大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2014年04月05日(土)
どうでもよくなるという点では、知識人ではなく自由人だと、固有の用語法がどうでもよくなるのであった。ある哲学者の転回前と後で、用語の体系が転回していたとしても、そんなものどうでもよくなる、というのが自由人なのであった(^-^)/
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posted at 18:54:55
さらに、特筆できるのは、日本の大学受験という通過儀礼や関門では、国語がこの用語法がどうあれ、書かれていることが分かるか?という判読テストをするのだが、これは「知識人」には解けないのではないか、と思えるほどなのだ。ww (^-^)/
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posted at 18:56:24
その意味で、手前味噌だが、ハイデガーになると和訳文が、訳者によって定義対象とする用語はもとより、定義に至る論述が比喩的に扱う用語法が大混乱している(訳者によって直訳がまちまちになる)という現象は、冷笑を込めておもろいのであった。おそらく「知識人」だとああなるのであろう。
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posted at 19:00:01
まあ、単に外国語に翻訳しやすい村上春樹と、外国語に翻訳できない語呂合わせの文体の違いみたいなところがあるのであるが、ここでは用語法がどうでもよくなる境地があるのであった。もっぱら重要なのは、それが認識論なのか存在論なのか、といった立論部分なのだが、それも終いにはどうでもよくなる。
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posted at 19:02:22
2014年04月06日(日)
これは正しいのだが、そこが #現代文 の要点であるはずがない。予備校が教えたがる応答のパターンがあるのではなく、問い(命題)にパターンがあるということが分からなければ、出題者の出題意図である満点になど到底達さない。twitter.com/bot_yoshiki_n/...
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posted at 01:57:44
そこで論理性などというと、煙に巻いてることにしかならない。本文通りだけでは論理的でない、などという指導があるのだとすれば、それは本文通りではないというだけだ。出題文は問うているのであり、応答に論理性があるのではない。この錯誤で日本人はすぐ論理的と言いたがる。そこが大きな間違いだ。
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posted at 02:02:09
「論理的に応答しなさい」という国語教師は怪しいのだ。現象学を通過した文が頻出するのも、現象学では問うことだけが論理的だからだ。ハイデガーなど問うことしか出来ない。その問いに、論理的なアンサーがある、などというのは非論理的な指導なのだ。@LitoSnowfield そうそう
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posted at 02:13:11
まあ、予め要請しておかなければならない神とか物自体というのは、因果律で一々考えるから意志がどうのと成るらしいけど、最近ハイデガーをめぐる斎藤元紀の博論読んでいたら、どんどん意志がどうでも良くなってきたのであった。(^-^)/ pic.twitter.com/wgxbFjNMZc
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posted at 05:52:08
非公開
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それにしても、ネット陰口に動じて街歩けるか、という話題もそうなのだが、みんな他者承認が主体を形成する、というドグマtwitter.com/sunamajiri/sta... の虜なんでない? だから仕方なく、何が分からないと、そこから解脱できなくなるのかを探求しているわけだが。
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posted at 21:28:36
2014年04月07日(月)
そんな西欧に引け目を感じて音楽まで無調性音楽を権威化するようなのは、キリスト教文化圏の神も物自体もイデアも要請されてないのに、それに由来する自由意志とか他者承認なんて考えこむから、勝手に引け目感じて音楽まで無調性が権威化しただけの話だから、下らんよ。@LitoSnowfield
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posted at 03:28:59
そのおどろおどろしさ、怨念、それこそルサンチマンの肥大化だな。ハイデガーは、意志をニーチェの死の自由によるキリストのルサンチマンから、寄与における単純な改心文学に転回させてしまうが、日本ではハイデガーからルサンチマンが伝搬してそうだww(^-^)/ @LitoSnowfield
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posted at 03:57:11
それほど、日本におけるハイデガーの受容は大問題だ。今、熊野新訳を、他の訳文と対照して、日本語生成を評価しているが、どれも下訳レベルの日本語だ。それは原文が汚いからだが、訳出の混乱が、その後の日本語の文章にどれだけ悪影響を与えているかは想像に難くない。@LitoSnowfield
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posted at 04:35:31
ハイデガーは問うという一貫性で、存在忘却ということを言い募っているだけなのだが、それだけにぎりぎりの言い方になる。それを和訳すると病的な文になるのだが、そもそも存在忘却ということが「できない」私達にとって得られるものは限られている。@LitoSnowfield ど忘れしてしまい
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posted at 05:44:38
2014年04月08日(火)
続)そんなの宗教じゃなければ当たり前、とは行かない。何かが予めあるという妄想は、たとえば身体の前に精神があるとか、二元論が生み出した近代性そのものだから。近代の方がより強固に、何かが予めあることになってしまうのだ。だからたとえば→ twitter.com/MITSUIKOUSHIbo...
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posted at 00:45:48
続)それゆえ、近代が宗教の終わりと短絡できる日本人が閉塞することの方が、当たり前なのだ。近代以降、より強固に何かが「予めある」ことになってしまい、むしろ日増しにその因果律では捉えられない「予めある存在」の比重が増大の一途なのかもしれない。
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posted at 01:05:33
道具の前に精神はないのだが、その直後にハイデガーは、デカルトはコギトで人間を神と同じ「実体」と名づけたために、人は神のように世界を創造できないのだから、被造世界が前提され、デカルトは世界と出会えない、と批判に切り返すのだが、日本人はここで道具を作れば精神が宿ると思い込むらしい。
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posted at 01:20:23
とはいえ、たしかに音楽の場合、道具が先な気がする。twitter.com/neajazz/status... 楽器を買うと嬉しくていじり倒しうまくなってしまう、というのがジャズなのだ。そこがクラシックのように、最初に(キリスト教)精神があって、その後に人間や楽器が生まれるという発想とは違う。
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posted at 01:43:03
いや、ジャズでも、あらかじめジャズの伝統が精神としてあって、その後に後継者という人間が、今までジャズで取り入れられていなかったフルートやバイオリンなどの楽器を持ち寄って、となるかもしれないのだが、しかしやはり音楽は最初に道具である気がする。
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posted at 01:44:26
音楽は道具のほうが先のきがするのだが、むしろ音楽が先か人間が先かのほうが、興味深い命題な気がした。結論から言うと、私は恐らく、人間より音楽が先と思っているかもしれない。しかしその音楽は道具より後なのかもしれない。このように道具存在とか道具世界は、音楽には負ける気がする。
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posted at 01:47:02
ツイートまとめ(^-^)/ 『道具が先か音楽が先か?』 @FB www.facebook.com/kaoru.ohmoto/p... @MIXI mixi.jp/view_diary.pl?...
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posted at 01:56:37
ハイデガーの勿体つけた言い方は、実体の二重性ゆえだが、それもコギトの存在忘却が契機であるに過ぎない。それに比べればシュタイナーの方がまだ文は荒れていない。しかし、そのためには、「私」が知覚対象となってしまう。「私」は知覚対象なのか? twitter.com/R_Steiner_jp/s...
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posted at 06:19:59
受験生はとくに気の毒だが、日本の教育が内向きな理由も至極単純。教育者がこれtwitter.com/sunamajiri/sta... で分からなくなり、それを解消する救世主が、山月記の李徴のように到来すると妄想してるのだ。それがあるかぎり、日本は内向きだろうね。@pentagonal007
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posted at 21:39:11
そこエッセンス(本質)ね。実に簡単。キリスト教徒には世界が被造物に見えてるのだが、それでは(本来の)世界に出会えない、とただ言っているだけなのだ。ところが日本の学者はこれで頭抱えてしまい、救世主きてくれーとなる。それが日本の教育の内向きということ。@pentagonal007
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posted at 21:52:07
その意味を違えず一文に要約すると「(フッサールが存在論と捉えようとした)デカルトの世界分析は、延長による自然物の量化と、それゆえにこそ、量化できない質の価値述語による財化だけであり、質的自然物=物質は延長の様態に過ぎない。」なのだが(続く)@pentagonal007
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posted at 22:19:27
もっと、端的にいうと、被造世界を前提としていたら、自然を開発して財産にする以外能が無いだろ。そういう近代の自然観は(古代哲学からキリスト教の伝統であり)本来の世界ではない、とハイデガーはここで批判している。この批判の意味が分からず日本人は苦労する。@pentagonal007
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posted at 22:23:05
日本の学者はそういう所で必死なのだ。キリスト教徒に向かう語りかけから、科学のヒントはないかと凌ぎを削ってるよ。後進国になったら名誉白人返上だ。そういう錯綜が読みこなせるかというのが、日本では勢い国語テストなのだから、内向きだね。@pentagonal007
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posted at 23:06:41