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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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2015年09月30日(水)

怪老医@doctor0621 @doctor0621

15年9月30日

@sunamajiri 個人にとっての死という限界に於ける時間の終了はややニュートン力学的見地の死という感じもしますが。また他人には故人に対する思い出という時間の継承も生じるように愚考致します。あくまで哲学に素人のたわごとです。お手柔らかに。

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posted at 21:14:25

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

柄谷行人のトランスクリティーク(トラクリ)は、超越論的批判というが、しかしそれは批判主義という境地、無限後退しないための規定を持たない批判、つまり無限後退そのもの、あるいは無限後退の形式化のようなものなのだろう。

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posted at 19:14:26

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

ところで、実存論が実存主義になると単なる境地(無限後退)であることになってしまうように、反知性主義という批判主義も単なる境地(無限後退)であるのだろう。批判は主義のような境地ではなく、無限後退しないことだ、という規定がここには存在していない。

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posted at 19:10:01

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

このように、アリストテレスの霊魂の規定であるタブラ・ラサは、現代ではPCの起動に譬喩化できるのだが、しかしPCは完全な真っさらからかでは起動しない、ということが重要なのだ。人間はマッサラではないのであった。@LitoSnowfield

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posted at 17:33:40

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

寝起きに、必ずOSリセット、真っさらからの起動が起るのであった。起動終了(^-^)/ twitter.com/sunamajiri/sta... @LitoSnowfield

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posted at 17:29:57

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

そうそう、形式的告示というハイデガーの方法的懐疑とは、形式=概念にならない気分を、概念化=形式化するよ、という宣告=解釈のことで、気分とは永遠時間は嫌だな、ということね。(^-^)/ @LitoSnowfield Fav twitter.com/sunamajiri/sta...

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posted at 17:28:05

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

知性とはスピノザの知性改善論や、カントによるデカルトの悟性解釈という古典の問題であるよりは、現代的なハイデガーによる解釈学的転回を受け止める知性に厳密化されるべきで、ホフスタッター的反知性主義と曖昧化されるのは得策ではない。twitter.com/sunamajiri/sta...

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posted at 17:22:57

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

たとえば、永井均が、ウィトゲンシュタイン的な欄外でハイデガーの規約解体に言及的なのだが、ハイデガーはウィトゲンシュタインのように規約解体に迂遠に触れてるのではなく、そのものを遂行している。

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posted at 17:11:55

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

ちょっと余談だが、契約が人と人との契約であることができないのは、こうしたリセットをまつまでもないのだが、それは方法的懐疑と一つも矛盾していない。

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posted at 17:08:37

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

テクストというのは本来的に、神の契約しか記述できないので、方法的懐疑以降、テクストのキャノン(神聖化)とは、主に規約解体(現勢的時間による霊魂という根源の再規定)の問題としてしか直面することができない。要するにリセットのことである。

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posted at 17:07:20

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

カントとハイデガーがテクスト性となるのは、重箱ではなく、規約(潜勢的霊魂論の永遠時間の規定)と、規約解体(永遠時間を解体する霊魂の現勢的規定)という、縦断的な論点なので、それを把捉できないものは、テクストクリティカルではない。

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posted at 16:59:46

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

たとえば、菊池健三 twitter.com/sunamajiri/sta... が、三批判書にある超越論性を、より大きな動力学という視点、潜勢的霊魂論の永遠時間の規定と捉えられたのも、批判書の前後を縦断するからで、ハイデガーの内的必然性=規約解体の問題も、カント書までは縦断的であるべきだ。

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posted at 16:57:36

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

もちろん、ヤスパースとの対比は、来月シンポのある初期ハイデガーを現代思想の着手点とする問題(『存在と時間』までの成立史の問題)で、『存在と時間』破綻後から、カント書に到る規約解体の問題(いわゆる内的必然性の問題)とは、書誌的に厳密に異なるのだが、当然、問題としては必然的に同じ。

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posted at 16:53:51

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

なお、ここで(あるいはほとんどいつも)問題にしているハイデガーというのは、戦後のことではなく、戦前の『存在と時間』から『カント書』に到る、時間規定の解体、つまりデカルト的方法の規約の解体、という問題だ。

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posted at 16:49:12

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

じつは昨晩、中嶋さんと温泉の食堂でした哲学談義は2つで、一つがデカルトを境地として語ることは実存主義か、もう一つはキルケゴールとヤスパースは有神論的だが、ほんとうにハイデガーは無神論的なのか、という話だったのだ。twitter.com/sunamajiri/sta...

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posted at 16:47:50

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

なぜこの話を、日本のパニックとして語るかというと、フォロワーさんにある混乱が、この一点に凝集されているからだ。デカルト的な規約を、一つの境地として受け止めるのか、それとも方便として受け止めるのか。ウィトゲンシュタインが遠回しに触れたこの問題に直接触れたのはハイデガーだけだろう。

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posted at 16:44:04

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

要するに、デカルト的規約を真に受けるかどうか、言い換えると自我を境地として語るかどうか、という問題だが、たとえばヤスパースの実存開明と対比させると、いかにハイデガーがデカルトを規約として捉えているか、が判明になる。

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posted at 16:41:59

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

結論から言うと、存在証明を断念する規約は、境地というより方便なのであって、無神論的実存主義のように、存在証明が真に排除されたわけではない。しかし、デカルトの規約を境地として受け止める実存主義では、却って存在証明が単純にできなくなる、というだけなのだろう。

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posted at 16:39:20

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

存在証明はやめましょう、という規約のことであるデカルト的懐疑(デカルト的要請)というのは、実存主義のように自我を境地に無限後退させることではなく、むしろハイデガーのように規約解体に直面することであるに過ぎない。twitter.com/sunamajiri/sta...

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posted at 16:37:26

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

今日、日本にパニックがあるのだとすると、それはよく言われるような反知性主義には収まらない。それは自我という規約を、境地のように誤解する、一種の信仰のようなもので、その解体の停滞という具体的な問題は、むしろ楽観すべきだ。twitter.com/sunamajiri/sta...

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posted at 16:35:44

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

なお、ハイデガーの永遠時間の拒否という問題は、主著の『存在と時間』のヘーゲル批判の箇所が一番分かりやすい叙述です。第81~82節あたり。ベルクソンの時間規定の問題 twitter.com/sunamajiri/sta... は注で欄外化されてます。@doctor0621

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posted at 16:17:34

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

ハイデガーは、日本の教科書的には無神論的実存主義だが、最近はハイデガーを実存主義とは語らない。実存とはデカルトの自我をモノのように対象化して無限後退しないことだが、しかしそれを境地のように対象化して、さらに無限後退を加速させることでもない。なお~ @doctor0621

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posted at 16:14:17

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

以上は、ハイデガーの『存在と時間』を補う『カント書』にある、有限時間という問題と、それを踏まえてカントを読みなおしている菊池健三の近刊『カントと動力学の問題』から得た霊感に過ぎませんが、今日本にあるパニックは、単なる反知性主義に収まらないのでしょう。@doctor0621

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posted at 16:04:38

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

逆説すれば、死後に継続する時間は、時間ではない、という再規定は、単に存在証明をしない、あるいは存在証明はできない、ということの謂(言い換え)なので、文字通りに受け取る必要があるわけでもない。日本語的に言い直すと、デカルト的要請は方便なのだ。@doctor0621

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posted at 15:55:56

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

「存在証明しないこと」をどのように実現できるかといえば、時間に死という限界、つまり死後に他人が継承する永遠時間などない、と時間を再規定すればよい。これは常識的に日本人が動揺するほどの問題ではないのだが、存在証明ということを課せられた彼らにとっては大問題。@doctor0621

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posted at 15:53:17

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

あえて140字で約言に興じているからね。動力学に対する数学が存在証明(神学)ではないという問題が、そんな文字数で収まらないから、現実的に日本では文系理系という派生が起こったようなものだからね。しかし、ハイデガーでは単に有限時間の問題として一文化されている。@doctor0621

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posted at 15:47:24

怪老医@doctor0621 @doctor0621

15年9月30日

む、難しい・・・・・ twitter.com/sunamajiri/sta...

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posted at 08:06:46

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

自我を対象化できないように、実存も境地のように対象的に語ることが、そもそも無限後退や永遠時間という有神論を齎しているだけで、それをハイデガーの言う本来的な語りにしたところで、変化が起こるのは時間の有限化だけであるように思える。

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posted at 05:13:53

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

フォロワーさんに、デカルトを境地のように捉える方がいるのだが、ここで問題になっているのが、この自我を境地として語ることが実存なのか、というヤスパースとハイデガーの論争だ。自我を対象化しない実存は境地というより、あくまでも時間の永遠性を脱却する批判性でなければならない。

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posted at 04:57:16

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

その点で、ハイデガーをキルケゴールの延長で実存哲学に分類する教科書自体が、ハイデガーを無神論と偏見でみていることになる。最近のハイデガー受容の変化は、その払拭に貢献してるのだろう。ハイデガーにおいてはじめて実存という境地が、永遠時間への批判性として登場したことが重要だ。

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posted at 04:53:33

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

ハイデガーはあくまで、永遠時間を問題視している。実存とは自我をモノのように対象化しないことだが、それだけではヤスパースの実存開明のように、実存が境地として語られるだけで、時間は眼前時間(永遠時間)のままで、有限化していない。この有限時間が従来無神論的といわれていたものなのだろう。

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posted at 04:53:19

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年9月30日

温泉の食堂での中嶋さんとの談笑で哲学談義は、キルケゴールとヤスパースは有神論的で、ハイデガーは無神論的という一般的(教科書的)な知見の話までだったのだが、どうもそういう教科書的な見方自体が、途轍もなく偏見にであるように思えなくもない。

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posted at 04:46:42

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