大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2012年10月12日(金)
うん、子供たちにもねー、話が通じてなくてそれで普通よって教えてるんだけどねー(^-^)/ @LitoSnowfield まぁ…ファンとしてもオジサンオバサンとお話が通じて欲しくない…というのもあります
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posted at 05:21:51
そうそう、話が通じるものって思い込みすごいよねー。私と話が通じる人いるのかしら、いまだかつて会ったことがないよー(^-^)/ @LitoSnowfield 幼い時期のどこかで「話が通じない」という経験をするものなのですがね〜
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posted at 05:37:56
小論で生命倫理は、自己決定、臓器移植とか、すでに実務化しているトピックとして出題されてしまい、結局、生命倫理の問いとなっていないために、安楽死とか未解決な問題については、思考停止を強いられるのよね。それでは生命倫理ではない、というところまで論じさせないとだめなんだろうけど。
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posted at 10:23:58
2012年10月13日(土)
理論とノウハウ(方法)は別だからねー。理論は証明のためで、ジャズ理論が分厚くなるのもプレイできるようになるためではなく、理論の真価を証明するために煩雑になるだけだし。@prism314159 音楽理論に限らず学校で教えるものは総じて、そう感じます@tetsuya_tatsumi
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posted at 22:29:34
今日の授業の忘備録) センター評論が対比で明示された理由を解くためにあるとすれば、小説が出題されるのは、明示されない理由の推理力をチェックする意図があるから。作中人物にとっての理由は当人にしかわからないし、当人もその時点で無自覚かもしれない。
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posted at 22:41:25
さっきの隣の普通はベンチャーの社長、週末だけ塾の先生の人が、昔の駿台の現国の先生は、記号化しておしえてくれたといっていたのだが、今日は東大受験生に駿台パズル方式だと、パズルが一個ちがっただけで不正解だから、命題から捉えてねと教えてた。(^-^)/
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posted at 23:16:35
たしかに、文中の切片をジグソーパズルすると、要約文が出来る場合があるが、部分だけでは要約にならないから、要約の作り方としては邪道。一個でもパズルを間違えると不正解になるから、ある意味一番リスキー(^-^)/
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posted at 23:17:41
t.co/o2Fad6CJ は、風景は概念としては自然だが、身体で感じられる河川は創造対象だ、という一文で収まる現象学。現象学とは、隔絶されていた対象が、自分の意のままの現象になること。問5はこの一点だけで、二つの要点に分解されるというのは、じつは誤りですらある。
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posted at 23:22:16
東大の求める国語力とは、煩雑でわかりづらい記述だが、一つの命題のある文章から、端的に言い換える説明力。官僚になるような人というのは、そういう端的な国語力がある。官僚を馬鹿にする人がいるが、そんなことはない。もっとも国語力があるのが官僚。それを侮るから国民の代表は仕事にならない。
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posted at 23:26:32
ではなぜ課題文は端的ではないのか。それは筆者が推敲を重ね、ある命題に対する思想を述べる試行錯誤をしているから。したがって、それを端的な説明に言い換えられる、官僚的な国語力の持ち主を、東大は選抜したいだけなので、やることはジグソーパズルではなく、命題と向き合うことだけ。とても単純。
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posted at 23:29:31
端的でない抜粋文から、端的な要約的説明という東大の国語力は、ジグソーパズルでは、正反対の誤答となりかねない。名目(たとえば名詞句など)は述定されなければ、概念ですらない。それより端的な命題から遡及する。端的な説明力とはそれ以外にない。それが出来ない人は来てもらいたくないだけ。
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posted at 23:47:16
2012年10月14日(日)
したがって、t.co/Jse6ppSO も、予備校解答例にあるような、河川の豊かさの説明ではなく、概念としての風景は自然だが、身体にとって河川は建築的創造力を掻き立てる、という主張まで端的に取り出さないと、実は合格ラインではない。豊かさという形容の問題ではない。
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posted at 00:11:05
さっきの理系の先生は、駿台の記号法といっていたが、端的ではない。記号化できるのは対比と相同の関係だけ。所詮理系の人は、非端的な文の読解力がないから理系になるようで、端的に何があるか、という「あるなし」を認識できていない。
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posted at 00:31:49
端的にあることというのは、科学的対象といっても、自分からは隔絶されている。だからそのために考え方を(コペルニクス的)転回すれば、隔絶されていた対象を、自分の意のままに扱えるようになる。そういう科学の方法論が小説でも評論でも記述されているだけ。それを端的に言えばよい。
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posted at 00:32:20
どんどん一年生が入ってきていて、今日も学習法で、実数や様々な値を道具とする数学とは対照的に、国語は「あるなし」「同じ違う」というOか1かしか問われない、ということを簡単な例文で分からせたのだが、文の語句を記号化してパズルにすれば正解というのでは、性能の悪い機械翻訳みたいになる。
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posted at 00:35:37
入塾生はたいてい私のところに最初の授業に来る。そこで国語のテストは2パターンしか作れない、ということを5分で分からせる。一つは理由のテスト(男女を対比したら同じとあるがその理由を選べ)、他方は言明のテスト(人という点で男女を対比したら同じか違うかを選べ)。
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posted at 00:41:17
この理由→対比→言明を分からせた後に、近代や人間や主体という命題を問う簡単な例文をその場でつくり、口頭で文中の理由と対比と言明を言い当てさせる。国語はこの応用があるだけ。だから15分ぐらいで、国語の勉強終わりになる。あとは遊んでてよい。
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posted at 00:43:46
さらに時間があると、抜粋文を構文で要約させる。Bは「____」だが、「____」という点で、Aは「____」だ。これを繰り返させる。さらに時間があるとそれを単文化させる。そうすれば難なく読解力と記述力が身につく。ふつう誰でも出来る。東大の端的な説明力もこれと大差ない。
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posted at 00:47:58
さらに時間がある子には、評論と小説の違いを分からせる。評論では対比が明示されているので理由も書かれている。小説は作中人物しか理由がわからないか、その当人も自覚が無いので、理由が書かれていない。だから評論と小説は対になる。
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posted at 00:57:06
ちなみに、これt.co/CClRm6yC は、女の子が可愛いと思ったら、女の子になっちゃえばいい。たいてい女の子とはそういうものだ、なんて説明する(^-^)/
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posted at 00:58:11
2012年10月15日(月)
攝津氏の意見は実情に見合っていない。はじめに社員の既得権ありき、という社会主義的な状況で、どんどん弱者が生み出されているという左翼本来の視点に立つことができないのだろうか? レイオフは新自由主義というが、とんでもないそれをしないのが新自由主義的格差社会に直結してるんじゃないの?
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posted at 08:24:15
日本はレイオフじゃなく、リストラだが、そのどこが新自由主義なんだ? 最も強い既得権を有している正社員こそが新自由主義的なのであり、彼らの排除こそが、左翼運動なんではないか? 私にはそうとしか見えないのだが。ここはアメリカではなく社会主義国なのだよ。あほじゃないのか。(^-^)/
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posted at 08:39:24
読解初歩でも、社会主義批判を最初にやっちゃうよ。人間を主体と捉え、生産を国有化して、計画経済をやっても、冷戦が崩壊したように、人は神ではなく私服を肥やすから、計画したとおりのものが生産されず、物不足になっちゃうのよーって。主体性は過度に持ってはいけない、と教える。(^-^)/
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posted at 09:29:21
神ではなく人が主体という想定では、人の計画の通り物が生産されず、徒労になるのよ、つまり人は物を産めない、って教えるのだけれど、これがあながち、読解のミッシングリングになっていることが多い。冷戦構造があったときは、読解枠があったんだけどねー(^-^)/
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posted at 09:32:46
2012年10月17日(水)
t.co/d0oe6Etp は、内面への信仰がプライバシーという責任を個人に課したが、情報化によって個人はその責任から解放された、とかそういう簡単な話よー。プライバシーなんてもの、もうどこにもないしねー。(^-^)/ @LitoSnowfield
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posted at 04:40:27
2012年10月18日(木)
昨日はliteさんへのフルートレッスンで身体化してないで死んでいるliteさんに、ハイデガーの死t.co/MCgkmD4n よりメルロの生t.co/DougJfyJ というと死に瀕する美術とは対照的に音楽は生きればよい、といったら私が疲れて死んだ。
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posted at 16:15:05
よく美術より音楽の方が精神衛生上よいというのも、音楽は概念化しないで身体化してしまうからなのだが、しかし身体化させるためには、音楽の練習をしてはいけないというレッスンをした。たとえばクラシックだとロングトーンも概念的に音楽として練習するが、食材は料理ではないと。
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posted at 16:17:46
たとえば美術の人がメルロの生といって生きれないのも、概念と捉えてるからだが、そういうものが音楽にはないのだ。美術と違って音楽にイメージはない。音楽は結果的にイメージにみえても、その行為自体に概念があるわけではない。だからひたすら機械化すればよい。そういう練習法を前半レッスンした。
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posted at 16:27:35
人はものを産まないt.co/MNCJzsDT のだが、美術と違って音楽は物を産んでいない。物を産まないから人になれるのが音楽だよ、というレッスン法が、しかしクラシックの練習メソッドでは未分化なので、積極的に練習を分節化してしまえばよい。(^-^)/
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posted at 16:40:35