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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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  • 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
並び順 : 新→古 | 古→新

2014年04月12日(土)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月12日

「ハイデガーの和訳文のお勉強メモ」をトゥギャりました。 togetter.com/li/654023

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posted at 01:58:19

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月12日

(予め)知っていなければ(新たに)知ろうとすることもできない、というのは彼らの古代の哲学だけど、それによって、知らないことにされている文化圏というのは、いかにも脆弱なのだ。私達はそこに囚われていないので、予め知っているということを日々確認するだけだ。@TKDOMO

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posted at 04:22:36

2014年04月13日(日)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月13日

イアン・ハッキングの日本語版への序文も89年と牧歌的だが、デカルトの懐疑のように、言語が私秘的な観念の17世紀から、言語が公共的な意味になった時点を問い、「人工知能論者」は言語を17世紀の観念論で捉えている、という論考になっている。bit.ly/1iF6o60

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posted at 03:46:53

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月13日

17世紀の言語=観念というコギトの問題からの言語論的転回は、英米の言語哲学からみても、どうしてもドイツロマンはである必然性があるが、カントではだめで、ヘーゲルにそれを求めるヘルダー、というチョムスキーの言語学史観を紹介しているようだ。bit.ly/1iF6o60

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posted at 03:56:53

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月13日

17世紀の言語=観念というコギトの問題からの言語論的転回は、英米の言語哲学からみても、どうしてもドイツロマン派である必然性があるが、カントではだめで、ヘーゲルにそれを求めるヘルダー、というチョムスキーの言語学史観を紹介しているようだ。bit.ly/1iF6o60

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posted at 03:59:04

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月13日

つまり、コギトでは言語が観念のままで、意味にならない。言語が意味に転回するとは、共同体のことだ、というのがこの転回の命題なわけだが、イアン・ハッキングは70年台初頭のイギリスでの言語哲学離れ・ドイツ哲学への傾倒、70年台後半の人工知能論者の17世紀への逆行を論じている。

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posted at 04:33:13

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月13日

続)もちろんイアン・ハッキングに依らずとも、言語論的転回とは、言語が後天的な自分にだけ通用する観念であること(それゆえ他人の言語=観念への懐疑論と成ること)から、先天的に言語に意味があると見做すことへの変化のことで、共同体が非切断的・継続的にあると見做すことだ。

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posted at 06:40:30

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月13日

続)ところで、ハイデガーは延長と志向性を批判して、延長的な客体つまり超越を非延長的な存在者と呼び、空間的な志向を、内-世界で「隔たることで、隔たりがないこと」である現存在と呼んだりするようだが、そもそも延長~志向は、17世紀に言語が観念のままであることから派生したに過ぎない。

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posted at 06:50:35

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月13日

続)言語が観念であることから共同的先天的な意味であることへの転回は、イアン・ハッキングのいうとおり、ドイツロマン派によるのだとして、ヘルダーリンを論じる前のハイデガーが、非延長・非志向、つまり現存在が世界と合一であることを観念化し、ヘルダーリンで転回するという点が興味深い。

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posted at 07:02:16

Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

14年4月13日

「ものごと」が「もの」と「こと」とに分離して日本語の「ことば」が誕生する以前の日本には、心的なことと外的なこととは一致する、という易経の影響があったのではないか?そして不思議なことに、これは仏教の「無差別智」という同時発生の考え方とも共鳴している。

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posted at 21:00:57

Shinya Watanabe 渡辺真也 @curatorshinya

14年4月13日

そして仏教における平等性智の考え方は、ヴィトゲンシュタインの言うプライベートランゲージは存在し得ないということと同じことを言っている様に思える。

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posted at 21:01:52

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月13日

デカルトのように言葉が観念であることで生み出される深淵や超越によって孤絶した心、事物を延長の数学と凍りつく日本人のようのようなものを乗り越える力が、どうやらルター語では詩作にあるという問題は普遍的なようですね。@Shin_Kishida 言葉に心を奪われるという状態は転回した状態

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posted at 21:04:20

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月13日

ハイデガーによると、デカルトがコギト(言語を観念とすること=プライベートランゲージ)で覆ったのは、そういった自然のことだそうですからね。@Shin_Kishida ギリシャにワープ(移動)して祭り(祭典)に参加したり、神の宿る自然に触れるような感覚です。

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posted at 21:22:40

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月13日

それは解説者が近視眼的なだけで、むしろより一般的には転回が知見です。プライベートランゲージ(コギトとなる言語の観念化)こそ存在しない、日本でもむしろ当たり前twitter.com/curatorshinya/... です。@Shin_Kishida 小説など読んでられない気持ち

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posted at 21:31:51

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月13日

渡辺さんが倭語の「ものごと」の分節twitter.com/curatorshinya/... を話してましたが、きのう紹介したイアン・ハッキングの英米言語哲学の反省twitter.com/sunamajiri/sta... も、プライベートランゲージ=コギトの不在のことです。@Shin_Kishida

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posted at 21:33:06

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月13日

全然学習してないですよ。当たり前というだけです。言語を観念と捉えたら、他人の心は分からなくなる。だから観念=論が要請される。しかし、言語は意味=共同体に転回しているのだから、観念論が不要というだけです。その乗り越えが詩ですよ。@Shin_Kishida よく学習されていますね

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posted at 21:44:18

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月13日

受験生に「神」は観念ではないから、とハイデガーtwitter.com/sunamajiri/sta... のように教えると、中には「じゃあ神って何ですか?天皇ですか?」と躓く子がいるんです。各自の観念で文が読めなくなる、というのはそういうことです。@Shin_Kishida

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posted at 22:09:26

2014年04月14日(月)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月14日

感覚を欺く神をデカルトが追い払っても、その視野の有限さが無限の観念を要請するからね。柄谷のあの書き方は、ハイデガーもそうだが、詩作とは程遠い、詩作への引け目のような語り方よね。@TKDOMO おお、観念からの転回のための詩だったか!いま気がついたw

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posted at 00:07:09

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月14日

詩は音楽のように、音楽の出来ない人にも聴こえるからね。音楽がそこはかとなく聴こえてるだけで音楽のできない人が、評論を詩のようにさせたがるように聴こえるのだが、ハイデガーにしろ柄谷にしろ、吉本のように詩は書けないんだろうね。あれは観念なのかね? @TKDOMO

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posted at 00:22:49

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月14日

ハイイメージ論2か。神が人間に自然を組み込むのは労働でなく遊びだろ、というマルクス批判だったっけ。吉本の遊びは世代タイミング的に柄谷は真似できないよね。それでデリダがハイデガーのズッコケのように、柄谷もずっこける。bit.ly/1kob7x4 @TKDOMO

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posted at 20:45:47

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月14日

手許にハイイメージ論がないのだが、デカルトのように本読むの嫌い宣言で、あれ俺ってすごいこと言っちゃった?ってのがコギトとして、ライプニッツが神の必然性に戻すと、自然が人間に組み込まれ、マルクスは労働が自然を人間に組み込む。でも吉本さんは遊びじゃないの?という。@TKDOMO

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posted at 20:49:04

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月14日

それで、スコラみたいに本読んだり、本読むことでもある労働したって自然が人間に組み込まれるわけがない。そんなもん延長だろ?となって、遊びだ遊び、言語も音楽だ、音楽はアフリカだ、となるのにはジョン・ケージというよりジャズを感じたw(^-^)/ @TKDOMO

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posted at 20:55:25

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月14日

お腹が空いてきたのだが、じつは労働より遊びだ、遊びは言葉遊びより音楽だ、音楽はアフリカだとなるのだが、そんなこといってると今度はお腹が空いてくる、という円環運動があってね。まあそれ自体労働というより遊びみたいなものだが。だいたいライプニッツがデカルトを狭義に解釈するからいけない。

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posted at 20:58:26

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月14日

この労働から遊びへの転回というのを失ったら日本も終わりだな。超越論的転回、言語論的転回、解釈学的転回の次はコミュニケーション論的転回だ、なんてアホなこと言ってる人がいるんだが、ちゃうねん、労働の遊びへの転回でいいねん、とかいうのが日本の吉本だからな。吉本興業じゃない方(^-^)/

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posted at 21:13:49

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月14日

遊びに転回できない真面目な労働は迷惑極まりないからね。それなのに、今の人達は、自分が頑張らないのが行けないと萎縮する。吉本の批判はそれよね。@TKDOMO 13歳は2度あるか?で「一生懸命働くな」「それは他人にも迷惑」みたいなことを言ってるのが勇気づけてくれますw 吉本隆明爺

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posted at 23:54:07

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月14日

マルクスが労働を発見できたのも、デカルトがスコラ本が大嫌いで、それをコギトといったのに、ライプニッツが神の必然性に戻し、そういう神でヘーゲルが自然を人間に「取り込む」仕方を、マルクスが労働といったのだろうが、そんなものは遊びにすぎないと。そんなとこかな?(^-^)/@TKDOMO

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posted at 23:56:32

2014年04月15日(火)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月15日

フーコーってハイデガー誤読してるよね、中国の漢字も捉え損なったらしいが。(^-^)/ @TKDOMO (延長を)「取り込む」こと全般に対して遊びを対置したとこが稀有な思想かも。晩年?はフーコーとも照応させて「自己への配慮」ってハイデガーの「世界への配慮」とペアなんだろね…。

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posted at 00:38:57

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月15日

ハイデガーが、デカルトのコギトを論じていて、実存カテゴリーを分節するわけだけど、それでは別のカテゴリーを探せばいいと中国の漢字研究したりする。斜に構えすぎなわけだが、それで系譜学になるのかね? コギトというのは本を読まないことなのにね。@TKDOMO 「言葉と物」を失敗だったと~

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posted at 00:56:46

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月15日

ハイデガーの実存カテゴリーは必然的だからね。たとえば「地図上では遠いが近く感じる」という言い方が出来ない。「距離感」では認識であり、地図を測量する数学と同じコギトの延長になってしまう。それではスコラを読まないことであるコギトが、実体の両義性を隠蔽してしまう、とかね。@TKDOMO

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posted at 01:12:56

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月15日

ハイデガーの「存在と時間」の挫折というのは、そういう本来的な言い方をしようとすると、できなくなる、ということに尽きるのだ。実存カテゴリーを分節して、延長カテゴリーの言い方をしないように、言語実験しているようなものだが、できるわけがない。しかしそのようにカテゴリーというのは必然的。

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posted at 01:27:09

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月15日

吉本爺の批判が鋭いのは、マルクスだって神の必然から、延長である自然を人間に「取り込む」「労働」といい、「遊び」をブルジョアのように排除しただけなのに、必然の神ではない職能の神の国である日本では、ブラック企業を助長するほど奴隷労働してしまうという。@TKDOMO

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posted at 08:39:43

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月15日

遊びはブルジョアだ、なんていうステレオタイプ、マルクスにはないんだろうね。それどころか、唯物論すらない。自然を人間に取り込ませるのが神の必然なのだから。その辺り、吉本の見抜き方は、柄谷とは切れ味が違うんだろうね。 @TKDOMO

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posted at 08:53:01

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月15日

ルカーチは、スターリニズム礼賛と言われる前は、シェイクスピアよりセルヴァンテスの小説言語の方が風刺としてリアルだ、といったリアリズム文学やってたそうね。封建制批判らしいが。日本の近代小説が、むしろ武士道の告白文学になるのとは対照的だが。@tubupoko @TKDOMO

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posted at 19:28:13

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月15日

その点で、小説批評が原点になる日本の評論が、階級制の生得性が現代日本にはない、とルカーチを批判するのは、これだけブラック化した日本からは、当然リアルじゃないね。合田氏が吉本のルカーチ批判に触れていたが。bit.ly/1kWpADr @tubupoko

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posted at 19:29:50

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月15日

ドイツファシズム礼賛としてのハイデガー、スターリニズム礼賛としてのルカーチというのは、確かに日本では未解決なのかもしれないが、とんびさんおっしゃりたいように、それは存在論、ないしは神学の問題だから、避けられないね。しかしリアリズムのロマン主義批判に見える。@tubupoko

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posted at 19:30:35

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月15日

私も英米なので、ドイツロマン主義とか、ハイネをめぐるエンゲルスやルカーチの批評を知らないのだが、ルカーチがドン・キホーテの小説からシェイクスピアを批判したというのは示唆される。シェイクスピアより小説だが、小説よりハイネという。現代の英米の台頭の矛盾を痛感する。@tubupoko

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posted at 19:44:51

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月15日

結局、突き付けるべきは英米語的なものによる、こうした問題の隠蔽だろう。騎士道をみっともないドンキホーテにする小説が、日本では行き場のない武士道の告白になり、それを原点とする日本の批評が英米に呑み込まれると、アプリオリなものが全て隠蔽される、ということだろう。 @tubupoko

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posted at 20:35:05

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月15日

単に書誌学文献学ではなく、先行する言説の思想を汲み尽くて、その上で未知のものを取り出せるかだよ。つまり知性があるかどうかだよ。@cubapon 人文科学とか精神科学の研究って、いったい何を持って研究価値とするの?未知の物を対象にして現物だせばOK

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posted at 21:09:14

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月15日

その話が有効なのは、その話をすると頭のいい子と悪い子を選別できるからなのだ。だから日本の国語は現象学しかしたがらないようになってしまった。(^-^)/ @Oygnino 現象学的何とかについて延々喋りたい気分だワ!

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posted at 21:27:17

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月15日

現象学も、フッサールのコギト解釈を批判する『存在と時間』の和訳文なんて、まるで頭の悪い人の書く日本語にみえるからな。ほんとに出来の悪い読み手が読むと発狂するかも。twitter.com/sunamajiri/sta... @Oygnino 進学組の子らに早速ツけてみましょう

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posted at 21:44:42

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月15日

そうでもないよ。いわば慎重なだけだよ。世界が身近に感じるなんて現代の常識だが、それはデカルトの延長に脚が生えて近づいてきたのではなく、現存在が能動的に配慮している、というのが本来の言い方だとかね。bit.ly/RlDbHv @Oygnino

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posted at 22:06:25

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

14年4月15日

なんで慎重なのかは当然、空間が数学的に「予め」ある、なんて捉え方になるコギト(やフッサールの超越論)があるのではない、「その都度」「さしあたり」の時間性となる現存在が、世界に出会う(世界を身近にする)のだ、ということだからね。@Oygnino

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posted at 22:35:32

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