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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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2015年11月02日(月)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月2日

要するにデカルト批判だからね。twitter.com/sunamajiri/sta... 普通は見えたモノを見て見ぬフリをするのが良心であるところを、逆に見えてしまった人には、見えたモノを語る責任がある、というのが現象学だからねぇ。笑

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posted at 12:31:01

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月2日

見えたモノについては見て見ぬ振りをするというのは、日本では伝統的な心情と重なりやすいから見え辛いのだが、真理は見えないはずだというデカルトに至るまで踏襲されている西欧哲学の悪習なので、見えるモノは無差別に見えた側が報告する、というのが現象学的には真理ですらあることになるという話。

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posted at 12:45:39

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月2日

要するに見えないモノを誇大妄想して勘ぐらないためには、見えたモノを無差別に語る記法が、実践の方法として、好むと好まざるに関わらず要請される、ということなのだが。

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posted at 12:52:39

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月2日

なぜこれが看過できないかというと、その不徹底をかつては神学と語ったからだ。「なぜムシロ有るのであって、無ではないのかを根拠に有ること」という根拠律は、容易に神による最善の選択を連想させるからだ。 pic.twitter.com/cy0svQOU28

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posted at 13:36:37

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月2日

なぜ無である可能性もあるのに、現実には存在するのか、という根拠律を突き詰めれば、善のイデアに至ってしまうからだ。www.evernote.com/shard/s157/sh/... pic.twitter.com/QfWq8wdsuI

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posted at 13:45:41

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月2日

これはハイデガー全集26巻『論理学の形而上学的な始原諸根拠 ライプニッツから出発して』いわゆるハイデガーのライプニッツ講義書です。その個所はGA26-141です。(^-^)/ @Sukuitohananika

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posted at 15:31:05

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月2日

そうですね。ハイデガーは解説者になると秀逸そのもの。そこから、根拠律を心理的に誤解する通俗的理解、フッサールの論理学でも不充分という処を経て、一気に実存の話に行くのだが、こんなに親切心のある解説者は不世出ですね。講義が学生で溢れたというのも頷ける。@Sukuitohananika

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posted at 16:22:21

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月2日

そうそう、ハイデガーは主著が硬直感があるけど、講義録はほんとにグルーヴしている。書きおこしでしょうが、ほんとうに滔々とお喋りをしたのか気になるところ。いつまでも語っていて欲しいぐらい魅力的な語り方をする。@Sukuitohananika

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posted at 16:53:46

2015年11月03日(火)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月3日

まあ、ハイデガーから見れば、カントですら(事象的には)時間でないわけだからね。twitter.com/sunamajiri/sta... pic.twitter.com/CMFHik5Ph4

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posted at 06:52:40

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月3日

ハイデガーは語りの根(根源)を時間とみなし、カント的な超越論すら、上辺の談義 twitter.com/sunamajiri/sta... とか、語りの動揺とか、単なる言明に過ぎず、いわば時間的語りではないと主張したいんだろう。事象的には時間は語りの根でしかないという。

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posted at 07:05:03

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月3日

その点では、確かに「カント風」の語りより、デカルトの方が、語りの根としての時間事象性があると言えるのかもしれない。カントでは超越論と動力学で、そこからは死力に見えるコギトにこそ、実は現勢的根源である時間があるのだからだろう。

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posted at 07:11:19

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月3日

ハイデガーの場合、一元論的な根源規定以外は無規定的で、たとえば観念論と実在論という規定からはマックス・シェラーでは、人格性しか明らかにできず(GA26-167)、さらなる語りの根源規定が必要と語るのだが。 pic.twitter.com/Eub1Zje84j

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posted at 07:20:44

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月3日

いずれにせよ、語りの根の時間というのは、弁証法が齎す時間は空間との止揚の幾何学的交点で、無としての点だという点時間を非本来的なお喋りに退ける、時間は点ではなく根だという言明のことで、それ自体を気にしても語りが弾むとは限らないのだが。 pic.twitter.com/GhTaobvL3o

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posted at 11:32:20

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月3日

菊池さんの無記の解説の仕方が、優れてハイデガーのライプニッツ講義 twitter.com/sunamajiri/sta... の具体的要約に見える。同一性=真理の判明さを奪う時間は根としてしか語り得ない。 pic.twitter.com/vFT1eHTaEL

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posted at 13:16:31

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月3日

この問題がどう重要かというと、時間と形式論理学という水と油を厳密に分節できない不徹底が、あらゆる仮象や曖昧の原因になるからで、特に日本で西欧を近代性として慌てて摂取する際に、西欧人が転倒しないような所で、論理学や自我を絶対視して転倒するということが癖のように繰り返されてきた点だ。

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posted at 13:50:48

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月3日

近代(的自我)だけで西欧を断片的に捉えるようなことをすると、汲み尽くせないどころか、端的に根である時間を捨象した同一性=真理の形式論理学的証明という罠に堕ちる。これがハイデガーの現象学的批判だが、この罠は怖ろしい。なぜかというと、彼らは我々には無記であることをあえて語るからだ。

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posted at 14:29:22

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月3日

要するに、方法ではあり得ないはずの死に方だけが関心事になってきたので、そうとは知らず彼らの論理性=同一性を真に受けて生きようとすると、同一性が捨象する時間を生きれなくなる、ということになりかねないからだ。

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posted at 14:36:01

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月3日

とはいえ、同一性と時間の差異を徹底解明したハイデガーすら、日本では戦後に断片化され心的深層や認識論という無時間の系 togetter.com/li/891272 のように仏教と接合されてしまう。ハイデガーはむしろ仏教から見れば、時間的徹底を方法的懐疑として厳密化しただけなのに。

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posted at 14:44:19

2015年11月04日(水)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月4日

まさにね。その際、毒矢の喩え twitter.com/inja650rr/stat... と同じだが、量子論に回帰する西欧近代思想を、存在論の不徹底としての認識論で語ることに対して、ハイデガーのように形而上学の根源から語ることで、毒である不徹底を除去できるのだけどね。@inja650rr

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posted at 11:22:05

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月4日

それが動力学では潜勢する自由運動というカント以来の実践に対する、西欧の再セム化、実践の良心への一元化という、彼らの言う契約の文言なのだ。この実践を、今では実存というだけのことだ。twitter.com/kikuchi_8/stat... @inja650rr

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posted at 11:33:06

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月4日

仏教徒の落ち度があるとすれば、それは端的に譬喩や方便としてしか契約を語れないことなのだが、西欧では存在論が認識論のような不徹底に至ったことが、却って一元論への決定的契機となったのだろう。それを侮ることは、仏教的にも愚かさを表す譬喩となるしかない。@inja650rr

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posted at 11:35:55

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月4日

ちなみに、認識論なのか存在論なのか、いやメタ存在論でフルーム問題とはおさらばよ、というのはたとえばハイデガーのGA26-190-191のような語り方になるのだが。@inja650rr pic.twitter.com/Elesah8vFA

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posted at 14:09:56

隠者(阿羅漢 周利槃特) @inja650rr

15年11月4日

@sunamajiri 御釈迦様は自らの至った境地を、経典に記さず、喩えを駆使して対機説法をしていたとされます。

この非言明の態度にむしろ私には賢者としての思慮深さを感じます。
それは真理を語らず方法を語ったデカルトと実に似ているように感じるのです。

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posted at 14:22:18

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月4日

仏教徒のように譬喩を語るのか、契約(命令)を規則化するのかの違いでしかないが、デカルト的方法以後、存在論そのものが徹底されるというのはハイデガーのいう存在論的差異の問題だから不可避なのだろう。続 @inja650rr pic.twitter.com/fcYFgNVc70

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posted at 14:38:07

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月4日

ハイデガーの批判は、デカルト的方法をカント主義者が方法論に頽落させることへの批判だが、それを言い当てる存在論的差異はこの要約のとおり、驚くほどのこともない。@inja650rr pic.twitter.com/XsWK3U1L73

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posted at 14:43:59

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月4日

要するに世界が永遠に実在するという幻想に対して、現実にそれが世界となるのは有限な時間の出来事で、それを譬喩として語れば、また永遠時間という無規定に堕落するので、厳粛に譬喩を規律に置き換えるべき、という話なのだ。彼が批判するのは、それを怠る言表者なのだ。@inja650rr

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posted at 14:48:28

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月4日

そこでは、その譬えも厳粛に禁止される。twitter.com/inja650rr/stat... 要するに現存在は、自分の眼前に空間的に対象化=延長された時間ではない、という規則からは、人間を何らかなモノやその機能に喩えることが、まさに形而上学的として退けられるのだ。@inja650rr

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posted at 14:55:13

隠者(阿羅漢 周利槃特) @inja650rr

15年11月4日

@sunamajiri なるほど。
だからこそデカルトは形而上学を真理として語らなかった。と僕は読んでいます(^^)/

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posted at 15:01:48

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月4日

そうそう。方法と方法論の差異以上に、とくに新カント派 twitter.com/sunamajiri/sta... に至って、認識論を心的実在論のように形而上学化させることを、ハイデガーは批判哲学=超越論してるだけだからね。togetter.com/li/891272 @inja650rr

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posted at 15:08:02

2015年11月05日(木)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月5日

時間根源に抗うのが対象化、つまりメタファー。モノ化する譬え、人間を動物にモノのように譬えることも、ハイデガーからは、実存を分析させない旧来の形而上学。転回とは不徹底な形而上学が齎す不用意な比喩を払拭すること。@inja650rr pic.twitter.com/VNzgIBSlLA

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posted at 08:49:36

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月5日

要するにハイデガーがいう転回というのは、第一哲学と神学に分解される西欧の旧来の形而上学が齎す、認識論を含めた全てのもの(対象性)、あるいは譬喩から、時間性という根源に形而上学を折返し=転回すること。それは〜 @inja650rr

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posted at 08:53:39

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月5日

それは旧来の形而上学、あるいは譬喩が隠蔽してしまう存在論的差異を実存分析によって取り戻し、現存在の有限性から、存在者一般=宇宙の総体の有限性=テンポラリテートを取り戻すようなこと。だから形而上学的転回は、永遠性のようなものを、払拭してしまうのだ。@inja650rr

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posted at 08:57:26

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月5日

その点で、形而上学を神学的に捉えがちな非西欧的な日本では、第一哲学と神学に分解される旧来の形而上学から、ハイデガーの基礎存在論とメタ存在論に分解される形而上学的転回が、カンフル剤のように、譬喩(現存在を動物に譬えたりすること)の問題を解体してしまうのだろう。@inja650rr

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posted at 09:07:28

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月5日

眼前存在者が有限であるばかりか、存在者の全体も有限だ、つまり無限など無いという謂が、最も困難な個所なのだが。@BeTakada @inja650rr pic.twitter.com/drJhakBtc9

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posted at 17:22:28

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