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hhasegawa

@hhasegawa

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Favolog ホーム » @hhasegawa » 2012年08月08日
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2012年08月08日(水)

Yo @y0k1mura

12年8月8日

無論、語学/文化は人生の一側面でしかなくて、職業はもう一つの重要な側面だからそちらは手を抜かずにやるのだが。こちらの目標は単純で、金融の研究者にふさわしい知的素養の有無を判別するだけ。有りだったら博士課程へ、無しだったら再び会社員に。努力と資質で決まるので話は単純。がんばるのみ。

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posted at 05:43:11

Yo @y0k1mura

12年8月8日

自分の中の教養として18-19世紀の仏における哲学・文学・歴史というのはぽっかり抜けている。何というか、あまりに大作家が多すぎて、入ったら最後、総体を把握することなしに出てくることが不可能そう、というような印象がある。しかし、ここから現代フランスに道が続いているのだ。

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posted at 05:29:53

Yo @y0k1mura

12年8月8日

わかりやすく言えば、ライプニッツの『モナドロジー』の仏語と、ルソーの『孤独な散歩者の夢想』の仏語は別物なのである。ルソーはラテン語では書けないことを仏語で書いている。 多分この辺りから現代に至るまで仏語の文学空間は歴史的一貫性を持って続いている。

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posted at 05:26:58

Yo @y0k1mura

12年8月8日

別にそういう風に人生送ってきたつもりもないが、あえて言うなら「仏語の奥義を習得したい」というような願望があることに、最近ようやく意識的になってきた。 哲学でも形而上学ならば、ある程度語学の壁は緩くなる。しかし、ルソーとかディドロとかは形而上学ではない…時に文学なのだ…

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posted at 05:22:44

Yo @y0k1mura

12年8月8日

明白なのは、21世紀の今日、仏語にわざわざ人生のリソースを注ぐ理由は、仏に住み続けるというくらいしかないこと。日本でフランスの専門家として生きる道は、卒業した学部の大学院に行かなかった時点で絶たれているし、金融なら英語と日本語で十分だ。むしろ中国語でもやった方がいい。

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posted at 05:00:18

Yo @y0k1mura

12年8月8日

「焼き直し」の作業はキリがない。多分半年くらいいれば、それなりのレベルには達するはず。しかし問題なのはおそらくその後で、「学生生活を送れる語学力」と「ネイティブ並みの語学力」との間にある、訳の分からない厚い雲と格闘するのに人生のどれだけのリソースを費やすかという話になると予測。

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posted at 04:57:32

Yo @y0k1mura

12年8月8日

初の海外暮らしだから比較はできないのだが、大学で哲学書を読むために学んだ仏語を生活の中で学び直すことは、非常に興味深い体験。中学生くらいからの学校教育で得た語彙を全て仏語に焼き直していくような作業を延々と続けていく感じ。この「焼き直し」という感覚は極めて新鮮。

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posted at 04:53:33

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