大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2014年07月01日(火)
【精読メモ】ハイデガー「カントと形而上学の問題」52-54p 認識の有限性への制限が却って、経験に先立つ創造(有限な認識=経験論に先立つ創造的直感=存在論)により綜合された存在的認識を導く。www.evernote.com/shard/s157/sh/...
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posted at 04:15:39
導出というより、ハイデガーの範疇語では、カント用語の投企に対して、カントを認識論から存在論に被投する、のようになるんだろうな。経験論が経験に先立つ存在論と被投されると、存在論が存在を投企する、でよいのかな?
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posted at 04:26:39
ハイデガーの範疇語が明らかにするという問題があるが、認識の有限性を欠陥(前の節)のように受け止めず、有限性を認めれば、直ちに、それが有限的な経験によってなされているのではない、つまり事物の「受容であるより創造」だ、という語彙が使われている。
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posted at 04:35:13
いわば、「存在者=事物の受容に依存している有限な存在者=人間が、あらゆる受容に先立って、しかも存在者の創造者であることなしに、その存在者を」(52p)認識したら、それは認識ではないから、ということなんだが。
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posted at 04:40:31
つまり、認識を経験論のように有限とすると、そもそも認識という事態があり得ない。有限な人間が有限な対象認識が可能であるのは、いわば認識されるような有限性があるだけではないからだ、認識論は従って経験論であるより存在論だ、云々。
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posted at 04:46:18
【精読メモ】同56ー61p 演繹論の直前の空間と時間の先験性(空間と時間は対象=現象ではない)の件だが、ハイデガーはカントの言い方に拘らず「内的な動きを追う」と、それ(先験的な空間と時間)を「端的に無ではない」とする。www.evernote.com/shard/s157/sh/...
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posted at 07:12:57
続)「 自ら創造したのではない人間」が、(有限な対象の知覚を)「前もって超出」するのは、カントによれば空間と時間が(知覚にとって)対象=現象ではないからだが、これをハイデガーは「端的に無ではない」こと、と二回繰り返す。
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posted at 07:22:59
続)~65p 空間が形式であるのは時間がより「内感の所与に制限」(64p)されるからだが、カントにおいては、直感と表象が未決定であり、「存在論的機能である時間そのもの」が言及されたかは、(第二版の?)「感性論の削除」では解明されない。www.evernote.com/shard/s157/sh/...
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posted at 08:11:47
それにしても、WIKIの存在と時間の項目、はじめてみたがよく書くな。誰が共同的に書いてるんだ?とつい気になるが、この注釈bit.ly/1rbVmy7 と、たとえばbit.ly/1lvveGx の冒頭のように、各項目が問いの要約になっているのがよい。
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posted at 22:15:07
松岡さんの「存在と時間」の書評も初めて読んだ。存在の問いなんて恋愛でなければ根源的にならないが、美少女アーレントとの熱愛の真っ只中で執筆し、世界劇場の役者に過ぎないオンティッシュから裸一貫のオントロギッシュへの通路を得た、というの爆笑。1000ya.isis.ne.jp/0916.html
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posted at 22:39:23
まあ、アーレントとの熱愛がオントロギッシュにしたわけだから、存在と時間を未完にしちゃったのも、アーレントを忘れたかったから、なんて読みをするのが、意外と真っ当なんだろうなww (^-^)/ 1000ya.isis.ne.jp/0916.html
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posted at 22:41:19
明治以来の独語訳出国語のせいなのか、現実と観念という語義が、反転しちゃうのかしらね、実在論だとおもうのかね、世界の中で日本だけ?(^-^)/ twitter.com/brighthelmer/s... 「その時々の支配権力が選択する方向が『現実的』、これに反対する反対派の方向は『観念的』
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posted at 23:26:20
2014年07月02日(水)
存在の問いを放棄する未完や転回も、美少女アーレントを失った悲恋物語だから、オントロギッシュ(存在論的)だ、という話で、みょうに納得させられる書評だった。(^-^)/ 1000ya.isis.ne.jp/0916.html @LitoSnowfield
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posted at 13:50:18
そうそう、松岡さんの言い方を借りると、取るに足らない対象では存在論なんかしない。美少女が相手だから存在論になり、その存在を失ったから、存在論が未完化したのだ。となる。うさたんの言い方をすると、美少女以外存在価値がないww(^-^)/ @LitoSnowfield
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posted at 14:09:09
2014年07月03日(木)
去年科挙の話ばかりしていたら、今年のセンター評論で、科挙のない日本では素読吟味になった、というのが出題されたのだが、池田信夫氏はさらに文字の音読より、漢字自体の図像的詰め込みこそ、脳発達的に日本人の論理的思考には都合が良い、といっているわけで、もはや中国のようだ。
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posted at 01:39:27
日本では近代は、音的な欧文を漢意に引き戻すようなところがあり、漢字という世界唯一の表意文字が、諸物の概念化の形式として優れているというのは分からんではない。論理教育が、池田信夫のいうように、大人ならば読解が必要だが、科挙のように幼児には文字の記憶で済むからだ。
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posted at 02:05:34
フーコーと漢字といえば、吉本隆明がフーコーの『言葉と物』が失敗作といった口述があるtwitter.com/sunamajiri/sta... そうだが、独語の題名は『諸物の秩序』。しかし、数多の物を妥当させる経験より、数多のものを予め一致させる反省が、漢字からもたらされるとは思えない。
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posted at 02:08:42
安寧や信仰を求めてではなく、科学なんて言う蓮っ葉な手法では、現象の説明にもならないからよね。簡単に言うと、人は神のように物自体の認識など持てない、ということなのだが、科学は物自体を認識しようとして、不安しか生み出していない。twitter.com/aka1you/status...
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posted at 15:25:52
現象を物自体と錯覚するのは、人が神だと錯覚するのと同じだ。しかしおそらくこの錯覚はかなり性的だと思う。女性には「想像」するしかないが、男性は神のように乱交をしたがる。つまり有限な能力しか持っていないのに、無限に女性と交われる、というのが男性の欲望なら、それが錯覚の源泉なのだろう。
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posted at 15:29:27
シモーヌ・ヴェイユも心配するように。神になりたがる人は、人になりたがる神のように、罰を受けるのだ。もちろん、罰を与えるのは、まさに私のような神を超越した存在なのだwww twitter.com/simoneweil_bot...
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posted at 15:32:17
このように、神が人ではないように、人は神ではない。言い換えると、有限な人間が無限に認識する錯覚、人が生産するという錯覚は、無神論的だ。文というのは、どんな種類の文でも、手を変え品を変えこすれど、そのことしか言うことができない。だから国語の指導は本来簡単だ、ということなのだが~
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posted at 16:35:36
日本の国語では漢字なのか読解なのかとなる。 昨日twitter.com/sunamajiri/sta... は池田信夫とフーコーの無神論を批判したが、漢字とは端的に無神論だ。漢字に概念化を見る限りでのフーコーも結局は無神論。ハイデガーから見れば諸物の概念化に失敗した変態にみえるかもしれない。
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posted at 16:36:12
国語では論理的とは、端的に命題による主述の換言なのだが、面白いことに、純粋理性批判の第二版の統覚=コギトを認識論や仮象として批判するハイデガーの『カントと形而上学の問題』では、ひっきりなしに「換言すれば」という接続語が頻出する。換言できなければ認識論、換言できると存在論なのだ。
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posted at 16:41:46
相手のいうことを換言できないと反論できない、ということではない。換言できないとは、概念化することだが、それでは数多性の存在論が問えなくなる。数多性の概念化は神をも超越した現存在ならではか、という問いは、松岡さんの比喩twitter.com/sunamajiri/sta... を髣髴とさせる。
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posted at 17:15:39
独語の仏語化ではベルクソンとポンティだと思うが、この数多性twitter.com/Bergson_bot/st... の問題はかなり性的だ。おそらく女性にはない(あるいは超越している)のだが、男性は数多の女に唯一的な母を重ねて、有限な性的能力なのに際限なく女性を求める文化が可能だからだ。
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posted at 17:24:37
漢文から小説で言文一致したのはいいけど、日本語に具わる仏教語の混乱を再整理しようとして、撃沈するものらしい。(^-^)/ @virusyana 難解文って外国語の誤訳のことなのー? (^-^)/
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posted at 20:49:28
端的に、単なる教養ではなく、それが出題の論理、つまり解法だからね。命題に古いも新しいもないのに、現代文がつい近代を問うために見失うのが、この問い問われることの古典的な基本形だからね。何が問われてるのか分からず解答できるわけがない。twitter.com/kazuhisa0122/s...
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posted at 21:17:58
2014年07月04日(金)
英仏哲学なら和訳では外来語や造語がしっくり来るが、ドイツ哲学の語彙は仏教用語に見えるのかね。ハイデガーもラテン語経由twitter.com/sunamajiri/sta... だと、意識に取り込まれ、ギリシャ哲学の注解に過ぎない後世の哲学は歪むが、独語にはそれがないとしきりに言うわけだが。
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posted at 04:32:03
仏語哲学は独語術語の注解みたいになっちゃたからねー。しかも無神論に逃げるための口実探し。しかし、ドイツ哲学もハイデガーを経由すると、なぜか日本語哲学による注解の方が、痒いところに手が届くとドイツ人に言われるね。www.let.osaka-u.ac.jp/~cpshama/shizu...
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posted at 04:52:42
西欧人は、ただ生得的かどうかという一点にしか関心がない。プラトンは前世のイデアの記憶を知識というし、アリストテレスだと基本術語は霊魂よね。これがラテン語になるとオカルトだコギトだと濁るらしいのだ。東洋人がいるのかどうかわからないが、この議論から隔絶されると非西欧的ね。
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posted at 04:53:15
日本だと知識というものは後天的なものという独断があって、前世とか生れ変りは実証科学的に判断されるべきものと看做されるのだが、そもそも西欧では哲学の唯一の命題。キリスト教神学がそれを隠蔽し、転じて経験科学に分科しただけだから、知識が後天的という自明化は、西欧的ではない。
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posted at 05:09:18
知識とは何かという認識論は端的に、キリスト教神学の時代にいくら隠蔽されようとも、西欧では「生得的かどうか」という関心事を指すだけだから、その命題を、実証科学のような部門で、「オカルトは経験できるか」なんて想定するのがナンセンスなのだが、日本人はそういう時に仏教用語にお隠れになる。
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posted at 05:25:40
西欧人が聖書をアップデートする終末論ばかり信仰するようになったのと、西欧が同じアリストテレスの圏内にあるイスラム教やユダヤ教と、神学的な接点を喪失したのは、近代になってからだからね。まさにバベルの塔のように言語が通じ合わなくなった。そこで日本人に助けを求めてるってわけよww
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posted at 14:33:17
いつも西欧哲学の仏教語による邦訳の話twitter.com/sunamajiri/sta... をしていますが、日本が英語圏に引き寄せられるのに、哲学などで独語圏に引き戻される、という綱引きが現代史そのものですね。独語圏から英米仏語圏に行きたかったんだろうな日本。
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posted at 15:05:03
twitter.com/kyototekken/st...ハイデガーがカントを生粋だと認めるのも、ちゃんと霊魂の生得説という、ギリシャの命題twitter.com/sunamajiri/sta... に忠実だからなのよね。いわば生得説でデカルトのコギトを純粋思惟に戻したりする。無神論のような不純はない。
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posted at 15:35:30