具体的に何を意味するかは、メルロ=ポンティーのいう「環時間的」(omnitemporel)にも現れてそうですね。twitter.com/merleaupontybo... @BeTakada

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posted at 03:11:56

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

したがって、未邦訳史観であるフリードマン史観は、終末論の復活ではもちろんなく、そうした終焉論争=終末論(宇宙に始まりと終りがあるというコスモロジー)に対する、存在史学上の退け(コスモロジーに始まりも終わりもない)なのです。@BeTakada

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posted at 03:06:29

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

こうした偽パウロ書簡=クロノスに対する、パウロ書簡=カイロスを、アプリオリテートに対するプリオリテート、テンポラリテートとして立てる、というようなカント書の地平時間論に基づく、新カント派(ユダヤ教徒)に対する批判=超越論的批判が、ダヴォース討論です。@BeTakada

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posted at 03:03:12

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

第一次大戦後の終末論(偽パウロ書簡の資本家は食うべからずの時間性=クロノス)の台頭に対する、ハイデガーの(パウロ書簡、想定外はないという時間論=カイロス)は、だいぶ前に発問しました。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada

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posted at 03:00:16

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

とはいえ、発端はたかだか戦前のハイデガーによる終末論批判(偽パウロ書簡批判)にすぎないのであり、それが新カント派のユダヤ教性の暴露として白熱した、カント書のダヴォース討論というだけなので、それほどうろたえることではありません。@BeTakada

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posted at 02:49:44

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

日本では(素朴に)先鋭化されてしまったが、もはやこうしたアカデミズム解体は世界の趨勢です。ポピュリズムの台頭もそれでしょう。私の年代だと、ラカンやデリダの文学理論上で有耶無耶にされたことです。確かにラカンは架橋したが、かえって分裂症者を生んでしまった。@BeTakada

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posted at 02:49:29

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

ある意味、戦前のハイデガーとカッシーラーのダヴォース討論(物理学でいうと、量子論は存在論なのか認識論なのか)が、戦後日本ではカッシーラー主義的な全共闘による、アカデミズム解体、ハイデガリアンの解体の様相のままなのです。代理戦争状態です。@BeTakada

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posted at 02:48:56

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

第一次大戦後の終末論の最中、こうしてカントのユダヤ教化としての新カント派をハイデガーは追い詰めたのです。その親分カッシーラーは、コロンビア大に亡命。カッシーラーの日本での紹介者は、全共闘ヘッドで駿台予備校の創始者のようなカッシーラー主義的山本義隆物理学です。@BeTakada

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posted at 02:48:42

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

認識論が対象を生む、思い描いたとおりの対象が認識によって生まれる、という物理学の認識論化を、誤謬として退ける最も鋭い箇所です。それは、恋愛で、自分の欲求から恋愛対象を生んでしまうことと同義。それでは相手に出会えない。それに対して、ハイデガーは出会い論ばかりする。@BeTakada

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posted at 02:48:28

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

安部氏が bit.ly/1vCoWgk が序盤で鋭く紹介しているように、カントは直観の二様を峻別したわけです。それは認識が対象を生むのではなく、認識に先立って存在する、という超越論性です。超越論というのは素朴論への対語です。@BeTakada

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posted at 02:48:09

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

フリードマン史観関係は、まだ邦訳がほとんどないです。したがって日本ではここからは研究行為になってしまうのだが、一般化しているのは、ハイデガー読本の安部さんのダヴォース討論をめぐるエッセイです。 bit.ly/1vCoWgk @BeTakada

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posted at 02:47:55

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

しかし、これは単に歴史学上の問題ではなく、これ以外の哲学史が全て一蹴されるような、存在論上の問題と捉えるべきです。ハイデガーは要するに、新カント派のユダヤ教性を喝破している。それがカッシーラーとのダヴォース討論です。@BeTakada

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posted at 02:47:31

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

ピーターゴードンは哲学者ではなく歴史家です。処女作のハーバード講義『ローゼンツヴァイクとハイデガー』は全米ユダヤ教とドイツ哲学学会の受賞作です。第一次大戦後の終末論を一蹴するハイデガーの話です。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada

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posted at 02:20:31

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

フリードマン史観を受けた最近のピーターゴードンのハーバード講義の目次とGA25に関する辺りをスキャンしておきました。bit.ly/2hcMaHJ www.amazon.co.jp/Continental-Di... @BeTakada

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posted at 02:15:57

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

カントのアプリオリテートに対するテンポラリテートというのは、新カント派が、カントを認識論者として立てたことに対して、カントを形而上学者として一蹴すると、存在論のプリオリテートであるテンポラリテート(点時間に対する地平時間)に突破する、と読んでよいでしょう。@BeTakada

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posted at 02:10:06

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

GA3問題、あるいはダヴォース討論 twitter.com/sunamajiri/sta... と言うのは、一言で言うと、カントを形而上学者として一蹴する議論で決裂した、というような話です。@BeTakada

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posted at 02:08:57

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月7日

GA25ではなく、その後のGA3がタカ基地さんにはミッシングリングというだけです。これは物理学にも突き抜ける問題で、量子論は認識論か存在論か、という大混乱の原因ともなっている。@BeTakada 先に、もう一度GA25を併読します。

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posted at 02:07:15

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