大本薫 Kaoru Ohmoto
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- Web http://www.sunamajiri.com/
- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2014年10月09日(木)
サイデンステッカーとかドナルド・キーンとか、コロンビア大は基地外が多いよ。キーンの教え子なんか、日本はインドの仏教徒より本覚で悟ってるtwitter.com/sunamajiri/sta... とか持ち上げてるし、英米のアーリアコンプレックスなのかね、気色悪いよあの学校。@bezokuGon
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posted at 21:21:19
日本人の英語好きはむしろ発音コンプレックスだよね。西欧で英米なんて分析哲学しかできない芋言語twitter.com/sunamajiri/sta... なのだが、日本人にはドイツ語の音声が芋臭く感じるんだろうね。@bezokuGon 日本人の最高の英語は、やっぱ、岡倉天心だ!
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posted at 20:54:36
2014年10月07日(火)
2014年10月02日(木)
2014年09月30日(火)
twitter.com/shinjike/statu... そうそう、だから英米では有も「無に帰すのよ」。和訳されたら無ばかり強調されそう。分析でも何でも無く単なる誇張でしょ。あほみたいね。(^-^)/
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posted at 18:01:26
140字で抜粋が困難でBOT続けるかは未定だけど、高田氏、他の訳業はみてないなと思っていたら、フロイト全集の他でもないシュレーバー症例の部分の翻訳者だそうで、こりゃまた奇遇ねって。@minami_aoyama @takadadegger
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posted at 17:05:25
じつは、高田氏、ある意味こなれてない。一番気になるのは「存在と存在論」というところを「存在相上と存在論」と、アスペクトで訳し分けるのだが、かえってそれで日本語だと分節化するようで。@minami_aoyama 髙田訳の「アリストテレスの現象学的解釈」は @takadadegger
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posted at 16:01:32
「高田珠樹氏の画期的な『存在と時間』新訳から抜粋。17世紀に片付いた無限の問題を、時間として矛盾なく有限に存在化させたハイデガー。しかし従来の日本語定訳では、仏教的な無我の認識が主題化し難読化した。高田新訳では、仏教的先入観を排し日本語で問題点を理解できる。」
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posted at 11:56:12
2014年09月27日(土)
前にツイートしたように、ITはテクネーのような自然発生というより、当時日本に経済敗戦していたアメリカが、どうすれば日本人を破壊できるか、という思考の中からスピンオフしたものに過ぎないが、そこで脆弱性がじつは仏教なのだろう。彼が匿名でも存在を抹消するのは、そういう理由だ。
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posted at 20:06:43
彼の場合、ハイデガーが読めず、西田からカントが梵我一如の空のように見え、英米人の因果論を仏教の縁起と勘違いして、存在ができなくなるというあらまし。だからハイデガーを読めなくする、これtwitter.com/Oygnino/status... を問題視しているのだ。
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posted at 19:37:15
非公開
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posted at xx:xx:xx
2014年09月25日(木)
いやいや、無と言うと因果で捉えるしかないが、有を要請する近代西欧だけが無限遡行しないですむというだけで、そんなはみ出す話ではないですよ。@LitoSnowfield 無限遡行で輪廻転生なグ〜ルグルで言葉の深層なのかぁ〜のように見てゆくと随分と呪術的にすら
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posted at 05:33:06
そんな大変な代物ではなく、くだらないのだが、無に帰すまで縁起を無限遡行して、その営みのナルシズムで安心したいだけなんでしょう。近代人というのは、そういうことをしないで済む人たちのことだから、彼らが近代人になれない、というのは単純なことのはずなのです。@LitoSnowfield
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posted at 05:27:21
その「だからこそ」が彼らの言う因果なのですよ。つまり、無限遡行などしないで済むから近代人は安らかなのに、彼らは無限遡行して安らかになろうとしているだけで、複雑な問題であるはずがない。それを弁えることができないことを、悟ってないと彼らは大仰にいうだけで。@LitoSnowfield
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posted at 05:20:22
ありえないというテーゼの立て方に拘泥するから、自分は安らかになっても、関係性が縁起とか因果に無限遡行して、疑心暗鬼の塊になるんでしょうね。@LitoSnowfield 先ず以って“全知はありえない”とする初っ端から
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posted at 05:05:57
(続き)当然、彼ら従来的な訳し手が悪戦苦闘するのは、創造主なんて全智はありえないが、近代的自我も同程度に理解不能なので、仏教の縁起でいいや、という先入観だろうけどね。@LitoSnowfield
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posted at 02:53:48
物語なら全智から語るんだが、こういう非物語の訳業で、訳しながら理解しようと悪戦苦闘していた従来訳に対して、分かった上で訳文を生成するほどの違いがあるね。(続く) @LitoSnowfield
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posted at 02:53:12
というより、ハイデガーは冒頭で、物語風に語ることで仮象化されるそれを嫌って、あえて「醜く」語ると、断ってるほどだからね。オイディプスコンプレックスのこと、と形而上学入門では強調されるが。@LitoSnowfield pic.twitter.com/Zyo9iTi384
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posted at 01:08:32
彼らがどうしても空や縁起と捉えたがるのも、天地創造主という胡散臭いものを締め出したい願望だからね。それでハイデガーの文意をすべて正反対に訳出してるのかもしれない。しかし、それでなくなるのはコギト以降の近代的自我だね。それで彼らは縁起としか言わなくなる。@LitoSnowfield
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posted at 00:50:46
悪循環ね。それで分からなくなって因果に舞い戻ったりするんでしょ? しかしあれはどうみても従来の訳者の仏教的な先入観で、ハイデガー自体の問題ではないはずよ。@LitoSnowfield あの仏教読み?とでも呼んだら良いのか分かりませんが、高田訳以外の共通点として何らかのモヤモヤし
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posted at 00:42:00
何を形式的に遂行しているのか、告知されても分からない手合だからね。まあ空とか縁起とか、そういう先入観で読むんだろうね。そっちじゃないといけない、という偏見で全部誤訳してるんじゃないかな。日本語ではそれほどの損失があるということだ。だめになるわけだ。@LitoSnowfield
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posted at 00:36:03
字面、単語面で直訳しようとしてるけど、所詮わかってないから、文意が正反対になってしまう。二番目は新版岩波文庫の熊野。埴谷論で虚体カント論もあるよww @LitoSnowfield 対比読み比べすると高田訳の明確端的さが際立ちますね〜(笑) 二つ目の訳を読み出して大笑いでした
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posted at 00:28:25
下訳レベルとしても品質の悪すぎる従来の定訳4人と比べてみ。あほみたいだから。最初が高田新訳、二番目は熊野新訳だが、熊野もどっちに捉えて良いのか分からず、否定しちゃった。わかんないということだろうな。 www.evernote.com/shard/s157/sh/... @LitoSnowfield
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posted at 00:18:20
2014年09月24日(水)
それこそ空twitter.com/sunamajiri/sta... だろうな。般若心経のように個人は楽になれるのだろうが、縁起や因果があるという信仰だけで、消費税のようなものまで信仰対象twitter.com/kiba_r/status/... になったんだろうなー。(^-^)/
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posted at 23:29:45
実際、今日本にあるのは柄谷を読まない迂回twitter.com/sunamajiri/sta... ぐらいだろう。私から見ると無我に対決した柄谷行人を迂回するとは、無我しか言語の論理性を認めない日本の古典的な呪縛への回帰にしか見えない。それほど迂回したくなるものなのだ。
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posted at 17:17:03
小説では近代的自我がリアルになるのに、評論では無我のように難読化するだけ、という日本の国語の呪縛は、なぜ無我への執着だけが論理的とされるのか、ということに尽きるが、『批評空間』twitter.com/cgsa794/status... つまり柄谷行人がそれとどう向き合ったか要再検証だろうね。
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posted at 17:14:05
まあ、そうだろうね。日本で国語というと、古典に対する近代的自我だが、そうした現実性を習得させる小説を補う評論が、無我の可能性ばかりを論じて紛糾する。戦後直後は小林秀雄ぐらいが禅僧のようなインテリを達観できていたのかもしれない。twitter.com/cgsa794/status...
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posted at 17:05:32
この点で、おそらく高田新訳は、日本のハイデガー翻訳の中では異端的な部類になるのかもしれないが、日本語としては一番しっくりくる。従来定訳とされていた邦訳が、すべてこの程度のことも訳出できていないというのは、おどろくべきことである。
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posted at 08:09:44
ここで出てくる「基礎的存在論」とは端的に、ハイデガー『カントと形而上学の問題』冒頭で断られる、有限な人間存在に関するもので、無限に対する存在論ではない。しかし、高田氏以外は、存在論も解釈学も基礎的存在論、つまり現存在を「主題とする」と、誤訳していることになる。
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posted at 08:09:11
存在と時間の高田新訳が画期的な点を、熊野新訳・桑木・辻村・細谷と比較。「現存在からは存在は解釈されるしかない」という命題に対して、高田訳だけが現存在の基礎存在論が主題ではない、と文意を汲んでいる。bit.ly/1uF70jn
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posted at 08:04:09