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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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  • 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
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2015年11月30日(月)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月30日

夢の想起が難しいのと同じで、物語がある出来事に至る経緯は、すぐ忘却されます。それを抑圧というんです。どうしてああなったんだろう、という。哲学では構想力が問題になるのだが、作家が問題にするのは、その部分の構想です。なぜならメタフィクは運命だからなんです、@08child

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posted at 11:01:32

2015年11月29日(日)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月29日

デカルト~ヴォルフの形而上学が、デカルトの予見した真に欺く神 bit.ly/1Tjcn4y だ、というのがハイデガーからは片付けられたことですよね。それに無頓着だと、欺く神そのものがほんとに跋扈するんですよ、これが凄い。よく見かけます。笑 @BeTakada

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posted at 02:39:54

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月29日

田村未希のGA21論 www.l.u-tokyo.ac.jp/philosophy/pdf... は、デカルト~ヴォルフの実在性の学以前の先学的形而上学への転回というGA26の内的必然性という地平につなげて読むべきなのでしょう。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada

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posted at 02:18:20

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月29日

さすがにハイデガーはエゴイストというのを、フッサールに対して直言してないようだが、この同一律が前提した実在性の形而上学については、フッサール側から破綻をみるべきです。彼は純粋自我を言うしかなくなる。ハイデガーはそんなエゴイズムは言わない。謙虚ですね。@BeTakada

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posted at 02:11:34

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月29日

何にも巻き込まれずに自発性とか内発性とか受動性といっているだけでは、単なる独我論で、ハイデガーからは単なるエゴイズム(GA26)です。我と汝というのは、エゴイストのセリフなのです。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada

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posted at 02:03:40

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月29日

いずれにせよ、形而上学的に誤謬である実在性という問題からは、自発性とか内発性とか受動性しか問題に出来ない。しかしそれは形而上学の本来の射程ではないという。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada

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posted at 01:59:55

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月29日

その「われわれの外」の二重化、つまり実在性というデカルトの形而上学を方法的に修正し、物自体と現象を橋梁するのは、内的時間意識=自我という自発性ではなく、統覚の脱自的時間=根による地平の自己触発性というのでしょう。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada

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posted at 01:57:42

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月29日

なお、実在論と観念論、唯物論と唯心論は、カントでは単なる誤謬推論です。つまり間違った問い方です。心理主義も反心理主義も心的実在を自明的に前提している誤謬推論と、ハイデガーは言いたいんでしょう。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada

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posted at 01:41:32

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月29日

いずれにせよ、理念対象と直観対象を命題の真理とするのが実在性だとすると、それが頽落した非本来の形而上学、とハイデガーがいうところのものなのだろうと思います。私たちはその実在性に頽落してはいけないわけです(笑)。www.l.u-tokyo.ac.jp/philosophy/pdf... @BeTakada

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posted at 01:33:21

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月29日

ハイデガーはこの実在性を自明視することを、カッコに括るわけだろうけど、日本の西田などもそういうことをやろうとしている、・・・が、しかし、ハイデガーとは真逆に宗教の話に頽落してしまうんでしょう。元の木阿弥という。そのあたりは研究していませんが。@BeTakada

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posted at 01:27:19

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月29日

つまり、GA21とGA26の同一性~同一律という非本来的な形而上学(実在性)への頽落を、根拠律にもどし地平として開示するのがカント書への道でしょうが、フッサールからはそれが正に明るくならないということでしょう。どこまでいっても先存在了解的なのです。@BeTakada

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posted at 01:22:13

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月29日

ただし、斎藤慶典で私が注意しているのは、先日の丸山論文twitter.com/sunamajiri/sta... の注釈に、GA26の内的必然性を自明視しているという部分です。つまりフッサールからは根源が地平にならないのです。@BeTakada pic.twitter.com/65I46nHnyT

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posted at 01:17:34

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月29日

なお、この同一性に対してカント書がどういう役割を演じるのかは、選書になっている、斎藤慶典 amzn.to/1EaGp2y が説明が上手いです。ただし~ @BeTakada

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posted at 01:14:49

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月29日

ざっと3まで。真理は実在論が自明視する理念対象と直観対象の同一律に他ならない。GA21のフッサール批判は、GA26で深められるライプニッツの同一律こそ非本来的な形而上学だ、それは実在論で根ではない、という批判ですよね。@BeTakada

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posted at 01:14:13

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月29日

これですね。明日目を通してみます(^-^)/ www.l.u-tokyo.ac.jp/philosophy/pdf... @BeTakada 東大の田村さんという方の「前期ハイデガーにおける真理論の射程」

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posted at 00:14:47

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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月29日

ですね、ハイデガーはデカルトの方法的不徹底が招いた非本来的な形而上学という頽落をこそ問題の俎上に載せ、真の方法的懐疑を語るわけだけれど、とにかく学的形而上学に毒された人達が多いから、そうやって瀕死の心を氷解させることは、時として宗教と誤解されたり前途多難ですが。@BeTakada

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posted at 00:11:21

2015年11月28日(土)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月28日

そうですね、ヴォルフ~カント以来の学的形而上学が陥ってしまった人間のある種の矮小化のようなことから、本来の先学的形而上学を、従来は自明性と欺かれていたことを、ハイデガーは取り戻せるといっているのですから。それがなされないかぎり、自由はエゴイストの持ち逃げですし。@BeTakada

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posted at 23:46:08

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月28日

我汝を独我論というのは、GA25とGA26だが、GA26のほうが決定的に、それがフッサールの内的時間の現象学批判に直結してる点だ、そしてGA3のカント書で、カントの人間学が転回してるのだ。読んでみて。@aoinatsunosora コミュニケーションこそニーチェっぽい我汝ですね。

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posted at 15:50:34

2015年11月27日(金)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月27日

それにしても、セカチュウはきつい。あの世なんて心の中にしかない、という物語だからだ、しかしそうしておかないと遺骨という執着=眼前存在が生じてしまう。きついのは、それこそ、そう思えるのは、愛おしいパートナーがいるリア充だけで、非リアにはあの世しかないかのように思えてくるところだ。

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posted at 09:24:01

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月27日

それにしても、「形あるものの歌」という禅問答に、つい応答してしまったら、ソラノウタを受け取り損なって、生命を眼前存在者と執着し続ける、というセカチュウ、これ当分、尾を引くな。まあ、ハイデガー読んでるから大丈夫だが(^-^)/ twitter.com/sunamajiri/sta...

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posted at 04:11:41

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月27日

カントに何かがあるとすれば、それはその鬩ぎ合い(弁証法と語りの葛藤)、ハイデガーはそこからの解脱みたいなものを語るしかないだろう。それに騙されない直観を私達日本人は特権的にもっているところがあって、そこから読まなければ、語り語られたことを、掴み損なうのだろう。@BeTakada

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posted at 00:50:32

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月27日

弁証法がプラトン以来独白なのは昨日引用したとおりだが、語りというのは、それとは正反対に独白でないことなのだ。そこで読み手が、弁証法を語りと受け取ると、たちまち騙されてしまう。twitter.com/sunamajiri/sta... @BeTakada

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posted at 00:46:30

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月27日

カントでは何か語ってはいけないものを語っていると、我々日本人は直感するからね。ハイデガーになると、語っていはいけないことを語らないための方法しか語らなくなるわけで。私たちには余計なことだが。@BeTakada 簡単に見えて忍耐の必要な難しい論理形成ですよね。

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posted at 00:22:21

2015年11月26日(木)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月26日

さもないと超自然が語(騙)られるからね。それでは逆に死ぬにも死ねないということもあるしね。@BeTakada 自然の存在を含めずに存在論に終始した理由は、超越と運動の事象を同一線上に捉えなおし本来の形而上学へ帰還する事が目的だったのだと思う。凄いね。

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posted at 23:38:20

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2015年11月25日(水)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月25日

それは学的企投してしまえば通俗的時間になり、それは意識の永遠性しか語れない。この学問であることの宿命である霊魂の不滅ということに、最大限抗おうというハイデガーのGA26絶唱部 bit.ly/1OdbIlj は殆ど詩のようです。@BeTakada

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posted at 21:46:48

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月25日

それだけ、学的企投では語れないことを語っている。それは学的企投が通俗的時間、ひいては永遠時間を齎す源泉だということだが、GA26のフッサール批判では、意識の永遠性ではなく地平であり、それは(歴史的に一度も)学的企投されていない、というわけです。@BeTakada

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posted at 21:41:38

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月25日

存在と時間が未完であるように、あちこちで小出しに語られ、それをつなぐと通俗的時間批判になるという。GA24でテンポラリテートが語られ、GA26でその学的企投の断念としての脱自態が語られ、GA25でカントの根が語られ、GA3で人間の規定が語られるというように。@BeTakada

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posted at 21:39:36

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月25日

通俗時間批判というのは、ごく平易にいえば、未来の訪れとしての今を、過去が喚起する今と語る仕方では、それが永遠性の意識を希求するために、一向に未来が訪れない、といったような物語の規定なのだが、ハイデガーの語りは途切れ途切れですからね。その息切れぶりが醍醐味。@BeTakada

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posted at 21:35:39

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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月25日

ハイデガー全集26巻を読み終えて。そのフッサール批判の鋭さ。永遠は音楽だけのものだったのだ。www.facebook.com/kaoru.ohmoto/p...

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posted at 17:45:40

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月25日

ハイデガーが相対化しようとする通俗的時間とは、まさにフッサールが前提しているように、永遠に持続する意識を想定した言語ゲームの規則のことだ。それを昔は霊魂の不滅といったのだ。確かにフッサールが言うように音楽にとって意識は永遠の持続だ。しかし、それはただ音楽というだけのことなのだ。

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posted at 17:26:10

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月25日

フッサールの内的時間意識が地平創造(つまり、他人の奏でた音楽を、メロディーという形象として客観する意識ではなく、自らメロディを構想すること)でないのは、極めて象徴的だ。ハイデガーはここから、超越論的生産的構想力を地平として概念化するカント書の問題に突入する。

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posted at 16:47:06

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月25日

それはカントでは現象と物自体に二重化する、デカルトを自我と規定するという形而上学が陥る罠だ。対象関係は時間関係からしか物語として存在できないのだ。twitter.com/sunamajiri/sta...

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posted at 16:44:19

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月25日

このように言語ゲームを、ルール(根源規定)抜きに語ると、通俗時間が語られてしまう。無がなければ有は語られず、むしろ言語ゲームは無を弁証法してしまう。それはルール抜きの語りだからだ。時間が通俗化するのは、時間に身を任す地平で語っていないからだ。

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posted at 16:37:22

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月25日

恐らく、過去把持され形象として聞き分けられるメロディー(という知覚)は、予定調和しない。しかしそれは偶然の音楽のことではなく、予定調和は将来から今が脱自的に到来することで、つまり時間に身を任すことで、必然的に逢着する終止形のようなことだ。こうして楽曲は有限な人生のように終止する。

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posted at 16:19:18

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月25日

人は、形而上学が無限遡行だと信じこむ、しかしそれが言語ゲームを規定する根源だとわかれば、形而上学を等閑視することが、まさに無限な問いの連鎖を生む、というこの指摘は決定的である。「究極的な問いは規定されるべき」GA26-298

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posted at 16:14:59

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月25日

未来が過去把持による決定論になったり、人間が同一律と数学的に規定されたり、つまり音楽がまさにメロディーとして聴こえるのも、形而上学を非本来的に捉える通俗的な無限遡行だとハイデガーは明言する。 pic.twitter.com/XURkd8UYhq

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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月25日

ヴォルフの根拠律「それがむしろ有るのであって無いのではないのか、という根拠なしには、何も無い」を、ショーペンハウアーのように「なぜそれが有るのかの根拠なしには何ものもない」としてしまわないこと。つまり形而上学を度外視してライプニッツの予定調和を短絡的に受け取らないこと。

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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月25日

要するに、過去把持を今とする時間規定(メロディーという形象を把持している今)は、そもそも霊魂不滅を公理(前提)とした今という通俗的な時間であり、それでは予定調和も単なる決定論に堕落してしまう。GA26のいう根拠律とは、こうした学的企投より「むしろ」に重点を移すことだ。

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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月25日

メノンのパラドックスは、カントの理性をハイデガーにならって構想力(語り)におく坂部恵に啓発された(と注釈で特記している)柄谷行人のトランスクリティークのこの記述 bit.ly/1TdYMeI で差し当たり(柄谷の語り方への批判はさておき)十分だろう。

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posted at 15:05:28

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月25日

GA26ライプニッツ講義は、本来の明証性に関する講義だ。デカルトの明証性を、ライプニッツは同一律(1+1=2)としてしまう。それに対してハイデガーは明証性とは根拠律だという。それは数学の規則は根源規定により決まるという、プラトンのメノンのパラドックスの解決である。

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posted at 14:54:27

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月25日

これに対してハイデガーは何といってるのか。それは端的に、過去把持される形象(メロディー)が未来を予定調和させるような、時間をそれ自体で概念化する即自時間、通俗時間までが、学的企投であり、本来の時性はそうした通俗時間にはないということだ。

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posted at 14:50:34

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月25日

フッサールの内的時間意識の現象学は、先カント書期では、発表された直後であり、GA26でもたったこれ bit.ly/1HlIi2Z だけの言及だ。あとはハイデガーの必死の反論。それだけメロディーは人を動揺させるものなのだ。

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posted at 14:46:18

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月25日

ハイデガーが批判する内的時間意識とは、端的に言えばだが、メロディーを形象として捉えるかどうか、という逡巡のことなのだが、これはアリストテレスの通俗時間のことだ。なぜならば、霊魂不滅を想起するようなプラトンに対して、アリストテレスはそれは把持された過去にすぎない、と規定するからだ。

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posted at 14:43:09

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月25日

なぜなら、GA26は、先カント書期で恐らく唯一のフッサールの内的時間批判を、ライプニッツ批判として行うというものだからだ。フッサールの内的時間は、たとえば中山元の日経連載 nkbp.jp/1LyACFr が一般向けだ。

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posted at 14:39:12

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年11月25日

ハイデガー『ライプニッツを端緒とする論理学の始原諸根拠』の総括を考えていたが、学的企投できない脱自態、それはどうしても音楽の本質論、いわば音楽現象学にしか見えない。過去が喚起する形象としてのメロディーによる予定調和に対して、未来から到来する形なきメロディーという今への脱自。

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posted at 14:37:43

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