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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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  • 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
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2016年12月05日(月)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月5日

ツイートまとめ②(^-^)/ ヘーゲル的な史観からカント書による厳密な数学と物理の弁別へ www.facebook.com/kaoru.ohmoto/p...

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posted at 08:31:54

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月5日

ツイートまとめ①(^-^)/ だから絶対者じゃなく、自然即無限という概念をめぐる戦いですぞ。それを絶対者がどうのというから、知性が危うくなるのよ。www.facebook.com/kaoru.ohmoto/p...

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posted at 08:31:09

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月5日

いずれにせよ、物理と数学を混同する直観が見分けられないとならない。たとえば時間は点ではなく地平であるとか、時間カテゴリーは過去現在未来ではなく、持続継起同時の三種だとか、そういう厳密論を踏まえて数学は本当に可能なのか、そう問わないと、また痛い目にあう。@BeTakada

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posted at 06:10:03

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月5日

ところで、bit.ly/2gTJ9zl で参照されている鈴木俊洋が、うちでも積み本になっていた。フッサール数学論の全体像を構築する試みのようだが、それほど分厚くはない、これの読解でもしませんか? bit.ly/2fUtMXF @BeTakada

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posted at 06:08:02

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月5日

メイヤスーがカントを仮想敵に思弁する実在論は、素朴実在論ではないのか?という問題があるということなのだが、それは取りも直さず、数学と物理学を混同する思弁は可能か、というような問題です。しかしそれができない、という厳密論がカント書にはあるのです。@BeTakada

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posted at 06:05:24

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月5日

こうした、無限と有限の切断、デデキントのような話が、数学の世界では今日でも問題的だが、哲学の世界では不問になっている、ということがいかにも問題的なのでしょう。昨日のメイヤスー論者のカント論もそれでもちきりでした。bit.ly/2gTJ9zl @BeTakada

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posted at 06:00:15

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月5日

ハイデガーがダヴォース討論で、名指しでヘルマン・コーヘンの数学観を、一蹴していく道筋と、タカ基地さんが重なるのが、数学的か物理学的か、私には上手く判定できませんが、そのあたりを念頭に読み進めてみて下さい。ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98... @BeTakada

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posted at 05:53:50

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月5日

ところで、ダヴォース討論は、カッシーラーの師匠であるヘルマン・コーエン的な心理学主義批判、つまり無限小論に対する痛烈な批判です。このコーヘンの心理学批判が昨今のタカ基地さんに重なるのが気になるところなのです。d.hatena.ne.jp/theseus/201302... @BeTakada

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posted at 05:49:04

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月5日

1929年のハイデガーとカッシーラーのダヴォース討論から分析哲学に分裂してしまい、戦後は見えなくなる。これは日常的には、数学と物理学を混同し、偶然を必然と誤解するようなことです。そうしたカオスというかパニックを是正するのは、そんなに難しい話ではないと思います。@BeTakada

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posted at 05:41:59

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月5日

自然界(存在者の全体)には、収束点の無限大以外に無限が存在しない。これが「全体における存在者」、つまりメタ存在論の視座だが、こうした転回から逆行すると、勢い、収束点の先に無限遠点をイメージしてしまう。そうしたことがカント書では厳密に排除されているのです。@BeTakada

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posted at 05:34:25

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月5日

哲学史は哲学=存在論ではなく頽落だが、フリードマン史観は、むしろ存在論的でしょう。それは、ハイデガーのカント書(1929年)所収のカッシーラーとのダヴォース討論から、戦後のあらゆる思考が頽落してしまった、というように見えてくるからです。その最たる問題が無限です。@BeTakada

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posted at 05:32:04

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月5日

ところが、昨今またしても因果論や実在論に頽落してしまう。つまり数学と物理学を峻別したカントの土俵が霧がかってしまった。殊に大陸哲学と分析哲学の分断がそれを助長した、というストーリー=フリードマン史観があるわけです。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada

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posted at 05:24:30

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月5日

自然界(存在者の全体)には点も線も、もしかすると次元もない。そういう直観の問題に折り合いがつかないと、前述の通り、スピノザにあったような因果論的誤謬、ないしは単純に実在論に頽落してしまう。カント以後は、それが数学と物理学の峻別の話として浮上してくる。@BeTakada

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posted at 05:22:31

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月5日

しかし、そのためにはハイデガーのカント書(1929年)と、同書所収のカッシーラーとのダヴォース討論に立ち返るべきです。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada

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posted at 05:13:46

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月5日

次元というより、やはり時間の実数性と虚数性の差異に、話を戻すべきですね。さもないと、スピノザのように因果論的特異点、つまり虚無を産みかねない。それを回避するためには、時間の虚数化に向かう、という先日の話題です。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada

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posted at 05:09:37

2016年12月04日(日)

非公開

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posted at xx:xx:xx

2016年12月01日(木)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月1日

宇宙=存在は有限なのです。点性でみれば無限大が生じ、そこに絶対者という真理前提を重ね合わせると、危険なことになるのでしょう。しかし、そんな真理前提などお構いなしに、存在は有限なのです。宇宙が有限なように。@BeTakada

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posted at 16:13:02

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月1日

その意味でも、『存在と時間』を時間地平に補うハイデガーのカント書が、有限の学の公理集として、カントに言及するのが極めて興味深いのです。スピノザはデカルトの神を無限として先措定するが、ハイデガーのカント書ではそれを有限に転回させるわけだから。@BeTakada

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posted at 16:12:01

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月1日

ハイデガーの『存在と時間』の収束点が、点性、点時間、ヘーゲルの点時間、を真理前提とする一切に対する、批判的視座となるように語られているのも、そうした事情によるのでしょう。点とは虚無のことであり、有限な宇宙に無限を生じせしめる矛盾律なのでしょう。@BeTakada

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posted at 16:06:33

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月1日

おそらく、スピノザが有限の自然(宇宙)を無限と措定し、自己原因という汎神論を書くのは、ご承知のように、絶対者を真理前提しているからだが、いまや真理前提は自然の有限なのです。自然を有限としたとき、特異点では無限大になり、矛盾してしまう。@BeTakada

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posted at 16:04:23

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月1日

スピノザは、デカルトの観念としての神、無限、自己原因を、公理にたかめようとして、間違いを犯しているのです。有限の宇宙を無限と捉えて、特異点としての自己原因を記述したからでしょう。スピノザを自然即神=汎神論というが、スピノザの問題は自然即無限という矛盾です。@BeTakada

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posted at 16:01:52

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月1日

この数日ツイートしたように、絶対者というより、自然即無限というスピノザの収束点=自己原因が、特異点なんですよ。それでは無限が生まれてしまう。ハイデガーが有限論ばかりするのも、それゆえです。点性は無限大=矛盾律をはらんでしまう。宇宙は有限なのに。@BeTakada

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posted at 15:59:32

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月1日

RT @BeTakada そうですね。ですから物質たった一個、つまりは有ひとつにハイデガーはこだわったのだとも考えられます。有ひとつの働きを知ることが世界や宇宙を知ることになり、時間の行方を左右するのだと思います。絶対者なんて概念が世界を不幸にしてますからね。負けたくないです

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posted at 15:56:34

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月1日

収束点にならなければ有限でいられた宇宙が、特異点を(真理)前提にすると有限が無限になるというのが、矛盾的というだけですよ。ほんとうに点=虚無は無限を生んでしまうんです。しかし宇宙は有限だし、特異点になるしかない点性もあやしい。ハッブルが余計な観測するからww @BeTakada

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posted at 15:55:08

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

16年12月1日

宇宙って有限なのにね(^-^)/ RT @BeTakada 特異点の裏側、外側、つまり時間反転を有そのものの反転と観るか、或いは特異点の出口つまりホワイトホールが有ると観るか、もうひとつ絶対者である時間非対称と観るか、論点はこの3つで争われている様に見えます。 pic.twitter.com/zKnCOEba9R

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posted at 15:51:10

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