大本薫 Kaoru Ohmoto
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- 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
2015年11月17日(火)
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GA26-203-218 bit.ly/1NWnJeN の次の箇所、GA26-218-239 bit.ly/1LYsotS では文字通り「超振動」といってますものね。@BeTakada bit.ly/1HTDWLb
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posted at 01:24:01
それは、丸山論文注9「超越論的演繹との対決を通じ、これを超越の現象の分析において調停するべきであるという見通しに到達した」という点に関係するのですが~ @BeTakada pic.twitter.com/ec1VzHkDms
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posted at 01:25:33
GA26-203-218 は、超越とは神学のことではないが、カントでは根源的直観(第一原因)と派生的直観の二重の「われわれの外」であり、それで客観は絶対的悟性を前提した特殊形而上学だ、と批判しているのです。@BeTakada pic.twitter.com/Zl4tnfQThs
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posted at 01:36:49
根源的直感は、GA25カント講義書のこの部分、つまり超越論的感性論がわかりやすいでしょう。つまり客観とは有限な視点に対する擬似的な神の視点ということです。擬似的なのは、第一原因たりえないからです。@BeTakada pic.twitter.com/W2zHodAHRt
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posted at 01:47:54
前 twitter.com/sunamajiri/sta... にも言いましたが、私たちはハイデガーの結論を知ってることを前提にしてるのです。そこでハイデガーがそれを方法化できたのは、妥当かという話題の立て方ができるということです。それを念頭に話題にしないといけない。@BeTakada
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posted at 02:00:54
これで、デカルト~カントが苦悩した、第一原因=因果律という根の問題が、意味連関から抹消(捨象)されて、語りの根は時間=内世界性として取り戻され、自然を語ることができるようになる、という目論見なのでしょう。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada
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posted at 02:11:49
デカルト以後、むしろ第一原因の問題だけになってしまった、といったのはスピノザだが、カントでは第一原因ではない「客観=われわれ」と、その「われわれの外」の主観という問題になってしまう、というのがGA26-209。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada
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posted at 06:37:43
純粋化=超越論化は、時間を静止状態で孤立的に取り出すことではないということなのだが、GA26-209が引用するカント純理A251は、範疇を純粋化すると客観的実在を取り出せず、超越論的には図式性しかないという箇所。bit.ly/1NXrGQg @BeTakada
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posted at 07:00:36
タカ基地さん bit.ly/1QrVV3u は、注20の事象性=同時性を、「人類発祥のアプリオリ」と早計しましたが、それは寧ろアポステリオリです。アプリオリとは事後的に語られていない同時性のこと。@BeTakada pic.twitter.com/BVbytmsds0
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posted at 18:16:42
同時性(アプリオリ)は認識されると前後関係に転倒する。転回とはその転倒からの脱却です。タカキチさんのジャーゴン twitter.com/BeTakada/statu... では、アプリオリとは人類発祥の寧ろ後に備わる同時性のことです。@BeTakada
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posted at 18:34:50
なお、注20の丸山氏の続編とは、heideggerforum.main.jp/ej8data/maruya... のカント書論です。しかし「存在者の全体」に対する「全体における存在者」というのは、いわばさらなるポストメタ存在論で、メタ存在論自体は、時間は内時間ではなく内世界だ、ということです。@BeTakada
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posted at 18:37:20
しかしその前に、即自と脱自は、GA26-208-9のカントが同時性を我々の外に二重化する時間の即自性=内時間の問題です。時間を即自すると、即物に対する二重化が起こるのです。それは根源的直観の視点=客観の問題です。@BeTakada pic.twitter.com/JtGITqFusf
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posted at 18:52:22
絶対的悟性とか根源的直観が客観であるというのは、第一原因でないのに擬似的に神の視点を想定することです。twitter.com/sunamajiri/sta... 要するに造物主でないのに、神の視点で語ってしまう矛盾が問題なのです。@BeTakada
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posted at 18:54:29
それゆえ時間を即自すると同時性=即物性が二重化されて記述され、時間性自体が記述できなくなるのです。脱自的時間というのは、時間を静的な点に即自しないことです。そのことで、二重化されていた同時性が根源化されるのです。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada
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posted at 18:58:49
2015年11月18日(水)
だから、丸山注20が示唆するように、二重化する前の同時性は、このようにどちらの前提(非本来的形而上学を前提とするか、本来的形而上学を前提するか)という問題なのです。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada
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posted at 01:57:11
この人類を未然として扱う、生起する確実な方法こそが、ハイデガーの徹底したカント批判です。それが、カントの私=主観と我々=客観という二重化、つまり全能でない全智の視点という欺瞞を退けることなのです。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada
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posted at 02:32:08
カント、 ヘーゲル、マルクス、ハイデッガー、それぞれ齧りつきました。が、歯が折れてしまいました。彼らの存在論、時間論を一言で言い切ってしまうこと、これは凄い。
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posted at 10:30:41
そう前提されるとお喋りがしづらくなりますが(笑)、問題は前提の仕方で、twitter.com/sunamajiri/sta... とコメントアウト(欄外)するように、日本的近代なるものは、いわば超克できないもの、というモラトリアムを前提とした語りの潜勢だっただけでしょう。@suz1273
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posted at 11:21:54
ハイデガーの言う非本来的形而上学というのも、形而上学が基礎づけられていない=方法化されていない、ということです。それが潜勢を現勢として語る、欄外の発生源ということなのでしょう。twitter.com/sunamajiri/sta... @suz1273
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posted at 11:27:51
このように、潜勢する葛藤ということに目を奪われると、本来的な方法に現勢できなくなる、というだけであるのに。twitter.com/sunamajiri/sta... @suz1273
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posted at 11:41:51
さて、丸山論文に戻る前に、GA20-209が引用する純理A38 bit.ly/1S1bAEx の「現象は二面的だ」。同時性は同一性だが、時間と延長という非本来的な関係では、カントがいうように、延長が仮象である誤謬を排除できない。@BeTakada
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posted at 11:48:40
タチ基地さん bit.ly/1QrVV3u は、「人類発祥は既成事実だ」という語り方が事象的な語り方と考えたようですが、これも未然を前提しない実在論の語り方です。転回とは預言のように未然性を語る方法です。@BeTakada
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posted at 12:29:22
ハイデガーのGA26-208-9は、カントが実在性は誤謬推論だ twitter.com/sunamajiri/sta... といっているが、にも拘らず根源的直観=擬似的な全智の視点である客観を前提としているので、同時性=未然性を語れない、と言っているのです。@BeTakada
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posted at 12:35:34
GA26-208は、実在性を誤謬推論とするカントの超越論では、第一原因と全智の視点=客観の差異しか明らかにできず、それと同時性=未然性の差異を明らかにすることのできない、即自的時間による語りだと語っているのです。@BeTakada pic.twitter.com/N1bbQ6nsgY
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posted at 12:43:38
整理すると、第一原因と客観の差異では、実在論に陥ってしまう。しかしそれによっては、同時性=未然性という事象性を語れない、ということです。これが丸山論文bit.ly/1Si0T06 の二重の前後関係からは見えない事象性(注20)なのです。@BeTakada
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posted at 12:48:59
丸山論文が解釈するGA26-199でいうと、カントのような二重性(第一原因との差異性)では、事実的自然(事象)が語れない。つまり事実的実存(基礎存在論)は、単に二重化された非事象的問いだ、ということなのです。@BeTakada pic.twitter.com/8mM1dV0nfu
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posted at 13:03:15
ハイデガーの場合、疎外論そのものを完全に払拭しようと目論んでいる。しかし事実的実存は疎外論であり、事象性を語る根源規定ではないというメタ存在論は、次節のフッサールの内的時間は脱自的ではない、という問題です。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada
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posted at 13:35:51
コメントアウトすると、時間から見ると即自か脱自か、という二重性が語り方にとっては根源的だが、それゆえ丸山文隆氏が、被投と企投でカント書を企投する twitter.com/sunamajiri/sta... のも、十分に脱自的な語り方ではない、といえるのかも知れない。@BeTakada
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posted at 13:41:29
端的に、即自=潜勢的に疎外を語るか、脱自=語りを現勢化するか、という問題は、時間根源からは眼前性と手許性が差異化される、という問題です。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada
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posted at 14:00:24
これを丸山は、企投から被投への転回の内的必然性としたのだが、それは手許性と眼前性の差異化が学的企投からは断念された、という
GA24『現象学の根本諸問題』論(東大哲学論集2011-160 www.l.u-tokyo.ac.jp/philosophy/pdf... )を踏まえた議論です。@BeTakada
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posted at 14:03:06
なお、GA24の学的存在論の断念とは、GA26では丸山GA26論で言及される、補論GA26-199メタ存在論の直前のGA26194-5の基礎存在論=4つの根本問題のことです。@BeTakada pic.twitter.com/eNiFYY9iTc
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posted at 14:35:37
基礎存在論=存在論的差異(26-195)では、実存が事実的なだけで、それは事象性からの疎外である、というのがメタ存在論(199)。しかしそれは手許と眼前の差異の脱自的根源時間(253~)を取り戻すことなのです。@BeTakada pic.twitter.com/TSW7PyoYIr
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posted at 14:44:04