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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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  • 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
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2015年11月11日(水)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月11日

こちらで twitter.com/sunamajiri/sta... の続き。丸山文隆論文 bit.ly/1Si0T06 が解釈する「メタ存在論の内的必然性」という問題は、GA26-199のこの範囲。@BeTakada pic.twitter.com/CNnEtty1uS

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posted at 19:00:33

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月11日

メタ存在論を領域的存在論と解釈する従来学説は内的必然性ではない、という立論 bit.ly/1Si0T06 です。それはどういうことか。@BeTakada

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posted at 19:04:45

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月11日

存在論とは方法的懐疑のことです。基礎存在論は事実的実存を分析する方法です。それに対してメタ存在論は、事実性を宙吊りにして、その中立性から、現存在の生起そのものを方法化することです。『存在と時間』は基礎存在論です。@BeTakada pic.twitter.com/1Hy5KdruO0

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posted at 19:09:00

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月11日

事実的実存を分析する方法が基礎存在論であるのに対して、事実性をカッコに入れて、現存在の生起そのものの方法を問題にするのがメタ存在論なのだが、このメタ存在論を従来は領域存在論とする学説が優勢だったのです。@BeTakada

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posted at 19:10:45

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月11日

領域存在論とは、学科を可能にする方法のことです。自己規定では無規定になる領域の学科のことです。たとえば物理学は物理学自体を自己言及的に規定できない。GA25より bit.ly/20LWSav @BeTakada pic.twitter.com/TnHKIQ2Ies

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posted at 19:31:07

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月11日

したがって、基礎存在論=実存の事実性に企投することに対して、メタ存在論が現存在の事実性を払拭し、実存を方法化することを、領域存在論=企投と解釈する従来学説を批判しているのです。それが全体における存在者=被投性テーゼの問題です。@BeTakada

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posted at 19:33:38

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月11日

基礎存在論では、現存在は事実的な実存、つまり人間です。それに対してメタ存在論では、全体における存在者=自然に埋没した非事実的=中立的な自己が、超越を生起して現存在に到ることが、方法として扱われるのです。それは領域学科の問題ではない。@BeTakada

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posted at 19:38:20

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月11日

自然に埋没すると生き生きとした現存在が生起する、といった被投的企投で「現存在の事実的実存は、自然の事実的眼前存在を前提する」GA26-166 というテーゼ。いってみれば必然的方法のことなのです。@BeTakada pic.twitter.com/1D4VE9js5x

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posted at 19:49:55

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月11日

そうですね、twitter.com/sunamajiri/sta... のように、デカルトの時代では形而上学は存在証明で明証=方法ではないですからね。しかし非宗教的な時代になると認識論は形而上学的だが、存在論=方法は現存在を生起させるんでしょうね。@BeTakada

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posted at 20:19:55

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月11日

ところで、この「直前存在(眼前性)」は、先日のGA26-226-229 カントの世界と自然bit.ly/1PuDaKR で鍵用語の「現実存在の様態」ですね。実在論も観念論も中立化させることですが。@BeTakada pic.twitter.com/VbsQ5vuKt8

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posted at 20:25:01

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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月11日

ここ twitter.com/sunamajiri/sta... の末尾が世界とは無のことだ、ですものね、しかしそれは現象学的還元では様相しかカッコにくくれず、実在か観念かという存在論=方法自体のレベルをカッコにくくれない、という意味でしょう。@BeTakada

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posted at 20:36:00

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月11日

いわば存在論的還元、それがどういうことかハイデガー自身が一番分かりやすい言い方をするのがGA26-172.一般的に「事実実存している人のことしか語れないが」存在が中立の現存在を孤立化=抽出が必要だ、という話。@BeTakada pic.twitter.com/8oc5vCV4pN

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posted at 21:05:11

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月11日

「生の哲学は概念に不安になり、その孤立化ができない」。ちなみに、この孤立化(論点を取り出すこと)というのは、カント書で、超越論的地平の孤立化とか、純粋悟性の孤立化、とか手続き的に濫用される用語。@BeTakada

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posted at 21:10:47

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月11日

要するに、伝統的形而上学が方法的懐疑を不徹底化させたために、様相を還元するだけの現象学が現存在の事実性を記述したが、それでは概念的に不徹底なのであって、方法的に還元すべきは存在論的範疇である、ということが語られている。@BeTakada

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posted at 21:13:45

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月11日

それは当然のことであって、造物神を想定した形而上学が、自我という無規定を齎しただけなのだから、その無規定性では様相性の還元や原自我、事実性や実存範疇に至る基礎存在論が関の山だが、メタ存在論は存在論的範疇という中立(原現象)を語る、という。@BeTakada

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posted at 21:22:46

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月11日

メタ存在論でなければ倫理学は立てられない、領域存在論では倫理学とならない。それは存在論的還元でなければ他者と出会わないからだ、というこの部分?@BeTakada twitter.com/BeTakada/statu... 自由、倫理に入る前に pic.twitter.com/adj2vdx7Re

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posted at 23:50:53

2015年11月12日(木)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月12日

ここは端的に、柄谷行人が(トランスクリティークなどで)フッサール(の様相還元)では方法的に他者に出会わない、というのと同じようなことです。というのも、ハイデガーは、ここで「メタ存在論」=転回以後、フッサールの内時間性の批判を本格化させるからです。@BeTakada

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posted at 00:00:01

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月12日

自由は孤立化(カント書では純粋化)できない有限だ、というのもあります(GA26-253)。メタ存在論も有限化(199)です。柄谷のようなフロイト主義者の好む超自我に近いですが、それでは心的で有限的ではない。@BeTakada pic.twitter.com/eFk2pRCAen

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posted at 00:30:36

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月12日

その12節は、脱自的時間(カント書では根源規定)による内的時間の批判です。脱自というのはそれ自体を離れることです。今と言って今を表せないのが通俗時間、別なことにかまけて今を指し示してるのが脱自時間=根源規定。いわば時間の現勢です。@BeTakada

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posted at 00:39:48

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月12日

時間をそれ自体として表象しない、という脱自的時間が、メタ存在論で重要なのは、時間だけが非直前=非眼前性で、それに対する手許性=根源地平だからです。フッサールの内時間論=原自我を原現象で批判しようとしている。@BeTakada pic.twitter.com/bfdmznXnFZ

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posted at 00:52:11

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月12日

@LitoSnowfield さん。そこtwitter.com/sunamajiri/sta... は、『存在と時間』はすでに実存していること、事実性を分析する基礎存在論だが、メタ存在論=転回は、事実性を払拭し実存を生起する方法の地平化。 pic.twitter.com/tPRb8Oxb61

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posted at 11:46:52

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月12日

『存在と時間』では、人間がすでに=事実的に実存していることの分析論=基礎存在論だが、ポスト基礎存在論であるメタ存在論では、実存していない人間が問題になっている、というのは、twitter.com/sunamajiri/sta... @LitoSnowfield

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posted at 11:48:45

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月12日

メタ存在論は領域存在論ではなく、ポスト基礎存在論だということなのだが、なぜ『存在と時間』が基礎存在論なのかは、ヘーゲルの点時間がカントの内時間の最悪の誤解(通俗時間)という批判をするため。それに対してメタ存在論はフッサール批判。@LitoSnowfield

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posted at 11:50:45

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月12日

ポスト基礎存在論であるメタ存在論=転回とは、実存していない人間を実存させる方法に言及するということ。それが伝統的形而上学では中立的でなく、様相性や事実性を中立化させる時間地平の話になっていく。twitter.com/sunamajiri/sta... @LitoSnowfield

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posted at 11:53:01

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月12日

デカルト以後は方法だが、デカルトでは形而上学が中立ではない。twitter.com/sunamajiri/sta... カントの内時間がヘーゲルの点時間になったり、フッサールの原自我になったりするが、ハイデガーは時間という原現象を捉えようとしている。@LitoSnowfield

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posted at 11:56:06

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月12日

なので、ハイデガーのポスト基礎存在論(主著)であるメタ存在論は、領域存在論=学的企投 twitter.com/sunamajiri/sta... ではなく、被投性なのだ。それが丸山文隆論文、というそういう話。@LitoSnowfield

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posted at 11:58:26

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月12日

メタ存在論を解釈する学説上の問題なので、あまり面白くないかもしれない。どういう話題かというえば、単に学問は啓蒙ではなく、先学問の把握だ、という学校概念のバージョンアップというだけ。twitter.com/sunamajiri/sta... @LitoSnowfield

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posted at 12:05:46

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月12日

それよりも、ハイデガー全集26巻ライプニッツ講義は、もっと生き生きとした語りだ。たとえば、世界は古来コスモスだったが、古来コスモスとは宇宙ではなく、人間とは如何にか、という方法概念だったとか。twitter.com/sunamajiri/sta... @LitoSnowfield

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posted at 12:08:41

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月12日

ハイデガーの主題というのは一貫して、語りの方法化、生き生きと語るためには、何が方法化されるべきか、という話でしかないので、だからこそ規定の根源性とは、語りの根=時間地平なのだ。twitter.com/sunamajiri/sta... @LitoSnowfield

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posted at 12:12:05

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月12日

それこそ動的な語りなのだ。たとえば結論を出したら語りはおしまいなのだが、いかにそれを先延ばしして、しかも停滞させず生き生きと(アドリブで)語りをグルーヴさせるか。それが方法が根源であるという問題なのだ。twitter.com/sunamajiri/sta... @LitoSnowfield

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posted at 12:17:26

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月12日

しかも、すべてを語り尽くす語りの語り方、の話なのだ。現象学というのは、語りを生き生きさせる方法だが、しかし等根源的にそれは凡てを語り尽くさなければならない。凡てを生き生きと語るには、どうするかというのがハイデガーのフッサール批判なのだ。@LitoSnowfield

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posted at 12:28:20

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月12日

ハイデガーで問題になる真理=同一律(同一性)、あるいは明証性は、凡てを語ることと、生き生きと語ることが、等根源化(同一化)することなのだ。徹するということ。それがフッサールにはない地平だと批判している。twitter.com/sunamajiri/sta... @LitoSnowfield

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posted at 12:32:04

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月12日

要約すれば、GA26ライプニッツ講義~GA3カント書は、脱自的時間=現勢的時間の問題。つまり、カントの言う内時間性を、眼前=対象点に潜勢させず、手許性=地平(GA26)に現勢させる超越論的構想力が根源地平(GA3)だ、という徹底的方法の解明が論旨。@LitoSnowfield

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posted at 12:40:06

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月12日

ということで、事実性の実存を還元=中立化させる、存在論的還元ないし存在論的転回は、方法的懐疑の徹底としてこそ、明証的=同一的だ、という話は、一旦おしまい(^-^)/ @LitoSnowfield pic.twitter.com/ZWDbm6FtwS

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posted at 12:51:06

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月12日

基礎存在論(実存を事実性として分析すること)で語ることができない脱自的時間=地平時間とは、手許性の時間性のことだったのだ。事実的実存からは、手許性は非時間的に見えるのだ。メタ存在論とは、手許性の時間性を明らかにすること、これである。twitter.com/sunamajiri/sta...

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posted at 13:13:09

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月12日

「同時に」に対する「等根源的に」twitter.com/sunamajiri/sta...

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posted at 17:05:42

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