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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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  • 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
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2017年02月04日(土)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年2月4日

タカ基地さん、この新刊面白いよ。とくに、カントの「物自体」は、ジョン・ロックが「物そのもの」を「粒子仮説」にしたことを拒否する、という意味での物自体だった、というあたり、タカ基地さんが一番興味を持ちそうな辺りだ。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada

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posted at 19:06:54

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年2月4日

冨田は、カントが物自体を認識不可能としたのは、ロックとの比較で判明になるが、ロックがデカルトの二元論を、粒子仮説にしてしまったためだ、という空虚批判で、タカ基地さんがハイデガーを読む際にいつも言及する関心領域。 twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada pic.twitter.com/zDCEUR3R2H

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posted at 19:28:01

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年2月4日

正直、ハイデガーのスムーズな二元論批判に比べると、冨田恭彦のロックからカントの物自体を読むのは、小骨が刺さった二元論批判に感じられるのだが、おそらくカントの二分法を二元論だと誤解している人には、この小骨のほうがスムーズに感じるかもしれない。@BeTakada

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posted at 19:28:31

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年2月4日

ハイデガーの形而上学批判は、GA3カント書では両義的形而上学のまま超越論的時間規定が取り出され、直後のGMで形而上学の両義性が解体され、翌年のGA31のカントの経験の類推読解論で、第二類推に超越論的時間規定が措定されるで、そもそも二元論性(潜勢)がない。@BeTakada

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posted at 19:36:12

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年2月4日

これと同じことが、冨田恭彦のロックとカントの比較論、つまりハーバードカント学にあるのだが、要するに、カントの二分法を、デカルト的な二元論と実体化してしまうような世間的常識の発生が疑われている。二分法は二元論ではなく、むしろハイデガーが言うように一元論的だ。@BeTakada

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posted at 19:40:49

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年2月4日

そこで、重視されているのが、アディッケスのように物自体を、カントのデカルト主義に結びつけるのではなく、ハイデガーのように、ALS構造に、つまりカントの物自体を、ロックの粒子仮説の拒否に、直結させるという話。タカ基地さんのいう空虚批判の理路だ。@BeTakada

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posted at 19:44:05

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年2月4日

ハイデガーがスムーズなのは、デカルト的真理観から自由だ、ということなのだが、アリストテレスが存在と存在者の二重性を問題連関させたが、そうした第一哲学が隠蔽したものを、伏蔵解除することこそ真理であり、デカルトの観念論的真理には真理がない、と言い尽くすからだ。@BeTakada pic.twitter.com/uGkI3887sr

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posted at 20:31:29

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年2月4日

デカルト的真理というのは、じつは記号論なのだが、ハイデガーによるデカルトの解体というのは単純で、二重性はアリストテレスでは形而上学の両義性ではなく、単純に問題連関だっただけで、それを両義性とすれば仮象としての真理が生じるが、それは真理ではない、といったような話。@BeTakada

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posted at 20:48:37

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年2月4日

しかし、おそらく、ジョン・ロックはヒュームもだが、デカルト的真理、つまり仮象に囚われているので、冨田恭彦によれば、カントの物自体とは、いわばそうした仮象性の拒否として機能していた、というような話らしい。@BeTakada

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posted at 20:49:35

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年2月4日

そのあたり、タカ基地さんの空虚批判に引き寄せて、私ではうまく再話できないが、ぜひ冨田恭彦の物自体から、空虚批判を再話してくれるとありがたい。みなさんアディッケスのように物自体をデカルト主義でとらえているので、そのあたり=ALS構造がわからないだけだろう。@BeTakada

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posted at 20:51:26

2017年02月06日(月)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年2月6日

概念(言語)は、教育から見ればアプリオリだが、音楽は概念的ではないので、それは天賦の才能ではなく、完全に教育効果だ、というのが、毎度話題にだす、ハイデガーが着目するカントの図式論の具体例かもしれない。twitter.com/sunamajiri/sta...

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posted at 03:42:39

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年2月6日

図式論というのは、三角形一般の概念は生得的で、それを具体的三角形にするための計算能力は教育効果だが、そうして図像化された各三角形を、三角形一般という概念と理解する能力=図式は、計算能力の側にはない、というカントの枢軸的な哲学。

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posted at 03:45:51

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年2月6日

なぜこれが重要かというと、三角形のような一般概念は、計算能力のようなものの習得だけで、具体的な図像とすることができ、そうした具体的な図像を、三角形という言葉の意味として抽象して理解することができるのだが、たとえば原因という言葉、つまり純粋知性概念はこれができない。

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posted at 03:49:39

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年2月6日

カントのいう図式というのは、概念=一般性から、個別の具象(図像=bild)を構成し、その個別具象を、再帰的に抽象して、何であるかを理解する、その方法の全体を指すのだが、たとえば原因という言葉の意味を必然化する図像を構成する図式=方法(スキーマ)はない。こうしたものを図式論という。

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posted at 03:55:06

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年2月6日

つまり、三角形という概念は具象化でき、且つ、三角形の具象を抽象して、三角形という言葉の普遍的な意味に確定記述することができる、つまり教育することができるのだが、原因のような言葉の意味は、これができないという話。そこにカントの時間論がでてくるのだ。

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posted at 03:59:23

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年2月6日

図式とは、図像(具象)ではなく、抽象化(捨象)の方法のことだが、三角形(一般概念=数学的概念)とは違い、原因という言葉(純粋知性概念)の意味を普遍に抽象する方法=図式はないので、その図式とは時間だ、という演繹のこと。

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posted at 04:18:43

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年2月6日

これは蛇足だが、中島義道『カントの時間論』では、冒頭の注釈1で、時間を時間構成で捉えると宣言しているのだが、時間とは数学のような一般概念とは違い構成的ではなく、純粋知性概念のように地平的だ、というのがハイデガーのカント批判。 pic.twitter.com/GGJ8yWoQeP

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posted at 04:34:05

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年2月6日

こうした話は、コトバの意味(概念)は生得的か、という問題なのだが、概念は数学のような一般概念ばかりか、原因のような純粋知性概念=カテゴリーに至るまで、アプリオリだから教育は容易いのだが、それは意味が無意味な音声を起源としていない、という理屈なのだ。

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posted at 04:42:47

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年2月6日

これをより簡単に言うと、言語も数学も生得的だから、学校教育程度で能力を引き出すことは容易だが、そもそも無意味=生得的でないこと、である音楽ばかりは、学校から見れば天賦の才能と誤解されがちだが、じつは本格的な教育効果でしかない、ということなのだ。音楽は後天的な遊びだったのだ。

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posted at 04:46:45

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年2月6日

ツイートまとめ(保管)(^-^)/ なぜ学校教育からは音楽が天賦の才能に見えるのか、という話なのだが・・・。www.facebook.com/kaoru.ohmoto/p...

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posted at 05:16:34

2017年02月07日(火)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年2月7日

たとえば古来、論理学は質と量で、それは不確定=無限を語れないからなのだが、それをカントが、魂の不死をいうためか、いつのまにか質と量の論理学に、無限を付加して収拾がつかなくなり、あんな長い話をしてるのだが、それをすぼめると、単なる不死になるよ、なんてハイデガーは遠回しに言うわけよ。

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posted at 08:59:19

2017年02月08日(水)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年2月8日

ハイデガーのカント書の超越論的図式論は、カントの無限判断を無効化する、いわば有限判断を図式化する地平である時間は、構成できない、というような趣旨であるなら、それはイギリス経験論と比較文学することで、より明瞭になる、という冨田本のあらましが言えるかもしれない。@BeTakada

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posted at 00:27:27

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年2月8日

しかし、不確定を排除する論理学に、無限判断=不確定性を混入させたのは、中世以来の論理学の教科書が、霊魂の不死を例文としていて、その例文で論理学をしていたら、いつのまにか不確定=無限判断がカントから混入してしまい、ハイデガーが打ち消した、ということのようだ。@BeTakada

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posted at 00:29:53

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年2月8日

冨田本は、ロックの粒子仮説に残る原子論のような必然的仮説、古い科学から、それを物自体として一蹴し、仮説の蓋然性という現代科学の方法にカントが貢献するも、その副産物で不死性(死の病)が派生したので、そうした論理的歪を、ハイデガーが一蹴した、というように見える。@BeTakada

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posted at 01:43:35

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年2月8日

そこで、タカ基地さんの空虚論の問題になる。冨田本では、デカルトは原子論者ではないが、ロックは仮説の必然性、物とは粒子だと言ってしまい、それを訂正するためにカントは物自体というのだが、そうすると不確定性=無限、あるいは不死性(死の病)が生じてしまう。@BeTakada

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posted at 01:45:27

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年2月8日

当然、ハイデガーが、こうした死の病を克服する図式論(方法)を、話の着手点にするが、死の病は単に、原子論のように仮説は必然的だという古い科学の産物でしょう。問題は、言葉(概念)のアプリオリ性(生得性)の方でしょう。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada

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posted at 02:01:25

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年2月8日

このように、ハイデガーは死の病を問題にしなくなる=転回するのだが、世間一般ではどちらかというと、カントが科学の蓋然性、つまり現代科学の父だという方に目を奪われてしまい、その副産物である不死性は、ハイデガーまで克服されていない、ということを忘れがちになってしまう。@BeTakada

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posted at 02:29:22

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年2月8日

古い科学では、科学的仮説はすべて必然性だが、それを物自体に封じ込めて、現代科学の仮説の蓋然性を生み出したカントが、無限判断を混入させている。その無限判断が、死の病(不死の蓋然性)になるも、それを一蹴する最後の仕事がハイデガーで果たされた、というように見えますね。@BeTakada

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posted at 02:35:16

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年2月8日

科学が蓋然性を獲得すると、蓋然的な不死性が生じる。こういう裂け目、つまり二重襞は、それを問題連関のまま隠蔽するアリストテレス twitter.com/sunamajiri/sta... 以後の形而上学では取り結べない、という図式論的綜合が起こったということなのだが。

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posted at 03:04:05

2017年02月11日(土)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年2月11日

歯医者さんから帰ってきて仮眠のつもりが寝てしまった。冨田カント本を一昨日、熟読了したので、アマゾンレビューでも書いてあげようかなと思っていたが、綺麗に語りが霧散してしまった。本を紹介するというのは醍醐味だが、読了後の距離感が難問。

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posted at 05:29:37

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年2月11日

ついハイデガーがブレーメン講演で吐露したように、英語でないとカントの明証必然性や実体の欺瞞を、精確に言い当てることができない。ハイデガーならそれを非本来的形而上学というのだが、冨田カント本では、非本来的論理学といえてしまっている。

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posted at 05:34:40

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年2月11日

時間は構成ではなく、超越論の規定は時間を構成する論理にではなく、時間そのものにある。こうしたことをカントは非形而上学的だといってしまうと、あまり論理的に聴こえないのだが、カントにあるのは非論理性だというと、冨田カント本のように、非常に論理明晰に見える。

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posted at 05:36:15

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年2月11日

ハイデガーがカント書~形而上学批判で捉えるカントは、非本来的形而上学者なのだが、しかし冨田カント本が捉えるカントは、カントの非論理性なのだ。どちらがより鮮やかであるのかというと、おそらく後者だろう。

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posted at 05:38:09

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年2月11日

カントは自然科学を形而上学に見せかけている(冨田)。形而上学とは、存在と存在者の二重襞を問題連関させる第一哲学の二重性(両義性)が隠蔽したものだ(ハイデガー)。

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posted at 05:39:50

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年2月11日

これが、カントを現代科学の父と捉えることでみえなくなることだ。カントはロックの必然的仮説(物そのもの)を払拭させる「物自体」によって、蓋然的仮説という現代科学を可能にしたが、しかしそれは単に自然学を形而上学だと粉飾するものだった。そういう話がなされている。

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posted at 05:42:02

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年2月11日

実は、ハイデガー自身、カント論の挙げ句の果て、つまり総かり立て体制を論じるに際して、冒頭で、英語こそ語源学に頽落しない優れた哲学だ、と吐露しているのだが、こうしたカントの欺瞞、あるいは非論理性は、英語からしか見て取れない。そのように冨田は哲学している。

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posted at 05:43:35

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年2月11日

我々は哲学が何であったのかを、カントの明証必然性によって忘れさせられている。しかし、こうした語り得ぬことは、じつは語らないことではなく、ハイデガーがブレーメン講演冒頭で吐露するように、英語からしか語れないことだったのだ。

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posted at 05:48:38

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年2月11日

端的に、デカルトの第一哲学、実体の問題をスピノザに反して、イギリス人が一般観念として語ってしまうのを、カントが一般知性観念、原因にまで波及させて語っていることが、カント自体からは見えづらいということなのだが、こうした自然学を形而上学だと豪語してしまうこと。

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posted at 05:53:22

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年2月11日

第一哲学というのは、存在者と存在を問題連関させることで、答えを隠蔽するのだが、こうした第一哲学をデカルトが哲学の規定としてしまったこと。それに対して超越論は時間が規定なのだが、それはカントの非本来的形而上学というより、非論理性として明らかにできる、冨田本はそういう話になっていた。

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posted at 06:01:43

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年2月11日

面白いことにフランス人、たとえばデリダなら、デカルトの我の一般名性、つまり個別具体の図式性の欠如態として言い立てるのだが、ロックと比較されたカントは、単にデカルトの第一哲学によって、自然学を形而上学と錯誤した発狂だ。ハイデガーが哲学の規定は時間だと言うまではそうなのだ。

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posted at 06:17:32

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年2月11日

三角形のような一般観念のように、原因という純粋知性観念のアプリオリ性を扱ってしまうこと、この論理=時間の歪みが、カントにおいてどのように頽落したか。その鮮やかな軌跡を冨田恭彦カント本は描いているのだが、それがわかりやすいのは時間を論理として語れているためだろう。

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posted at 06:26:48

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年2月11日

っと、このようにアマゾンのレビューという体裁、紹介文という体裁から霧散してしまったので、ツイートになってしまった。冨田が図式論は英語哲学からこそ、問題性を暴露するというような話なのだが、話というだけでは紹介文にならないのだ。おそらく絶賛だけで批評的ではないからなのだが。

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posted at 06:30:03

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

17年2月11日

どの本のことですか?というDMをいただいた。この本のことだ。紹介文、つまり書評どころか、キュレーションにもなっていない。それほど強烈ということなのだが。twitter.com/sunamajiri/sta...

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posted at 06:40:06

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