大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2014年07月20日(日)
もはや端的に、文言だけで読むのは読めていない、と割り切るべきですね。IT化で喩えると、杓子定規なエンドユーザーは、管理者から見てランクが低く権限も与えられない。マシン並ですね。ITとはマシン化の真逆で、人間が能力を肥大化させることですから。@juntaro5656
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posted at 00:56:48
その方はIT会社の社長で物理教えるぐらいだから理系だろうけど、命題が文になるということが理解できていない。確かに現代文は単文ではなく、長文の論旨なのだが、そこにあるのは文の集合というよりは、命題の綜合だ。まずは命題から演繹しなければ解法になるはずがない。@juntaro5656
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posted at 01:17:49
日本人は、高校までの現代文の話をすると喜び、大学からの哲学の話をすると悲しむのよねーww なぜ人間なんて同じことしか書けない=相同ということtwitter.com/sunamajiri/sta... を、みんな勉強したがるのだろう。(^-^)/ @LitoSnowfield
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posted at 01:36:41
人間の信念なんてみんな同じだ、と相同表現としての現代文を読むことができず、高校までの現代文の勉強で躓くのは、多様性だと思ってるからだろうね。なぜか日本人は個性とか違いに気を取られるくせに、同調とかいって承認願望が強い。哲学が大学からだからかな?@LitoSnowfield
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posted at 01:41:00
というように、多様性と同調という日本人が気を取られる問題も、この相同表現が読めないということにすぎないね。表現が相同でも、多様な個性があるという逆接(逆説)で読めず、同調ばかりするから、今度は個性を承認してと願望する。疲れないのかしらね?w @LitoSnowfield
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posted at 01:56:59
つまり、予備校用語の「相同」というのは、実は画一性の対語としての多様性のことなのだ。表現の多様性を相同の表現として読めるのが人間の能力だから。相同な表現の多様性をマシンが読めないのは、相同という信念を有さないためだ。@LitoSnowfield
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posted at 02:06:11
ツイートまとめ@FB(^-^)/ 現代文で「読めない=解けない」とは、どういうことか? www.facebook.com/kaoru.ohmoto/p... 相同を信念と読めず、同調と承認願望となるのを、「読めない」という。
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posted at 02:16:31
そうだが、その言い方も、大学教授という職業のことか、とか今の子は受け取るぞ。学問なんてまるで見当もつかない。文で現象学的に読み書きするということが、学問にとってどういう価値であるのかを、かいつまんでやればいい。twitter.com/gendaibuntan/s...
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posted at 04:20:02
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2014年07月21日(月)
仏教のほうが近代西欧思想より深遠という迷妄は、戦後になると、戦前にはなかった国語教育の硬直となって顕在化しますが、しかし迷妄にすぎない。分かっていないだけです。この日本独特の仏教思想の在り方は、現在の日本の政治の縮図そのものです。@KeitaRoco @tkonai
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posted at 05:23:53
そうですよ、日本は脱亜入欧で学問を実学としたが、西欧で学問の近代化とは、宗教をそのように捉えた中世神学の駆逐といってもよいのですから。@ratukata 仏教の深遠さは学問では理解できない。@Hachi_Astroboy @KeitaRoco @tkonai
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posted at 06:30:00
日本で学力は、戦後の国語テストがハイデガーを方法論twitter.com/sunamajiri/sta... としたように、中世神学と決別した近代を理解させるために過ぎません。(続く)@ratukata @Hachi_Astroboy @KeitaRoco @tkonai
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posted at 06:53:30
(続き)近代的学問は、実学のような在り方ではないということですが、たとえば、宗教学が西欧では近代に実学として登場する、それを徹底的に批判できたのは、おそらくハイデガーぐらいでしょう。(続く)@ratukata @Hachi_Astroboy @KeitaRoco @tkonai
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posted at 06:55:55
(続き)だから戦後の国語は難読です。実学批判のハイデガーで学力判定するようなもの。それに負けると学問が実学に見え、旧来の宗教が復活します。つまり独語で近代国家を模倣したのに、勉強が足らない。@ratukata @Hachi_Astroboy @KeitaRoco @tkonai
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posted at 06:58:01
そうそう。一時期までの日本の書き手なるものは、従前に和訳された術語を咀嚼する過程ばかり、自分の書物にする風潮があるので、人に何かを理解させたいのか、筆者自らが理解する過程で煩悶しているのか、さっぱり収拾の付かない文体が多いですからね。@Hachi_Astroboy
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posted at 10:36:20
ドイツ人はルター聖書から、デカルトが要請したのは現象かと応えるだけなのに、独語を日本語にすると、これは仏教観念と同じか?と、日本の書き手が一々自分の仏教心を吐露する。それで言外に何が求められているのか分からなくなる。@Hachi_Astroboy 世間が言外の共通認識を求める
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posted at 10:42:19
このようなことであれば、西欧近代は空(エネルギーが充満したもの)を形骸化したことになります。仏教でいう空とは、心を空にせよということです。 @sunamajiri :西欧近代とは、空の実体性を尽く無に帰したことです。仏教で言う空は西欧近代で完成されたと言っても過言ではない
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posted at 13:42:48
西欧近代化を取り入れた上で、日本の伝統とか東洋の起源というのを、人文用語では「転倒」といい、おそらく文系の人は周知なのだけれど、西欧近代化を取り入れた日本の新仏教などから、西欧近代とは劣った思想のことだ、と思索する人は必ず理系のようですね。彼らは西欧近代が断念させた理解に赴く。
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posted at 14:53:31
かつては啓蒙とされたのだが、この読了者と未読者の間で生じる解離があって、未読者はただただ、東洋とか日本という偶像を実体化させようとししてしまうのだが、たとえ仏教の境地であれ、西欧近代と相同でしかない。それは読めていれば分かること。何も恐るるほどのこともない。
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posted at 16:31:53
でしょうね。しかし像では空になれませんよ。それが西欧近代の主張です。@ratukata これを拝む人は、人々を幸せにする道を求めて、後に続かせていただきます。どんな苦しみにも負けませんという決意を込めながら拝むのです。 twitter.com/sunamajiri/sta...
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posted at 17:43:59
無いことの証明にねじれるほどの問題なのか? (^-^)/ STAP細胞は「悪魔の証明」 :日本経済新聞 s.nikkei.com/UjmOMe ブラックスワンが存在しないことを証明する。こんな命題を「悪魔の証明」と、科学界では表現します。
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posted at 18:32:35
2014年07月22日(火)
したがって、懐疑を悟りのように、わからないものとすることが、二世界論という西欧哲学で言う無限遡行のことでしょうね。それらはしたがって、分かることなのです。@Nuebsburg
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posted at 10:46:18
いえ、西欧の用語では無限遡行するな懐疑しろ、つまり神を信じろですね。それが仏教では悟りだとか、真言だとか、実践だとか、不規則に言い換えられるというだけでしょうから、大きな問題では無いと思います。@Nuebsburg わからないことはわからないしわかる必要もないってことでしょうか
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posted at 10:56:21
いいんじゃないですか? 「実践」的で。所詮最後にはニヒリズムしか残ってないので、絶望しないための懐疑の徹底が実践的なのでしょうね。苦しみから悟るのではなく悦びしかない。@Nuebsburg あー懐疑しつつ絶望しないですむよう信じたいように信じろ。ということでしょうか。
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posted at 11:48:33
いえいえ。仏教カルトさんのいうように経験の外に神秘体験を悟るのではなく、悟りというのは現象学用語の地平のことだと思うんですが、経験の内実である知覚に対してアプリオリな純粋時間は、カントの統覚では不十分だ、というハイデガーの方が地平が広いというだけでしょう。@Nuebsburg
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posted at 21:41:55
ハイデガーの地平からは、カントの統覚は、デカルトのコギトがラテン語だったように、ある種の濁りがある。時間だけが純粋で先行している、というのはコギトよりも先行しているということですが、それが無限遡行を懐疑することの徹底、つまり悟りの境地ですね。@Nuebsburg
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posted at 21:44:53
彼の仏教用語に引き寄せるなら、端的に悟りの境地が地平創造ですね。先行するとは、因果の解脱みたいなものなんでしょう。デカルトのコギトだと、無限遡行は懐疑できるが、先行性は神要請ですので不徹底なのです。これでは被造物という因果性が、まだ認められてしまう。@Nuebsburg
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posted at 21:50:22
ハイデガーは、カントが因果律批判としての純粋理性批判を、第二版で統覚=コギトに書きなおしてしまい、神要請=被造世界に戻した、という批判を一貫してしているだけですが、第一版では構想力です。twitter.com/sacreconomie/s... @Nuebsburg
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posted at 21:54:57
因果律では無限遡行なのだが、先行性がコギトによる神要請、つまり創造主ということではなく、構想力という諸感官の瞬時性として、現れてくるというだけです。それは神秘体験のような麻薬的な錯覚とは、全く違う悟りの境地、つまり地平創造だったわけです。@Nuebsburg
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posted at 21:56:48
つまり、無限遡行を懐疑するために、先行した創造主の要請というデカルトの問題を、神の死のようなニヒリズムで捉えるのではなく、カントが発見したような純粋時間性を徹底させることで、いわば因果解脱を地平創造した、という按配です。だからハイデガーは非常に分かりやすい。@Nuebsburg
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posted at 22:06:06
これ以降、因果解脱とか先行性という、経験を超越することは、純粋に現象学の地平創造の問題になったというだけです。簡単にいえば、神と仏が全て捉えられたという状態ですね。だから日本ではハイデガーを仏教語に訳出するのが、ますます国語の営為的な全容になっただけです。@Nuebsburg
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posted at 22:13:33