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大本薫 Kaoru Ohmoto

@sunamajiri

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  • 自己紹介 natural-born Jazz Flutist。ジャズフルート奏者。フルートらしさ(フルーティズム)よりジャズが本体の破壊者。幼少より渡米。ジュリアード音楽院、コロンビア大学文学部院卒。全米ジャズ教育協会会員。英米で流行りのハイデガー論者。てげてげでアドリブする現存在。17年鹿児島移住。コロナ禍で休眠中。
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2015年12月03日(木)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月3日

現前=背後に実体がないこと、ですよ。意志の自由も純粋自我といった同一律=実体も、ハイデガーの語体系=根拠律=地平には、無でしないのでは? 時間以外は問いとして語れない、という程度のことですよ。@BeTakada

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posted at 00:23:20

2015年12月04日(金)

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月4日

たとえば、bit.ly/1LRciik は、ハイデガーでは事実性の基礎存在論であるからこそ、本来的な形而上学への転回ということが問題になったわけで、転回を無視したら、単なる宗教ですよ。bit.ly/1PzWMPR @BeTakada

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posted at 00:27:38

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月4日

ハイデガーの転回というのは、語り方=方法的懐疑の自覚性のことだと先述しましたが、それは哲学ではなく哲学の語り方としての文学への転回です。私は文学の側なので、哲学的態度という問題からは転回しているからこそ、本来的形而上学を話題に出来るだけの話です。@BeTakada

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posted at 00:30:11

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月4日

なので、転回の内的必然性というGA26(事実性の基礎存在論から脱自態への転回)を、三種の綜合(GA25)の根とするのが根拠律であり、カントの人間学は本来的に、そのような形而上学だ、というGA3の順番でなければ、このことを話題にすることは不可能です。@BeTakada

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posted at 00:33:00

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月4日

その脱自態の内実は、素朴な反省ではなく、時性であり、それは想起時間という原因性ではなく、予感のような現存在の超越の仕方=方法である、という問い方がハイデガーのテクストに散逸しているので、それを取り集めればいいだけです。しかしそれを怠ると単なる宗教です。@BeTakada

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posted at 00:36:59

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月4日

順序性を明らかにするのは常に真正な順序性なのです。ハイデガーですらぎりぎりこの順序性が散逸的なのです。しかしGA3カント書で、本来的形而上学に取りまとめられているので、その順序性を度外視すれば、すべて非本来的形而上学への頽落です。@BeTakada

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posted at 00:39:25

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月4日

ハイデガーはヘーゲルが自己反省を素朴に形而上学している、という批判を、フッサールの内的時間意識の素朴実在論を指摘することで、地平=体系というわけだけど、リッケルトやフッサールは指導教官なわけで、はっきりそういわないわけです。しかし順序ってものがある。@BeTakada

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posted at 00:47:37

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月4日

リッケルト批判の観点からは初期の問題から見なければならない。フッサールの内的時間意識ならGA26から見なければならない。しかしハイデガーには順序のイニシアティブがあるんですよ。ハイデガーの順序で語らなければ転回は無意味、転倒です。@BeTakada

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posted at 00:49:22

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月4日

これは語り中心主義なのです。誰が語り(順序)のイニシアティブをとっているのか。西田の語りがイニシアティブであるのかを疑問視する日本の現代思想からは、ハイデガーは語り方と自覚されているのもそのためです。それが東浩紀の博論の問題です。@BeTakada

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posted at 00:56:58

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月4日

それは哲学を読まない読者になら、日本特有の私小説の語られ方のことだと言えば、大抵は合点できるんです。事実性を事実性として語ること。ハイデガーの転回というのは事実性からの転回、つまり私小説から語りが転回することだからです。@BeTakada

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posted at 01:01:23

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月4日

ハイデガーはGA26~GA3の人間学の転回(形而上学の本来化)以後、アナクシマンドロスの二重襞を問題にする。東浩紀が博論で書いているのは、アナクシマンドロス二重襞から日本の私小説を解体するという一点なのです。つまり事実性をハイデガーのように語ることです。@BeTakada

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posted at 01:03:05

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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月4日

そうですね。しかしフーコーですら語りの主導権を握っていない。ヘーゲルから語りの主導権を奪ったのはハイデガーです。それは形而上学的転回に明確に触れたからです。そこでは、反省する者は単に頽落した形而上学者です。@BeTakada

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posted at 01:17:02

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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月4日

アメリカのハイデガリアンが鋭いのは、ハイデガーが駆除した新カント派がアメリカに移民してしまい、それを駆除する必要があるからだと思うのだけどね。日本にはその影響が間接的すぎるので、益々見えづらいのです。@BeTakada

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posted at 01:34:20

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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月4日

去年のハイデガー読本は新視点と評判がいいらしいですね。それだけハイデガーの転回が日本で誤解されて受容されていたのでしょう。アメリカのハイデガリアンは移民した新カント派を直接批判しているけど、日本には新カント派というより西田しかいなかったわけで気の毒です。@BeTakada

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posted at 01:49:42

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月4日

柄谷行人は、そのアメリカ譲りなところがあるのだが、転回を理解していなかった。坂部恵にカントは構想力だと言われて形而上学に転回 twitter.com/sunamajiri/sta... してしまったが、まだ非本来的形而上学に頽落している。ハイデガーにはそれがない。@BeTakada

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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月4日

それは端的に、反省が踏まえる素朴な形而上学を、事実性として括弧にいれることができない、という転倒です。ハイデガーはその全てを括弧に入れて、形而上学自体を転回してしまっているということです。@BeTakada

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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月4日

ゼロ年代以後、日本の思想状況が悲惨なのは、誰も東浩紀のアナクシマンドロス論が、柄谷のハイデガー無理解への端的な批判になっていた、というのを見て取れていないということです。それで思想も文学も停滞しただけだと私には見える。たいして重症ではない。@BeTakada

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posted at 01:58:25

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月4日

想起として今時間を反省する対自態とは、第一原因を語ることです。新カント派を駆除しようとするアメリカと違い、日本で西田しか伝承されていないのは悲惨で、それに対抗しようとフロイトで想起を方法化したりしたが、ハイデガーの方法は、忘却には方法が要する、ということです。@BeTakada

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posted at 02:19:29

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月4日

日本の現代状況で何が問題なのかは明白で、対自態(神を語ること)からの脱却を、想起の方法と経験的に語った誤謬を辞めることです。その全てがハイデガーに順序として書き込まれているのは間違いないのです。それが本来的形而上学への転回でしょう。@BeTakada

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posted at 02:24:21

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月4日

端的に、カントの構想力を、ヘーゲルやマルクスのように語れば、第一原因や実体としての神が想起されてしまう。ハイデガーは実体を語らない方法を語ることで、神を意味化しているのです。その違いはあまりにも大きい。@BeTakada

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posted at 02:28:34

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月4日

さて、真正な順序、つまり転回の話に戻りましょう。ハイデガーは西田のように宗教に転倒(頽落)しない。それは真正な順序を語っているからです。転回は明白にフッサールの形而上学性からの転回だと私は思うが、その転回前には西田が格闘したリッカートとかがいるわけです。@BeTakada

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posted at 04:54:05

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月4日

ハイデガーのリッカート批判のあらましは、こんなところです。リッカートの実践理性が理論理性に過ぎず、前理論的な事実性、つまり基礎存在論たりえないということです。ハイデガーの転回は、この基礎存在論からの転回です。@BeTakada pic.twitter.com/wV0yasRfxK

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posted at 04:57:36

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月4日

リッカートの当為は価値のことだが、ラスクはそれを事実的世界、生にする。それを批判的継承するのは西田もやってるのでしょうが、ハイデガーはそこから順序性=転回を取り出したのでしょう。添付は『はじまりのハイデガー』。@BeTakada pic.twitter.com/CuJvnX2ULq

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posted at 05:13:28

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月4日

このように、基礎存在論は事実的実存が、日常の被解釈性(心身二元論という文化的な刷り込みtwitter.com/sunamajiri/sta... )を暴くようになるのだが、しかしそれでも開示できないのが時間性なのです。転回とはこの時間性を当為する語り方のことです。@BeTakada

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posted at 05:20:28

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月4日

転回とは端的に、心身二元論である実在論、デカルト~ヴォルフ的な頽落した形而上学 twitter.com/sunamajiri/sta... によって沈黙することから、真正な仕方で形而上学を語る=実践=当為することへの転回です。おそらく西田はこれが転倒しているのだと思う。@BeTakada

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posted at 05:25:03

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月4日

なぜならば、救済は宗教という全体の問題ではないからです。それでは人は沈黙してしまい、価値や事実性を当為するしかない。価値だけが語られる今の日本は西田が齎したのでしょう。それは心身二元論という頽落した形而上学から、真正な順序で転回し、当為を得られていないからです。@BeTakada

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posted at 05:33:45

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri

15年12月4日

このように、転回の内的必然性、つまり順序性に近づけないことは、宗教そのものです。信じて救われるしかない。もし信じないのであれば、真正な順序で転回する以外、あとは価値を当為する以外に、道は皆無と言わざるをえない。それが現代社会です。@BeTakada

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posted at 05:44:12

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